第35話 星のゆりかご
「え? ウソでしょ……」
呆然としたように
宇宙ロケットの中には、結杏のほか、最新鋭ロボットの
「間に合わなかったんちゅうんか。いや、ミーちゃんは死んだわけでも消失したわけではないはずや。せやけど……」
MINEの顔にあるモニターで膨大な量の数式が延々と流れる。時折、数字が赤くなり、エラーを示した。
「せやけど」の次の言葉をなかなか発することができないでいる。
「ミーちゃん、言ってたよね。ミ=ゴはこんなことじゃ死なないって。でも、再生しても、記憶は失ってしまうんだよ」
結杏がキラキラと輝きながら、その顔を俯かせる。
それは、一緒に旅してきたミーちゃんはもう存在しないことを意味していた。
「せやな、戻ってくるミ=ゴはもうミーちゃんやないのやろな」
MINEのモニターを流れる数式はエラーで真っ赤になる。そのエラーはMINEの感情に由来するものなのだろう。
宇宙ロケットは惑星の軌道をスイングしていたが、いつの間にかスイングバイし、超高速で航行していた。
やがて、星々の光が届かなくなる。暗い空間に訪れていた。
「ここって、どこだろ? どんなとこ?」
呆然としていた結杏がやはりボケッとしてたMINEに尋ねる。
MINEのモニターに白い数式が延々と流れた。
「ここは暗黒星雲やな」
MINEが言う。
「えっ。
結杏が疑問を抱く。それに対して、MINEはモニターに数式を羅列しつつ答えた。
「ちゃうな。まあ、似た名称だから誤解しがちなのやもしれんが、暗黒物質と暗黒星雲はまったくの別物や。
暗黒星雲っちゅうのは天体の一つや。ガスやチリで構成されてるんやが、それが光を吸収しやすい物質が集まったんやろな。その空間は真っ暗になるもんで、暗黒星雲って生まれるんやな。
それにな、暗黒星雲には別名があるんや。こういう場所はやがて新たな恒星や星系が生まれる土壌になるんやな。ゆえに、星のゆりかごとも呼ばれているんやで」
それはロマンチックな呼び名だった。
「へぇー、そんな呼び方があるんだね。もしかしたら、星が生まれる瞬間が見えるかもね。ね、ミーちゃん」
思わず、この場にいない宇宙生物に声をかける。
しばしの沈黙が続いた。しかし、ミーちゃんはもうこの場にはいないのだ。
◇
「よく宇宙は広いっちゅうけどな、その広大さをもっとも実感すべきなのは空間やなくて時間なんやで。
地球人の寿命はせいぜい百年やし、文明を持ったのは数千年、生物として種を存続させたのは百万年くらいや。それに対して、星の寿命は百億年ぐらいあるんやで。
星の誕生を肉眼で、しかも、ちょうど星のゆりかごに来たタイミングで見れるなんて、どれだけの確率なんやって話やな」
光とともに、膨大な熱が周囲に広がる。しかし、宇宙ロケットの装甲はそんなエネルギーはものともしないほどに強靭なものになっていた。
「えっ、なに、なに?」
MINEHはそれを観測すると、言った。
「これは核融合や。すごいで! なんちゅうタイミングや、ワイらはまさに星の誕生を目撃したんやで」
星の始まりはガスやチリが集まり、分子雲を形成することだという。その星雲が縮小し、密度が高まると、中心部で圧力と温度が上がり、やがて核融合を起こす。これが恒星の誕生だという。
結杏とMINEはその場に居合わせたのだ。
「この星が今生まれたんだ! すごい!
だって、さっきの話だと、一億年に一度のことでしょ。すごい偶然! これって運命じゃない」
結杏ははしゃいだように声を上げた。
ミーちゃんのことが心配であり、胸がはち切れそうである。だが、それをどうにか考えないようにし、目を逸らそうとしていた。
「これはお祝いしなきゃだね! 何か飲んで、何か食べよぉ。
よし、パーティーだぞ、みんな」
最後の呼びかけをしようとして、空しくなる。みんなといっても、呼びかける相手はもうMINEしかいなかった。
◇
「これ、どうかな。これにしよ」
パックの中にはトルティーヤの生地が入っており、缶詰にはタコミートやチリコンカンといったメキシコを代表する食材が入っていた。
「ええな」
それを見て、
少しだが調理過程があった。それが気分がまぎれていいように思える。
二人は缶詰を宇宙ロケットに備え付けられたフードウォーマーで温める。
そして、パックからトルティーヤを取り出すと、好きな具材を挟んでいった。
「飲み物は何がいいかな」
結杏がMINEに尋ねると、酒蔵の中から一つの瓶を取り出した。
「メキシコの酒といったらこれやろな。テキーラや」
それを聞くと、さすがの結杏も驚いた様子を見せる。
そして、抗議するように声を上げた。
「それ、めちゃくりゃ強いお酒じゃないの? さすがに、私、飲めなそうだけど」
それを聞いて、MINEはモニターに数列をいくつか浮かべる。
自信満々に返事した。
「テキーラを使って、軽めのカクテルを作ろうやないか。それなら飲めるやろ」
そう言って、テキーラをプラスチック製のグラスに少量入れ、さらにオレンジジュースを加える。両者がグラデーションがかかるように少しだけ
「わあ、綺麗。赤みのかかったオレンジとイエローが混ざり合ってる。美味しそう!」
結杏が感嘆の声を上げる。
MINEは小さめのグラスにテキーラを注ぐと、二人は「乾杯」の声とともに、それぞれの酒を飲んだ。
「うん、甘い。爽やかでとろりとした甘さ。でも、なんか、テキーラの味なのかな。すごい尖がった味もあるのね。うん、美味しい」
アルコールが回って、少しとろりとした気分になる。結杏の輝きが明滅していた。
だが、MINEの様子を見てギョッとする。
「MINE、モニターが青くなってるよ!」
顔のモニターがブルースクリーンになっていた。
結杏は不安げにそれを指摘するが、MINEは事もなさそうに返事する。
「ちょいと酔っぱらってるだけやで。なんか、そういう気分でな。
けど、処理すれば、すぐにアルコールは分解できるやで。気にせんでくれや」
そう言うと、すぐにいつもの数式が走る黒い画面に戻った。
「そう。なら、いいか。
よーし、じゃあ、トルティーヤを食べるぞ!」
少し塞ぎそうになったが、声を出すことで、元気を取り戻す。
そして、トルティーヤをぱくっと食べた。
「うん、なんか不思議な味! でも、美味しい!」
それはスパイシーな味わいであるが、口の中で複雑な風味が混ざり合い、得も言われぬ美味しさを醸し出している。
それはタコミートのシンプルな旨味は、サルサソースに加え、クミン、ナツメグの香りが加わり、それにトマトの味わいも混ざっている。その味の加減が絶妙で、エスニックな印象を受けながらも、日本人の結杏でも受け入れやすい美味しさを持っていた。
「美味しい! 初めての味だけど、なんかやみつきになっちゃう」
そう呟きながらも、もう一口、もう一口と、トルティーヤを頬張る。柔らかくふっくらとしたトルティーヤの温かさ、野菜のシャキシャキした食感、肉を噛みしめる幸せ。それらが一口ごとに結杏の全身を駆け巡るようだ。
「確かに、美味いな。テキーラと合うで。
ピリリとしたチリコンカンの適度な辛さが食欲をそそるわな。豆の食感もいいし、味わいもいいし、チキンソーセージとチョリソーの組み合わせとよく合っているで。ソーセージの弾ける旨味もええわな」
そう言いながらも、テキーラのアルコールが回るのか、時折、モニターがブルーバックになる。
二人は焦燥と悲しみを胡麻化すように、酒をグビグビと飲み、トルティーヤを夢中に食べていた。
◇
お腹がいっぱいになり、することがなくなった。
宇宙ロケットは
ミーちゃんのことはもう諦めなくてはならないのだろうか。そんなことも思い始める。
「やだっ! 私、ミーちゃんを諦めたくない!」
ふと抱いた思いを否定するように、結杏は叫び声をあげた。
その目からはキラキラと光る涙が放たれる。その涙の輝きは宇宙ロケットの中にある何かを吸収し、膨らみ始めた。
そんな時だ。結杏の身体が変態する。
その輝きは失われ、代わりに鱗に覆われた身体に変わった。その胴体が長く伸び、けれど、四肢が生えている。
それは蛇人間というべきものだ。
蛇人間となった結杏は反射的というか、本能的にというか、咄嗟に動く。宇宙ロケットの中で膨らみ始めたキラキラを口に含んだ。そして、体内で成合されたものを口にまでこみ上げると、ぺっと吐き出した。
それは卵だ。卵は宇宙ロケットの床に当たると、その衝撃で割れた。その中からは、黒ウサギの姿をした
「ミーちゃん!」
結杏は歓喜の声を上げ、その鱗の身体で甲殻の身体に抱き着いた。
MINEはモニターに数式をぽつりぽつりと走らせる。
「ミーちゃんか? ワイらのこと覚えてるっちゅうんか?」
MINEが疑念に満ちた言葉を投げかけると、ミーちゃんは状況が呑み込めないという様子で辺りを見回した。
少し思案して、ぼそっと言葉を発する。
「俺は無事なのか。いや、一回、再生したか……」
そして、まじまじと結杏の姿を見た。
「イグ……の落し子か。また、厄介なもんに変態しちまったな。
けど、そのおかげで戻れたってことか」
ミーちゃんが戻ってきたんだ。そのことを二人は実感し、その嬉しさに涙する。
しかし、その言葉の真意は、結杏とMINEにはよくわからなかった。
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