第2話:動き出した時間

『明日、夏野さんに告白する』

 そう啖呵を切ったが、さて、どうやって切り出せばいいのか。

 目の前では黒板に文字を刻む退屈な音が響き、周りはそれを一生懸命に書き写す音がする。先生が汗だくになりながら、授業をしているが、残念ながら花火の頭の中は数式のことよりも、昨日宣言した言葉が反芻してばかりだ。窓際の後ろの席はこういう時に便利なんだなと、どこか他人事のように感じていた。

 花火は席を窓の外から、右側に移した。その先には花火の頭を悩ませる元凶がそこにいた。

 夏野蒼。

 神様のいたずらか、席替えで僕は彼女の隣の席をゲットした。誰が見てもこれ以上ない好機だ。

 花火は彼女に見とれる。髪は肩ぐらいの短さに切られている。色素が薄いのか、髪の色はやや茶髪気味だった。

 横髪の間から耳が覗く。彼女は左手で、横髪を耳にかける。そのしぐさがとても美しく、さらに花火の目をくぎ付けにした。

 長いまつ毛、きめ細かい肌、彼女のあらゆる要素が僕をくぎ付けにする。彼女は黒板を見つめ、数刻した後、黒板から手元のノートに目線を移す。そして黒板にある内容を一生懸命に書き写す。

 彼女の隣の席になってから、花火の中で彼女の印象が少しずつ形成されていった。彼女はとてもまじめで授業中に寝たり、あくびをしたりすることはない。真摯に先生の話を聞いて、授業の内容を書きとめている。

「おい、聞いてんのか、空野」

 突然そう怒号が飛んできたもんだから、ひどく体をびくつかせた。はい!とすぐに直立した。彼女も隣でびくっとさせて、心配そうに花火の方に顔を向ける。

「お前、授業聞いてんのか」

「......おぼろげながら」

 その一言に隣からふとクスっと声が聞こえてきた。彼女の方をふと見やると、彼女は口元に手を抑えて、笑いをこらえているのに気付いた。目の前の怒られている現実など忘れ、心の中でガッツポーズをする。

「じゃあ、お前この数式の名前を答えてみろ」

 先生が意地悪気にそう言った。そういって、先生は黒板に書いてある数式を指さした。

「うーん......」

 困った、まったくわからん。

 みんなこんな難しい問題理解してるの?すごくない?

 そんなことを考えながら、花火はただ立ちすくんでいた。すると、脇腹をつんとつつかれたのがわかった。その先を見ると、花火を悩ませていた元凶がシャーペンでノートをトントンと叩いていた。叩いている先を見ると、「加法定理」と数式の名前らしきものが書かれていた。

「加法定理です」

 花火はとっさにそこに書かれた文字を読み上げた。すると先生はいぶかし気に「正解だ」と納得いかないような表情を浮かべながら花火を座らせた。

「一難さった.......」

 そう独り言ちた。授業中は授業のことをしっかり聞かないといけないな、そう思ったのもつかの間、視線を夏野の方に移した。すると、目が合った。

 夏野も花火の方を見ていた。彼女は手に顎を乗せながら

「.......危なかったね」

 そう顔をクシャリとして笑みをこぼし、小さな声でつぶやいた。

 一難去ってまた一難。花火はどう返したらいいのかわからず、心臓が今日一ドキドキしているのを感じながら、そして今にも崩れそうな心と、口角が上がりそうになるのを我慢して

「......余裕」

 とだけ答えた。


 今日の授業が終わった。とはいうものの、授業の内容が頭に入っているかと言われれば自信はない。唯一、授業中に夏野から教えてもらった数式だけはかろうじて覚えていた。

 夏野は自分の席でカバンに教科書を入れて、下校の準備をしていた。その所作は美しく、教科書やノートが傷んだりしないように丁寧にカバンの中に収納されていた。物持ちがいいタイプなんだろうな、と何となく思った。

 そんなことを言っている場合じゃない。今にも夏野は帰ろうとしているのだ。明日は終業式、ならば今日が実質声をかけるラストチャンスじゃないか。

「夏野さん!」

 気づいたら彼女に声をかけていた。普段からあまり大声を出さないからか、あまり大きな声にはならず周りには聞こえていなかったようだ。

「どうしたの?」

 夏野にはしっかり聞こえていた。カバンに教科書をしまう手を止め、花火の方に視線を向ける。彼女が目を丸め、首をかしげている仕草がかわいい。そしてその所作で前髪が少しだけ落ちてきているのも彼の所作に魅力を加えていた。

「明日、終業式の後、空いてる?」

 ついに言ったのか?自分の言葉のはずなのに、とても他人事になぜか冷静に事態を分析していた。

「空いてるけど、なんで?」

 夏野は心底不思議そうに質問を返した。

「一緒に、行きたいところがあるんだけど、付き合ってくれない?」

 もはやぶっつけ本番の完全なアドリブだ。彼女が何を返してくるか、彼女に自分の発言がどう見えてみるか、そういったことを気にかける余裕もないくらい、今花火は自分の話している言葉すらまともに咀嚼できずにいた。

 夏野はしばし考えた仕草をして、

「......いいよ」

 その言葉を花火は息が止まりそうな思いで、何とか咀嚼して理解した。

「......集合場所は南口の校門......でどうかな」

「うん......わかった」

 夏野は花火の提案を承諾した。


 こうして、花火と夏野の時はようやく動き出した。


 いつめん、グループチャットにて。

花火『夏野に話しかけた』

紫音『お?まじか』

太陽『なんて話しかけたん?』

花火『終業式の後時間空いてる?って』

 既読はついた。しばしの沈黙。

紫音『それで?』

花火『空いてるって返してくれた。明日HR終わったら一緒にそのまま出掛ける』

 クマが照れているようなスタンプを紫音が放つ。

太陽『やったじゃんか』

紫音『じゃあ、あとはしっかりエスコートしてあげなよ』

花火『ありがとう』

紫音『明日くらいは髪セットしたりちょっとくらいなら香水つけてもいいんじゃない』

花火『おかんか』

太陽『大事なことだと思うぜ、身だしなみは』

紫音『きっと夏野さんもさ、自分のために気合入れてくれたんだってなってうれしいと思うし、やって損はないよ』

花火『そういうもんなのか......』

紫音『そういうもんなの!』

花火『でもワックスも香水も持ってない......』

紫音『まじかよ、、、あーもう!!』

紫音『花火、今から最寄りのスーパーに集合!』

花火『え、なんで?』

紫音『なんでって、ワックスと香水買うからに決まってんだろ!いいか、変な香水やらワックス買わないようにするためだ』

 花火と紫音と太陽そのあと合流して、ワックスと香水を買いに行った。

 

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