第4話 栄と冬太
沙織が引っ越し荷物を覗いていた。
「これ、みんなでオルゴール記念館に行った時のよね、懐かしい」
ジイジイとネジが巻かれ、オルゴールが鳴りだす。
悲しげなメロディーの曲だった。
「『マドンナの宝石』冬樹くんらしい選曲。冬樹くんと、久保村くんと、珠子ちゃんと……みんなで、いろんなとこ行ったよね、楽しかったなぁ」
沙織はオルゴールを冬樹の枕元に置き、手を合わせた。
「形見分けにもらおうかな。あ、それより小六の時の、夏休みの自由研究でやった『大槻家の御神木の歴史』のノートないかしら。形見分けなら、あれがいいな。
母屋の南に、花畑があるでしょ? あそこから縄文時代の遺跡が発掘されて、大きな杉の根っ子と、たくさんの首をはねられた女のひとの骨が出たの。
槻一族の古い口伝によるとね、その頃飢饉が続いて、御神木の杉の木に、女の生贄を捧げていたらしいの。
ある日欅の枝を持った、一人の巫女が現れて、御神木の杉の精霊に戦いを挑み、真っ二つに割いて、生贄を止めさせた。
“玉祝りの巫女”と名乗る女は、持っていた欅を植え、そこに住み着き、人々に未来の言葉を伝えるようになった。
“玉”は、昔の言葉で、“魂”のことを指すのよ。
それを聞いて面白いからって、夏休みの自由研究にしたの。このノートよ」
――欅は成長が早く、まっすぐに伸びた幹に葉が、扇を開いた様に付く樹形は美しく、高さは三十メートルを超える。
六百年から千年も生き、天然記念物に指定されるものも多い。
木相の美しさ、特に中心の赤みは太い原木でなくては取れず、昔から仏像彫刻、神社仏閣の建築材として使われ、耐久年数は千年に及ぶ。
京都の清水寺の七十八本の柱は、全て欅である。
御神木は背が高い。高い位置まで、水を吸い上げる必要があるから、より沢山蒸散する。土の中の水には限りがあり、水源の豊かなところでなければ、欅は育たない。
また、日光も多く必要だ。諏訪地方は、水はあるが年間日照時間は短い。
千曲川のほうまで行けば、欅の神木はあるが、大槻家のある守屋山は霧も多く、本来なら欅の育つ様な土地ではない。
なのに、大槻の神木は現にある。それ故の御神木なのだ――
「ふーん。あれ、栄と冬太? お母さんと同じ名前だ。誰なのこの人たち、男の人の話が出るなんて、大槻の家では珍しいね」
「栄と冬太は、双子で生まれた姉弟だったの。でもあの時代は、双子は畜生腹と言って、嫌われたから、冬太は遠くに里子に出されて、二人はお互いを知らずに育った。
二人が十五歳になった時、冬太は、大槻家の春の神事の能舞を踊る栄を見て、一目で恋をした。それは栄も同じだった。
その時冬太は、御神木の声を聞いた。
『我に従え。さすればその女を抱かせてやる』
冬太は木に従うと誓い、二人は結ばれた。
冬太は御神木のために、欅の枝を持って、日本中に植えて廻った。
だから御神木は自分の分身を通じて、この国で起きているあらゆることが、聞こえるの。
それは木が切られて、木材になっても可能で、御神木はその気になれば、京都の清水寺の柱の声や、欅で作った仏像の祀られた、寺院の内緒話も聴けるんだそうよ。
でも、冬太の一番の仕事は、徳川家康を助けて大槻の名をいただいたことね。
『大槻の名が、文字として歴史に現れるのは天正十年(一五八二年)六月二日、本能寺の変により、界から逃げた徳川家康が、伊賀の険しい山々を越えた、世に言う“神君伊賀越え”。
落武者狩に遭う危険の中、わずかの供と、道なき山中を二百キロ近く駆け抜けて、三河への帰還を果たした。
その時、槻一族の冬太と名乗る男が道案内を買って出て、進む道を示し、すべての行程と助け手になる者達を用意した。
そして旅の終わりに、その男は『徳川様は天下人となり、十五代・二百五十年の平安を得ましょう。私の仕える槻一族の巫女の言葉に、千に一つも外れはありません』と言ったの。
それを聞いて家康は呵々大笑、『主に遭うたはツキもツキ、オオツキじゃ。以後大槻と名乗るが良い』」
「わあ、冬太カッコイイ」
「でしょう。小さな集落で暮らしていた槻一族のために、四百年前、御神木を移して今の母屋を建てたのも冬太なの。
冬樹くんも、『僕、冬太になりたい』って言ってたのよ。
女系の大槻家で異例の活躍をした人なの」
「冬太はその後どうなったの」
「それがね、栄様が妊娠して、秘密にしていた二人の関係がバレちゃったの。
兄妹だってことは、二人は知らなかったんだけどね。」
「じゃあ冬太は、歌みたいに御神木の下に埋められたの?」
「そうよ。そうして生まれたのが、初代の珠子様。大槻の歴史に残る最強の巫女。“玉祝りの巫女”から名をいただいて、“珠子”としたの。
栄は、珠子に当主を譲ってから、冬太の後を追って自害して、冬太と同じ娘の欅の下に埋められたそうよ。死んだ後も二人で珠子様を守ったんだって。
初代の珠子様は、秀吉亡き後、大阪冬の陣・夏の陣の結末、その後二百五十年にわたる未来を、全て書き記して百年生きたの。
その後珠子様を超える巫女は現れなかった。黒船が来て明治になるまでね」
「あ、栄様の曽おばあちゃんの、二代目珠子様」
「そうなの。珠子は歴史の転換期に現れて、大槻の未来を作ると言われている。珠子ちゃんは三代目、とても名誉な名前なのよ」
「そんな大槻の家で、お兄ちゃんどんな気持ちで生きてたのかな……そうだ、お兄ちゃん、ずっと日記を書いてたんだ」
沙織と珠子は、すべての段ボールを開けて調べたが、日記は一冊もなかった。
代わりに見つけたのが、梶井基次郎の『檸檬』の文庫本だ。
『桜の木の下には』のところに栞が挟まり、赤線が引いてあった。
桜の樹の下には屍が埋まっている! これは信じていいことなんだよ。
何故って、桜の花があんなにも見事に咲なんて信じられないことじゃないか。――屍体はみな腐乱して蛆が湧き、堪らなく臭い。
それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。
桜の根は貪婪な蛸のように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根を聚めその液体を吸っている。――
俺は毛根の吸い上げる水晶のような液が、静かな行列を作って、維管束の中を夢のように上がってゆくのが見えるようだ。
(梶井基次郎・桜の木の下には)
「これが冬樹くんの本心? 私と栄様のやったことなんて、何の意味もなかったのね。本人が贄になりたがっているんじゃ、止めようがないじゃない」
沙織は、一頻り笑い続けると、話し出した。
「なんで私が、久保村医院に嫁いだと思う? こういう時のためなの。
多分冬樹くんは新しい御神木の肥やしになる為に埋められる。
死体をすり替えたり、偽の診断書を書いたり、医者なら簡単よね。
そうやって大槻のために働くように、あの家には大槻の縁者の女が嫁ぐことが何度かあったの。
久保村君が三男なのに跡継ぎになれたのはね、大槻のために働くことを約束したからなの。私と結婚する条件で」
「でも沙織さん、お兄ちゃんのこと好きだったんでしょう?」
「ええ、冬樹くんが大好きだった。
だから冬樹くんが、あなたが大人になった時、御神木の贄になるって知って、
『彼を助けてくれるなら久保村くんと結婚してもいい』って、私から栄様に言ったのよ。
栄様も冬樹くんのこと死なせたくなかったから『珠子が大人になる前に、家から出す』と約束してくれた。
でも冬樹くんがこの家を出ようとしなくて……。
冬樹くんは本気で、珠子ちゃんと栄様のために、冬太になるつもりだったんだ。
本人が死ぬのを望んでるんじゃ、助けようがないのに。バカよね、私」
沙織は泣き出した。
珠子も一緒に泣いた。そうやって夜がふけていった。
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