夢売り

遠部右喬

第1話―枕―

 お初にお目にかかります、『てやんでい 今竹松こんちくしょう』と申します。いずれはテレビで司会業、左団扇でうはうは人生、なんてえのを目標に噺家を目指しました。どうぞよろしくお引き立て下さいまし。

 え? 図々しいって? 失礼いたしました、なんせ「夢はでっかく、言うだけはタダ」がモットーですんで……。


 それにしても、「目標」も「寝てる時に見るモノ」も、一括りに「夢」って字を当てるってのは、何とも不思議なもんだとは思われませんか。

 現実に目指す目標と違って、寝てる時に見る夢は、美味しそうな食事を口にする瞬間、或いは、素敵な異性といざムフフ……てな所で目覚めたり、ストーリー性の無い支離滅裂なものだったりと、実にフリーダムです。あたしも毎日まいんち、今日はどんな夢かな、なんて楽しみにしながら布団に潜り込んでます。


 とは言え、もちろん良い夢ばっかり見られる訳じゃあございません。恐ろしい化け物に追いかけられる夢に飛び起きたことは、何方にも経験がおありでしょう。そんな時は昔から、「悪い夢は人に話せ。そうすれば正夢にならずに済む」なんて言い伝えられてますね。

 それを逆手に取った様なお話で、北条政子が超絶吉夢を見た異母妹を騙くらかしてその夢を買い取り、その夢のパワーで出世街道を驀進する、なんてのが「曽我物語」に載ってます。あれ、本当に曽我物語だったかな? すいません、ちょいと適当言っちまいましたか。

 まあ、何が言いたいかってえと、「夢は他人に譲渡出来るんじゃないか」ってことです。そう考える人が世間にどの位の割合居たかは知りませんが、少なくとも先の物語の作者は、そう信じていたんでしょう。


 現代ではフロイトだのユングだのから始まり、「神憑り的なお告げ」と思われてた「夢」を、自己との対話として研究されてる方も居られる。逆に、夢に意味を見出すことをナンセンスとする偉い学者先生も大勢いらっしゃるでしょう。どちらの仰りたい事も、何となく分かります。夢の中はえらくリアルで、でもその内容は、あんまりにも荒唐無稽で非現実的過ぎもする。落としどころとしては、夢ってのは、現実から影響を受けるけど、実在するものに影響するほどじゃない、ってところでしょうかね。


 でも、本当にそうでしょうか? 色んな物をずっとずーっと小さい単位に遡ってくと、二つ以上の可能性が同時に存在する状態に行き着くらしいじゃありませんか。もしかしたら、夢と現実だって根っこは同じで、夢を見ちまったばっかりに現実に影響が出る、なーんてことも実際にあるかもしれません。


 本日は、そんな噺をひとつ。

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