6.漆黒の悪魔

 漆黒のミノタウロス討伐隊。

 バルアシア王国でも随一の剣の使い手であるエルティア姫と、その腹心である上級大将ルーシアが率いる王国精鋭部隊。美しい白馬に、白銀の鎧を身にまとったエルティアの横に、栗色の馬に銀色の髪を靡かせながらルーシアが歩く。その背にはオリハルコンの長棒。彼女が得意とする武器だ。

 後方には十数名の王都精鋭部隊に、それと同じぐらいの数の上級冒険者が続く。ずっと黙っていたルーシアがエルティアに言う。



「姫様」


「ん、なんだ?」


 馬の歩みを進めながらエルティアが答える。ルーシアが言う。



「実は少し前より、背中の疼きを感じておりまして……」


 それを聞いたエルティアがルーシアの顔を見つめて尋ねる。


「まさか、星のアザか?」


「はい……」


 ルーシアも真剣な表情で答える。

 今、この世界は魔物の脅威に晒されている。『百災ひゃくさい夜行やこう』とも呼ばれる魔物の襲来。バルアシア王国も例外なくその魔物の牙に怯える日々を過ごしているのだが、それを払拭するのが勇者。数百年前に現れたというその英雄を皆が切望している。



「勇者が現れたというのか!?」


 エルティアの問いかけにルーシアが小さく首を振って答える。


「分かりません。ただ何かが変わりつつあるのかもしれません」


 そしてその勇者と共に魔を打ち払うとされる『六星』と呼ばれる従者達。勇者の出現とともに力を発揮するのだが、伝承ではその六星にはある特徴がある。



「星形のアザか……」


 エルティアが小さくつぶやく。

 六星に選ばれし者には、その体のどこかに『星形のアザ』が現れるという。そしてそれらしきアザがルーシアの背中にもあった。ちょうど肩甲骨の横、小指の先ほどの小さなアザ。それが疼くという。ルーシアが言う。


「正直私には何も分かりません。ただ心地良い疼きというか、体に力が満ちるような感覚とでも言いましょうか」


「そうか。それは心強い。もしかして後ろの冒険者の中に勇者様がいるのかもしれないな」


「そうですね。それならばどれだけ頼もしいことでしょうか」


 そういいながらふたりは今回の招集に集まってくれた上級冒険者達を見つめる。そこに勇者はいるのか。ただエルティアは全く別のことを考えていた。



(野獣様はいらっしゃらなかった。星の疼き。もしかして彼が勇者様なのだろか。それなら合点が行く……)


 圧倒的強さを誇った野獣少年。その存在自体が強烈すぎて未だエルティアの心の中に鮮明に残っている。漆黒のミノタウロスは恐ろしい。だが心のどこかでまた彼が助けに来てくれるのではないかと期待する自分がいるのも確かであった。




「姫様、間もなくミノタウロスが目撃されたエリアです!!」


 王兵の報告に一行の身が引き締まる。

 未知の魔物である漆黒のミノタウロス。先の深紅のミノタウロスと何か関係があるのか。ここ数年起きている『百災夜行』との関係は? そんな一行の目の前に、皆を黙らせるような光景が広がった。



「これは、酷い……」


 小さな集落。土や石、藁ぶきで作られた家屋が並ぶ小さな集落が、ほぼ壊滅状態となって目の前に現れた。建物はほぼ崩壊。人の亡骸は見当たらないが家畜が食い荒らされた跡があちらこちらに残っている。エルティアが尋ねる。


「村の者達の安否は?」


「分かりません。ただ多くが逃げ出せたとの報告が……」


 王兵がやや困った顔で答える。この最悪の状況。情報もままならぬのは致し方ないこと。



「ギャキャキャキャキャ!!!」


 そんな壊滅した集落に入ったエルティア一行の周囲から、突如魔物の鳴き声が響く。反射的に抜刀する王兵や冒険者達。その声が増えると同時にエルティアが叫ぶ。


「総員、戦闘態勢を!!」


 その声で皆が敵襲に備え戦闘態勢を取り始める。


「あれは……、ゴブリン??」


 集落の周りにある森から現れたのは無数のゴブリン達。魔物レベルでは下級であり、ここにいる精鋭達にとっては取るに足らない相手。一瞬広がる安堵の空気。だがすぐにルーシアが叫んだ。



「気をつけろ!! 何か来る!!!」


 オリハルコンの棒を握りしめ、ゴブリン達の後ろからやってくる悍ましい気配に気付いたルーシア。そしてそれは大きな足音を響かせながら彼女達の前へとゆっくりと現れた。



「こ、これが漆黒のミノタウロス……」


 先日遭遇した深紅のミノタウロスよりさらに大きく逞しい体。その名の通り肌は黒く、全身に幾つもの大きな古傷がある。手には朽ち果てそうな巨大な古斧。体からは発せられる邪気は、その周囲の空間を歪めてしまうほど忌々しい。


(これは、まずい……)


『飾り姫』と呼ばれてはいるが、王都随一の剣の使い手であるエルティアにはその強さが理解できた。先の真紅のミノタウロスとは比べ物にならないほど強い。恐ろしく凶悪で、その強さはあの漆黒の肌のように深く見えない。すぐに馬から降り、命を下す。



「防御陣形を取れ!! 敵わぬと思った者はゴブリンに当たれ!!」


 強者だからこそ分かる敵の強さ。無駄死にを避けるために自信のない者は周囲に現れたゴブリン討伐に当たらせる。



「ゴブリンなんてやってられるか!!!」

「俺達が討つ!!!」


 エルティアの命令に順応な王兵とは対照的に、報酬につられて集った冒険者達は目の前の賞金首にいきなり斬りかかり始めた。皆、Aランク以上の冒険者。彼らにはここまで上り詰めてきた矜持がある。


「ま、待て!! お前達っ!!!」


 だから『飾り姫』などと揶揄されるエルティアの言葉など最初から聞くつもりはなかった。突撃した冒険者数名がミノタウロスに斬りかかる。



「うおおおおお!!!」

「くたばれぇえええ!!!」


 皆優秀な戦闘スキル持ち。自身の持つ最高の技を繰り出し、未知の魔物に襲い掛かる。



 シュッ……


 巨躯のミノタウロス。その大きな体が一瞬皆の視界から消えた。ルーシアが叫ぶ。


「後ろっ!!!」


「!!」


 突撃した冒険者達は空振りに終わった攻撃の直後、背後に感じた恐ろしい邪気に身震いした。



 ドオオオオオオン!!!!


「ぎゃああああ!!!!」


 ミノタウロスが持つ古くて巨大な斧。それが容赦なく冒険者達の周りで振り回される。吹き飛ぶ冒険者達。それはまるで柔らかな稲を刈る大きな鎌のようにすら見える。



「な、なんだあいつ……」


 幾つもの修羅場を潜り抜けてきた冒険者もその光景に唖然とした。大きな体に似合わぬ俊敏さ。一流の冒険者達を一振りで吹き飛ばす腕力。見た目からは想像できない冷静な判断力。

 想像以上の敵の強さを知り尻込みする冒険者の前に、その銀髪の騎士が仁王立ちする。



「姫様、ここは私が」


 上級大将ルーシア。右手にオリハルコンの長棒を携え漆黒の悪魔に対峙する。エルティアが言う。


「無理をするな。敵わぬなら退くこと」


「はっ」


 エルティアに背を向けたままそれに答えるルーシア。対峙した時から目が離せなかった。一瞬でも隙を見せればやられる。それはひしひしと感じていた。



(私は、また動けぬ……)


 王兵に守られ指揮をするエルティア。

 魔物の姿を見ると恐怖で動けなくなる。練習でどれだけ強かろうが、実戦で役に立たねばやはりそれは『飾り姫』。前回一時的でも動けたのでトラウマは解消されたのかと期待したが、やはり何も変わっていなかった。



「行くぞ、漆黒の悪魔っ!!」


 ルーシアは手にしたオリハルコンの棒をクルクルと回しながら突撃する。


「ギャギャギャ!!!」


 その彼女に飛び掛かるように襲い掛かるゴブリン。ルーシアは気合を入れてそれを長棒で薙ぎ払う。



「はああっ!!!」


 ドン、ドドドオオオオン!!!


 ルーシアのスキル『爆裂』。手にした棒に触れた物に爆裂を起こす超優良攻撃スキル。使い手との能力差が大きければ触れた瞬間木っ端微塵に吹き飛ぶ。



「すげえ、あれが『王国守護者』ルーシア上級大将……」


 そんな彼女の二つ名は『王国守護者』。絶対的戦闘能力で幾度も国の危機を救ってきた。弱小国バルアシアが戦では大きな敗北を期さないのも彼女の功績が大きいとも言われている。



(捉えた!!)


 ゴブリンを爆破したルーシアはそのまま漆黒のミノタウロスへと突撃。一瞬でその攻撃射程内へと移動する。


「はああ!!!」


 ミノタウロスの斧をかわし、体勢を崩しながらもルーシアの長棒が敵の胴へと打ち込まれる。



「爆ぜよ!!!」


 ドオオオオオン!!!


 爆発。辺り一面に響き渡る爆破音。

 王国最強守護者の可憐な攻撃に、集まった上級冒険達も思わず手を止めて見入る。だがエルティアはすぐにその異変に気付いた。


「下がれ、ルーシア!!!」


「!?」


 爆裂の煙が立ち込める中、渾身の攻撃を放ったルーシアにその煙の中から大きな斧が振り下ろされた。



 ガン!!!!


 間一髪、手にした長棒で防御したルーシア。だがその細い体は強力な攻撃を受けはるか後方へと吹き飛ばされる。


「ルーシアっ!!!」


 思わずエルティアが駆け付ける。倒れたルーシアを抱きかかえ尋ねる。


「大丈夫か!!」


「はい、申し訳ございません……」


 怪我は酷くない。ただ漆黒の悪魔の直の攻撃を受けたルーシアは、無意識に体の震えに襲われていた。



 ――勝てない


 強者だから分かる相手の力量。正面からまともにぶつかって勝てる相手ではない。



「な、なんだよ、あの強さ!?」

「お、俺はAランクだから、もう無理だ!! 後は頼む!!」


 口ばかりの冒険者達は相手が強すぎると分かるとすぐにその場から消えるように逃げて行った。命あっての冒険者。彼らはそうやって生きてきたし、それは正しい選択。

 だが、指揮官として国を預かるふたりにはそんな選択肢はなかった。



(このような危険な魔物を放置できない!!)


 勝てるかどうかは分からないが全力を尽くす。このまま放置はできない。相手はたった一体で王都を崩壊させられるほどの危険個体。

 よろよろと立ち上がるルーシアが再び長棒を構える。エルティアも剣を構えた動かぬ体に向かって、呪文のように心の中で叫ぶ。



(動け動け動け、動け、この体っ!!!!)


 恐怖で鉛のように固まってしまった体に必死に力を入れるエルティア。真面目で責任感が強い彼女。その判断が更なる危機を呼び寄せる。

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