第172話 当主の呼出し

 京都の一角に存在する広大な土地の中にあるお屋敷。その歴史を感じさせる木造建築は立っているだけで荘厳なる雰囲気を醸し出している、まさにこの京都を象徴する旧家を体現していた。

 そのお屋敷の当主、芦埜あしの景久かげひさ。少しばかり長い白髪と威厳を感じさせる顎髭を蓄えた外見。

 齢六十を超える身でありながら、京都のみならず術者の間では知らぬものはいないとまで評される実力者でもある。


「ほう……。伊織が京都に戻っているか……。柳玄の元に行くのは黙認したが、表の仕事をしているとはな。あの馬鹿孫めが」


景久かげひさ様、実は伊織様の件でもう一つご報告が」


 部下の一人であろう黒服の男が彼に耳打ちをする。その途端、景久かげひさの眉間にはシワが寄り、怪訝な表情を浮かべてしまっていた。


「神屋明澄の弟子がこの京都に……だと?」


「はい。どうやら修学旅行のようですが……、それよりも……」


「どこで接点があったかは知らんが、伊織とも顔見知りであった……か」


「どうなさいますか? 弟子とはいえ、あの神屋明澄の関係者です。本人もかなりの使い手だと聞いております」


 その報告に対して、顎に手を当て数秒ほど目を閉じた。そして静かに口を開く。


「対策室の人間であれば、挨拶に出向かねばなるまい。準備せい」









「ほれ、スリーカード」


「うお!? また功の勝ちだと!?」


「ふ。俺のポーカーフェイスに隙は無いのだよ」


 夕食後のホテルの一室にて、就寝までの時間を過ごしていた。スマホで遊んでも良かったのだが、今回は定番のポーカーを楽しんでいる最中だ。


「もうすぐ就寝時間かあ……。布団敷いて寝よ」


「ええい! ホテル抜け出して遊びに行かないのか!?」


「行ってどうするんだよ、注意どころじゃ済まないだろうが」


 特に俺のお仕事は夜中が主流なので、ちゃんと眠れる日は寝ていたいのだ。


 そう考えていた。考えていたというのに、何でこんな時に限って、普通の人には見えない蝶々が壁をすり抜けて俺の耳元まで来ているのか。


『式神を通した言葉で失礼する。日付が変わる前に、この場所にて落ち合いたい』


 ご丁寧に場所まで指定してのお誘いだ。伊織さんと会った時に、術者が数人いたのは知ってたけど、何でそれで俺にこんなのが来るのだか。


 声からすると、かなりのご高齢のようだし……京都の重鎮かな? 無視すると師匠せんせいに苦情が行きそうだしなあ……。


 内心げんなりしながら、ホテルを向け出す算段を考えて、誰にも気付かれないように指定場所へと向かって行った。










 日付が変わる直前、指定された場所に向かう。月明かりも雲で遮られ、闇夜の静かな林の中を足音を立てずに歩いていた。


 そんな中で俺の気分はあまり優れていなかった。理由は京都に入ってから常に視えて・・・いる都全土を覆う結界の異様さに当てられてしまっているためだ。


「うえー。夜にこの結界を視ると、異様さが際立ってる~。もしかして夜中の方が強力になるような仕掛けか?」


 表層から視えているだけの情報でも、この結界は例えるなら密林の中に設置した人間しか分からないようなブービートラップが所狭しと仕掛けられている感じなのだ。

 少しでも弄ろうものなら、どこかで罠が作動して対象者に襲いかかる。

 それだけは絶対の確信があるのだ。


「京都って、やっぱおっかねえ……」


「ほう、第一声がそれかね? この地の格を少しは理解しているようだ」


 周りを観察しながら歩いているうちに、指定の場所に着いていたらしい。ついでに俺の独り言まで聞かれて、ちょっとだけ恥ずかしい。


 自分を呼び出した者達と対峙する。一人だけ、いかにも家元でございといった雰囲気の威厳のある老人。その老人の後ろで数人の黒服を纏ったボディーガードらしき人間が佇んでいる。


「申し訳ありませんが、用件があるのでしたら手短にお願いします。これでも修学旅行中で、ホテルを抜け出して来ていますので」


「貴様……、景久かげひさ様に向かって不遜な振る舞いは許さんぞ!」


 俺としては、無視しないで時間通りに指定の場所まで来たのだから、文句を言われる筋合いはなのだが、少しばかりカチンとくる物言いをする黒服の一人であった。


「よい。呼び出したのはこちらだ」


 景久かげひさ……。この京都に居を構えて数百年とも言われる芦埜あしの家の当主と同じ名前。まず間違いはないだろう。


「少しばかり世間話を……と思っていたのだがね。後ろの彼らについては気にする必要はない」


 んな事を言われたって、どう考えても楽しくお話といった雰囲気じゃない。


「まずは……。我が孫、伊織が世話になっているようだ。それについて少し聞きたいことがある」


 へー。やっぱり伊織さんの血縁者だったんだあ……。世話になった……。えっ? これってもしかして……お礼参り的な状況か!?


 どう考えてもヤバい話にしかならない気がするので、ジャンピング土下座で地べたに頭を擦りつけながら、大声で謝罪してしまう。


「大変申し訳ありませんでした! お宅のお嬢さんと知らず、術発動を阻害しながら転ばして、身動き取れないように足蹴にしてしまいました! こちらとしては戦闘行為になってしまって仕方ない部分もありまして!」


 夏休み前の呪い人形の時の報復だろうと考えた俺は、土下座しながら当時の状況を説明しながら釈明をするしかなかった。


「…………」


 それを聞いた景久かげひさ氏、無言でプルプル震えていた。笑いを堪えているとかではなく、怒りがこみ上げている雰囲気を出している。


「とりあえず立ちなさい。その件は、のちに確認するとして……だ。どうやら伊織とは親しいようだな?」


「は、はあ……。親しいって程ではないですよ。少しだけ縁があって知り合った程度です」


 威圧感はそのままの景久かげひさ氏であったのだが、どうやら俺と伊織さんが知人であったことを最近知ったような感じだ。


「ふむ……。そうか。それならば、一つ頼みがある」


 あ、これ面倒なヤツだ。お断りするのが最善のはず。


 その考えで、すぐさま口を開こうとしたのだが、あちらの方が早かった。


「恥を晒すようだが、伊織は京都の家を出て柳玄りゅうげんの元に身を寄せているのだ。君から伊織に京都へ戻るよう説得してはもらえんか?」


「それはご本人に直接仰った方がよろしいのでは?」


「あの孫娘、誰に似たのか気が強くてな。こちらが言ったところで反発するのが眼に見えておる」


 それは多分、あなたに似たのですよ。などと言ったら話がややこしくなりそうなので、お口にチャックをするイメージで口を紡ぐ。


「君も術者の端くれなら分かるだろう。この道で生きて行くには、人生を捧げるほどの鍛錬と、それを可能とする環境が必須だと。芦埜あしの家はそれが可能な場所でもある」


 一理あるっちゃあるんだけどなあ。どうも言い方が気に入らない。


「ちなみに断ると?」


「どうもせんよ。もしかすると、対策室の予算について苦言を呈する先生方も出るかもしれんが。その程度だ」


 こんの腹黒ジジイ。対策室うちが国家の予算で成り立っているのをいいことに政治家に圧力かける気でいやがる。


「はあ……。分かりました。分かりましたよ。ただし、言うだけです。その後で伊織さんが断ったら、それで終わり。構いませんね?」


「ああ。それで構わん。同年代の人間の言葉なら少しは耳を傾けるだろう」


 この爺さん、ぜってー嫌われて伊織さんも家出した口だ。間違いない。


「では、俺はもう行きます。早めに戻らないと教員の見回りもありますので」


 流石に急いで戻らないといけないので、颯迅足そうじんそくを用いて全速力でホテルへと向かう。


「神屋の弟子というのは真のようだ。あの速さ、神風かぜの技でなければ出せん。伊織が遅れを取ったというのも、間違いではあるまいて」


 景久かげひさ氏の言葉は、闇夜の中へ静かに溶けていったのだった。

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