木の下闇(ホラー・20,000字)

源公子

第1話 大槻家

         贄の木 槻の木 欅の木

         欅の巫女は 木の嫁御

         欅の婿さん 木の肥やし

         欅の巫女は 先読みの巫女

         千に一つも外れなし



 長野県諏訪湖の側、諏訪大社上社守屋山の奥。この辺一帯が、手毬歌に歌われた「先読みの巫女」大槻家の持ち山である。


 歴代首相が、軽井沢の別荘や、善光寺参りの帰りに、わざわざ甲府のルートを取り、大槻家で神託を伺い、寄進していく。

 今卑弥呼と呼ばれる“先読みの巫女”の九代目当主、大槻栄は、徳川家康に大槻の名をいただいてから九代目になる。

 四百年もの時にしては代が少ないが、霊力の強い巫女は大変長寿であり、祖母から孫へ、または曽孫へと代替わりが続いたためだ。

 大槻の家の当主は女と決まっていた。女系家族で、男が生まれることが稀なだけでなく、神木の声を聞く者だけが巫女となれたからである。 

 

 表向きの家長は、当主栄の娘の入り婿、秀雄。

 その長男である冬樹が首をくくって死んだのは、跡取りの妹、珠子が初潮を迎えた祝いの宴の夜のことだった。




「なんで今日なのよ。イギリスの大学に行くの、来年のはずよ。明日は日蝕一緒に見るって約束してたのに、お兄ちゃんの嘘つき!」


 ガラス戸を開けた南向きの縁側に座って、珠子は足をぶらぶらさせている。

 離れの縁側の正面に立つ、巨大な欅の御神木の落とす木漏れ日が、斑になって細い足と一緒に揺れる。


 大槻の槻は欅の古語で、神木も欅である。

 欅は“けやけき”から来た名で、“ひときわ姿の美しい木”の意味であり、家紋は、丸槻葉巴だ。


 大槻の神木は、変わっている。普通は寿命で枯れるまで置いておくものだが、大槻の家では、当主が新しい代になるたびに、挿し木で増やすのだ 。

 母屋から東へと伸びる切り株の数が、大槻の歴史の長さを物語る。

 その切り株に沿って伸びる渡り廊下の先に、離れがある。

 代替わりのたびに、離れと廊下は建て増しされて伸びていき、“木の守り人”である当主、または親族の寝屋となっていた。

 

 神域に有るため、離れは直系の親族しか入れない。


 元は春の祭りに、御神木に捧げる能を舞う舞台だったものを、徳川時代に初代珠子が――大槻の家でも、特に霊力の高い巫女に与えられる名前が、珠子である――祭り舞を廃止し、御神木を守る者の寝所に改造したのだ。 


 注連縄が張られた御神木の横には、小さな祠がある。

 これを祀るのが、栄の娘で叶の長男、冬樹の仕事だった。

 隣にはまだ植えて十二年ほどの若木がある。

 跡取りの珠子が生まれるとわかった時、栄が挿し木をしたものだ。


 その横の真新しい祠は、今日の祝に合わせて建てられたもので

 明日からは、珠子が二つの祠を祀るのだ。



         

 朝起きて、お腹の痛みと、シーツについた血の染みを見つけてから

 珠子の世界が一変した。


「おめでとうございます」

 の言葉とともに、祝いの準備に家中が沸き立った。


「今日から、あなたは大槻家次期当主として、木守りの巫女の修行に入ります。もう、ママではなく、栄様と呼びなさい」

 大槻家当主としての目で、栄は言った。


 何より驚いたのは、兄の冬樹が、来年予定していたイギリス留学を繰り上げ、今夜立つというのだ。





「仕方ないよ、もともと大槻の家に男は要らないんだから。明日からお前が木守りをするんだ、頑張れよ。

 荷物は明日送って、今夜は空港のホテルに泊まる。

 朝の七時半の日蝕は、機内で見ることになるな。一緒に見れなくてごめんよ」


 荷造りの手を休めずに、冬樹は努めて快活に言った。 


「それより離れにいていいのか? 母屋でお前のお祝いしてるんだろ。勝手に抜けてきてまた栄様に叱られるぞ」


「何がお祝いよ、お赤飯なんて大っ嫌い。なんでこんな事、祝わないといけないの。

 ママ――栄様も、家の人達も、私のことを次の跡継ぎ産む道具としか思ってない。こんな家大嫌い。無くなっちゃえばいいんだ」


 どんよりと重い体。その中に子供を産む臓器が詰まっている。

 痛みとともに、ドクドクと脈を打ち、血の涙を滴らせながら

 “もう子供は終わり”と囁いていた。


「珠子、体が辛いからイライラするんだよ。痛み止め飲むか? そうだ、明日の日蝕見るために、摺りガラスを作るつもりだったんだ。一緒にやろうよ」


「うん……」


 なんでお兄ちゃんは、珠子とお別れするのが平気なの。

 やっぱり珠子の本当のお兄ちゃんじゃないからなの?




 聞きたくもない噂話が、聞こえてしまう時がある。

 ほんの数ヶ月前のことだ。


 ガチャン! 珠子が台所の長い暖簾の前を通り過ぎようとした時、小さな悲鳴とともに皿の割れる音がした。


「ばか、気をつけな」

 栄様の世話係の老いた乳母が、新参者の賄い方の娘を叱りつける声がした。


「だ、だって……珠子様は、叶様が病気で子供を産めなくなったから、叶様と秀雄さんの子を人工授精させて、栄様が代理出産したって聞きましたよ?」


「しっ、声が大きいよ。それは表向きの話。

 大槻の家の女はね、何故か男を産むと“胎が腐る”と言って、もう子供が産めない体になっちまうんだよ。

 私は、冬樹を産んだ後の叶様の世話係もしてたんだけど、完全に血の道が閉じちまってた。何年も久保村病院で不妊治療もしたけどダメでね。

 仕方なく、栄様がもう一人産んだのが珠子様。

 跡取りの女の子は産めなくなる、その上何故か、男の血筋は子が授からない。だから大槻の家では、男は忌み嫌われるんだよ」


「じゃあ、珠子様の父親は一体誰なんです?」


「誰だっていいんだよ。栄様の産んだ跡取り娘に誰が文句をつけるもんかね。

 ただ、父親も母親も別な上に、父親にしか似てない鬼っ子の冬樹と珠子様を、兄妹なんて、呼べやしないのさ」


 大槻の家で冬樹は、使用人からさえ呼び捨てにされている。

 珠子は常に“珠子様”なのに。


 頭が良くてハンサムで、友達からも好かれる、珠子の大好きな自慢のお兄ちゃんの、それが大槻家での立場なのだ。










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