第45話 ハスターの暗い恒星 定点3

 そこは死者の都だった。

 ハスターの暗い恒星。ダークマターとダークエネルギーで充ちたこの場所は、生命を持つものにとっては死で溢れた場所のように思える。


「なんでだろ、前は死者のことしかわからなかったのに、ダークマターってそれだじゃないように思える」


 自身もまたダークマターの肉体と化した結杏ゆあがボソッと呟いた。


「そりゃそうだ。生命が宇宙にどれだけの数がいると思う? 宇宙の物質の25%はダークマターといわれてるんだぜ。死者なんてのはダークマターのごく一部に過ぎねぇのさ」


 黒ウサギの姿をした宇宙生物ミ=ゴであるミーちゃんが言う。

 言われてみれば、もっともなことだ。


「そんなことより、状況把握を急いだほうがええとちゃうんか? ここはハスターの暗い恒星やろ。その時間軸にまで、ワイらは戻ってきたんや。

 ワイらはここで、あの名状しがたきもの、黄衣の王、ハスターに目を付けられたんやで。今はその前なんやろな」


 そう言いながら、最新鋭ロボットであるMINEマインは複数の監視ポッドを起動し、周囲を哨戒させた。

 そう言われると、結杏も不安になり、周囲を見渡す。


「あっ!」


 そして、見つけた。というか、大気が完全に覆われている。

 この星を取り巻く大気には、巨大な蜥蜴のような、無数の触手に覆われているような、名状しがたいものとしか呼べない存在に満ちていた。

 それがハスターと呼ぶべき存在だと、結杏にははっきりとわかる。


「ああ……」


 ミーちゃんもわずかな声を漏らした。ミーちゃんもまた気づいたらしい。


 ギロッ。そんな音が鳴ったように思える。

 ハスターの暗い目がこちらを見ていた。視線をはっきりと感じる。


「ワイは覚えてるやで。この視線のあと、ハスターの攻撃を受けるんや。

 おしまいやで。あの時の結杏は星間を飛行するもの、バイアクヘ―の姿になっとった。せやけど、今は宇宙ロケットすらないんや」


 MINEの顔のモニターにいくつもの数式が走り、そして、エラーを示す赤い文字列が並べられた。


「落ち着け、宇宙ロケットは今どこにある? それだけ思い出せ。俺たちはそこに逃げるしかない」


 ミーちゃんが言う。しかし、それに反応したMINEのモニターの数式もすぐに赤文字でエラーを示した。


「それがわからないんや。今がどの時間軸にあるのか、情報が不足しとる。

 そもそも、以前にハスターに見られた時は、宇宙ロケットに乗ってる時やった。ワイらの反応のせいか、時間の流れがだいぶ変わっとるんや」


 MINEがモニターに高速で数式を流しつつ、そう言った。


 すると、次の瞬間、大気中にいたハスターが姿を消す。それと同時に、黄色のローブを纏った人間サイズの存在が三人の前に現れた。

 ミーちゃんが呟く。


「まさか、黄衣の王……。この姿は俺たちを確実に葬るために現れたというのか」


       ◇


 ダークエネルギーの嵐が吹き荒れる中、黄衣の王ハスターの黄色の衣が棚引いていた。そして、その周囲だけが穏やかであるようにも感じられる。奇妙な光景だった。

 だが、ミーちゃんとMINEマイン結杏ゆあの前に出た。ハスターを警戒しているのだ。


「危害を加えるつもりはない。

 貴様ら、変わったな。クトゥルフの匂いを纏わせていたから、奴の手のものと判断したが、今はヨグ=ソトホースの匂いも混じっている。つまり、綻びを繕うものというわけだ」


 その黄衣の奥、底知れぬ闇としか桂陽のできないその貌から声が発せられた。意外にも、それは三人に理解できるものである。


「ね、ねえ、話の通じる相手……ってこと?」


 緊張感の漂う中、結杏がぼそりと呟く。それがきっかけとなって、三人の緊張が途切れた。


「あ、ああ、対話する気もないのに言葉を発するような存在じゃねぇ。とりあえず、この場で俺たちが消されるわけじゃないようだ」


 ミーちゃんの声にも安堵が見える。

 MINEは顔のモニターに数式を走らせつつ、言葉を投げかけた。


「綻びを繕う……ちゅうんはウムル・アト=タウィルからも言われたやな。

 そして、黄衣の王ちゅうたかな、ワイらに何か頼みがあるってことなんか? 話しかけてくるっちゅうんはそういうことやろ」


 すると、ハスターの内側にある暗黒がまた震える。


「貴様らが綻びを繕うものであるならば、余の思惑に叶うものである。力を貸そうではないか」


 ハスターがそう言うと、グキュウゥという音が鳴った。結杏の腹の音だ。


「ごめんなさい、なんか、安心したらお腹すいちゃった」


 結杏が謝ると、空気が震えた。まるでクククとでもいうような、小刻みな奇妙な震えだ。


「これは笑ってるんかな。結杏の緊張感がないからや」


 MINEが言う。二人の緊張感は完全になくなっていた。

 それを見て、ミーちゃんがため息をつく。


「まだ、どう転ぶかわかったもんじゃねぇんだけどな」


 黄衣の王がただ暗黒だけがある腕のようなもので指し示すような動きをした。


「生物には食事が必要だったな。用意してある。ついて来るがいい」


       ◇


 それは建造物のようでもあり、自然が抉り出した洞窟のようでもある。

 だが、ダークマターで生まれたものであり、今の結杏ゆあにはどうにか識別できた。同じダークマター、ダークエネルギーであれ、触れただけで三人が吹き飛ぶものもあれば、安全なものもある。なんとなく、その違いが判り始めていた。

 だが、MINEマインはダークマターもダークエネルギーも見ることができないので、結杏やミーちゃんの動きをトレースして、どうにかついて来ている状態である。


「まずはこちらを飲んでいただこう」


 黄衣の王は玉座に座り、三人もまたその前にある席につかされた。

 そして、黄衣の王が合図をすると、暗黒の塊のような従者が現れ、テーブルの支度を始める。そして、三人の前に酒が注がれていた。


「なんだろ、これ、ダークマターだってことはわかる。けど、なんか形容が難しい」


 結杏にはダークマターの違いが分かるようになってきていたが、それでもそれを何と言葉にしたらいいかわからない。それまで感じてきたどの色とも形とも一致しないからだ。

 それでも、その酒の色は爽やかで、瑞々しく、透明感のあるものだった。グラスを上げ、香りを嗅ぐと、その柑橘のような、初めて味わうような、それでもスッキリした香りが広がっていく。


「まあ、いいや。わかんないものはわかんないよ。

 じゃあ、みんなっ、グラスを持って! 乾杯!」


 三人はグラスを手にして、高く掲げた。大きなテーブルで隔てられているため、グラスを合わせることはできない。

 結杏はそのまま、グラスに口をつけ、酒を飲んだ。少し甘く、少し酸っぱい。そして、炭酸のようなシュワシュワと破裂するような感覚があり、それが全身を巡った。

 それはすぐに消えるが、お腹がすくものを感じる。食欲を促進させる作用のある酒だったようだ。


「不思議な感覚やで。どうにかワイにも食器の場所がわかるように赤外線に反応する部分をつけてくれてはいるが、それを頼りに山勘で飲んでるような気分や。

 でも、味は面白いで。爽やかな味わいが瞬時に血液っちゅうか、体内のセンサー全てを巡るような感覚や。それに、五感が鋭敏になっていくっちゅうか、不思議な作用があるみたいやな」


 MINEも同じようなことを感じているらしい。

 ミーちゃんは特に言葉を発さない。おとなしく酒を飲んでいた。


 暗黒の従者が皿を持ってきた。皿の上にいくつかの小品というべき料理が乗っている。


「わあ、これなんだろう。色とりどりって言いたいけど、なんて色が全然わかんないや」


 そう言いつつ、結杏が料理に口をつける。

 一つは魚のようであった。酸味が利いているが、見事に調和がとれており、一口で完成された食事のように味わえた。ただ、量が少なく、もっと食べたいと食欲が掻き立てられた。

 次にサラダ。果汁のたっぷり入った野菜とチーズのような発酵食品が組み合わされており、野菜の瑞々しい味わいにクセの強いチーズの香りがさらなる旨味を与えている。これもあっという間になくなった。

 それに野菜の漬物。酸味が強いようにも感じるが、それにダークマターの酒を合わせると、奇妙なことに実に調和がとれる。


「うんうん、どれも美味しいね。次のお皿も期待が膨らむよ」


 結杏が食べて飲みながら、ニコニコと笑った。

 それにミーちゃんも同意する。


「これは歓迎されてると見るべきか。なんか後が怖ぇけどな」


 そんな話をしていると、新たな皿が置かれた。今度はスープである。


「あ、甘い。なんだろ、これ何のスープなんだろ」


 それは穀物のスープのようであった。それがドロドロに溶けており、その甘さが濃厚な味わいとなっているのだ。

 それは単純な甘さでなく、穀物の栄養が溶け込んだものであり、旨味のコクが強く感じられた。


「これは濃厚やなぁ。でも、スープなので食べやすいやで。飲みやすいっちゅうのが正しいんかな」


 さらに暗黒の従者が新しい皿を持ってくる。それは肉のようだった。


「これ、お肉かな。お魚なのかな。不思議! どっちの感じもある」


 食べながら、結杏は不思議な疑問を感じた。それは肉のような歯ごたえがありつつ、口の中で魚の身のように解けていくものを感じる。

 どこか淡白な味わいながら、肉の野性味がしっかりある。その両者が奇妙なことに合致しているのだった。


「確かに、こりゃわからんわな。どっちの感じもあるで。

 これはもしかしたら、あれやないか。結杏も昔変態していた、深きもの。あれなら、こんな味の肉が取れそうや」


 MINEがそう言うと、結杏は笑う。冗談と取ったのだ。MINEも自分で言っていて、笑っていた。

 ミーちゃんだけは深刻そうな表情のまま肉を食べる。


 また、暗黒の従者が新たな皿を持ってきた。

 骨の付いた肉であるが、三人が少し食べると、暗黒の従者が再びソースの入った器をもって現れる。そして、その肉にかけた。


「お肉もただでさえ美味しいんだけど、このソースかかるとすごい美味しい! これチーズなのかな、すっごいまろやかな味だよっ」


 結杏はニコニコと笑いながら、肉を食べる。

 肉は野趣味たっぷりでクセのある味わいだったが、結杏はそれも美味しいと感じながら食べていた。だが、チーズのようなソースがかかることで、その癖が吹き飛び、まろやかな味わいと肉の旨味が合わさり、絶妙な美味しさになっていたのだ。


「まあ、これは美味いに決まっとるわな。約束された美味しさやで」


 MINEはそう言いながら、夢中で肉を食べ進める。

 ミーちゃんも一心不乱に肉を食べ、ぼそりと「いい味だ」と呟いた。


「ふふふ、まだフルーツやスイーツを用意してある。楽しんでくれたまえ」


 黄衣の王のローブから、深淵と思える暗黒が震え、その声が聞こえてきた。


       ◇


 デザートも食べ、お腹いっぱいになるころ、結杏ゆあの身体も変態を始めた。

 結杏自身でさえ、形容しがたいその身体に肉が宿る。


 その顔は馬のように伸びていた。首は長くなり、全身が羽毛で覆われていた。前足の代わりに、巨大な翼を得ており、どうやら飛べそうだ。


「これはあれやな、ワイのデータベースにもあるで。シャンタク鳥や。伝承っちゅうか都市伝説の類のようやったが、結杏が変態するっちゅうことは実在するんやろな」


 MINEマインがその姿を見て、モニターに数式を羅列しながら、そう分析した。


 だが、そのやり取りを余所に、黄衣の王がミーちゃんを見つめていた。

 そして、口を開く。


「本題と行こう。貴様に余を預ける。その力、正しく使うことを期待しているぞ」


 黄衣の王の動向を油断せず、見守り続けていたミーちゃんだったが、その言葉に唖然とする。


「どういうことだ? 俺たちに同行するのか?」


 すると、黄衣の王は姿を変える。まるでインクに変わるように、その身体と黄衣は液体と化し、ミーちゃんの耳の裏側に貼りついた。

 それはまるで三方向に飛び交う風のようなサインとなる。


「これが黄の印……。これは呪いか、それとも希望か」


 ミーちゃんが沈痛な面持ちで思案していた。それは生物が受け取るには大きすぎる力である。

 そんな中、MINEが声を上げた。


「宇宙ロケットの場所がわかったやで。ワイについて来るやで」


 思考を巡らせていても埒が明かない。

 ミーちゃんはMINEに向けて、声を出した。


「おい、場所がわかっても、お前じゃダークマターの道はわからねぇだろ。場所を教えろ。案内は俺がやる」


 その言葉とともに、三人は宇宙ロケットに向かって歩き始めた。

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