第30話 アルデバラン

 宇宙空間は基本的に何もない場所が多い。ひとつの星系から離れると何も見えなくなることはしばしばだ。

 だが、ここ少しの間、星を見かける頻度が上がってきた。


「この辺りはヒアデス星団だな」


 黒いウサギのような姿をした宇宙生物ミ=ゴであるミーちゃんがそう呟く。

 しかし、それを聞いても結杏ゆあにはハテナマークが浮かんでいた。結杏は牛のような頭部を持つ牛人間と呼ぶべき姿をしている。


「ヒアデス星団はおうし座の辺りやな。ちゅーと、またあれやな。太陽系の近くに戻っているっちゅうことかいな」


 最新鋭ロボットであるMINEマインがそう言いながら唸った。それとともに、MINEの顔にあるモニターに数式が高速で羅列される。


「確かに、いつの間にか進路が地球の反対側から、地球に近づく進路に変わっているな。まあ、それもいいだろ」


 ミーちゃんは興味なさげに答えた。

 向かう先自体にはあまり興味がないのだろうか。


「ふーん。地球に近いって言っても何十光年、何百光年と離れているんだよね。なんか、不思議」


 結杏は窓を覗き込んで感慨深げに呟いた。

 ただ、星々の中に壊されたように形の崩れたものがいくつかある。それらの星は尾を引くようにガスを噴き上げていた。


「あれ、なんだろ」


 結杏が疑問を口に出した。

 それにミーちゃんが返事をする。


「ヒアデスの暗黒恒星によるものだな。あの恒星はダークマターを吐き出し、それに触れた物質は一瞬で粉々になる。

 そんなの来ないかは俺が気を配っておくさ」


 結杏はその言葉に安心した。再び、窓から宇宙を眺める。

 そして、一際明るい星に気がつく。


「ねぇ、あの明るい星は何?」


 そう質問すると、ミーちゃんが答えた。


「あれはアルデバランだ。あの星に向かってみるのもいいな」


 それに対して、数式を高速で羅列しつつ、MINEが声を上げる。


「アルデバラン。おうし座を構成する一等星やな。ヒアデス星団よりも少し離れたところにあるんやったな」


 三人の相違が決まり、宇宙ロケットはアルデバランへと向かっていった。


          ◇


 アルデバランは不思議な星だった。恒星ではあるが熱いのは表面だけ。その熱風吹き荒れる表層を超えると、穏やかな大地が露わになった。

 三人はここで一息つく。だが、予想外のことが起きた。強風が巻き起こり、宇宙ロケットは吹き飛ばされてしまった。


 そして、宇宙ロケットは不時着する。

 そこには巨大な湖があった。風が吹き、湖を掠めるように雲が舞っている。


「いやあ、えらい目に遭ったやで。台風や竜巻みたいなもんなんかな。ついてないわ」


 MINEマインがぼやく。

 だが、ミーちゃんは驚いたように周囲を見渡していた。


「ここはまさかハリ湖。ならば、向こうに見える都市はカルコサ……か。

 アルデバランにあったというのか。ミ=ゴの情報と違うぞ……」


 呆然としたように呟く。そして空を見上げた。そこに浮かぶのは、暗黒の恒星と二つの衛星、それにこの星に突入する前に見たアルデバラン。


「そうか、大気が屈折して反射し、この星そのものがここから見える。

 黒い太陽、アルデバラン、二つの月。それが見える場所。それはアルデバランにあったということか」


 ミーちゃんの独り言が続く。

 ミ=ゴの情報に齟齬があり、アルデバランに危険な場所があるということなのだろうか。


「ねぇ、ミーちゃん、どうしたの?」


 ミーちゃんの動揺が移ったのか、結杏ゆあが不安げな表情を浮かべていた。

 それを見て、ミーちゃんは頭をコツンコツンと耳で叩くと、切り替えたように声を上げる。


「宇宙ロケットの修理に物資が必要だ。あの都市――カルコサに向かおう」


 そう言って、その耳で方向を示した。

 そこにあるのは霧で覆われた湖岸の都市。真っ黒で高い建物がひしめいている。どこか神秘的な印象を受ける街だったが、近づくにつれ奇怪な物音が聞こえてきた。


 カーンコーンカーン


「何の音なんだろ」


 結杏はその音を聞いて、不安な気持ちになる。それでも、二人にがんばってついていく。


          ◇


 カルコサは不思議な都市だった。

 およそ人気ひとけというものが感じられない。だというのに、今まさに人々が生活をしているような、気配というか、匂いというか、そんなものが感じられる。


「なんだろ、誰もいないのに、いる。そんな気がする」


 結杏ゆあは恐怖を堪えながらも、どうにか口に出した。

 それに、MINEマインも同意する。


「確かにそうやな。なんちゅうかな、街の活気みたいなもんはあるんやがな。人っ子ひとりいないっているのはどういうことやろ」


 それを聞いて、ミーちゃんが呟いた。


「そうか、あんたらには見えんか。ここにいるのはダークマターの生物だ。

 いや、生物というのは正しくないかもな。こいつらは生者と死者の中間のような存在だからな」


 不思議なことを言う。それを聞いて、結杏はさらに怯えた。


「それって幽霊ってこと? ここは幽霊の星なの?」


 恐れを抱く結杏の頭をミーちゃんはその長い耳で撫でる。


「落ち着けよ。恐れるような存在じゃない。何もしてやこないさ」


 そんな時、動くものが視界に入った。

 それは人間のようだ。服を着ているが赤い毛皮に覆われ、猫のような頭部を持った二足歩行の生物が通り過ぎようとしている。


「ひっ!」


 結杏が悲鳴を上げる。すると、猫人間が気づき、こちらを見た。

 そして、声をかけてくる。


「あれ、以前に銀河鉄道で会った方たちじゃないですか。

 あなたたちの目的地もこの場所カルコサなんですか?」


 ハキハキとした言葉だった。

 だが、結杏は思い出す。この猫人間には以前会ったことがあった。


「はくちょう座で停まってた銀河鉄道で会った子? 久しぶり! 元気だった?」


 知っている顔に出会い、結杏はにっこりと笑顔になる。

 けれど、一つのことに気づいて、疑問を抱いた。


「でも、青い子と一緒だったよね。今は一緒じゃないの?」


 その言葉を聞くと、赤い猫は少し寂しそうな表情をした。


「僕と彼は違うんです。まだ、彼はこの都市に来るべきじゃない。

 ここには一人で来なきゃいけなかったのです」


 それだけ言うと、どこか振り切ったよな表情になる。

 そして、近くの店を指で示した。


「生きている人が行くなら、あの店がいいよ。そこの料理だったら食べても生きて戻れるから」


          ◇


 三人は赤い猫に勧められた店に入った。

 その店内はやはり無人である。ガラーンとした場所に誰もいない。


 けれど、ミーちゃんは誰かに先導されるように席に座り、誰かと話しているように注文を行う。ダークマター生物と話しているのだろうか。

 結杏ゆあMINEマインはその様子を見守ることしかできない。


「そうだ、ダークマターの酒飲むか? ダークマターだけだとよくわからないだろうから、液体と混ざり合うやつを頼もう」


 ミーちゃんがそう言うと、どこからともなく、酒瓶がミーちゃんの耳に渡された。

 それをやはり急に現れたグラスに注いでいく。シュワシュワとした炭酸のようにも思えるが、炭酸と違い、炭酸の部分が目に見えない。いや、炭酸も見えているわけではないと思うのだが、そう言うしかない異質さがある。


「よし、乾杯だ」


 ミーちゃんの音頭に従い、結杏とMINEが乾杯した。

 結杏はダークマターの発泡酒を飲む。


「何これ、認識できない。味はビールみたいで冷たくて美味しいけど、炭酸が弾ける感覚じゃなくて、そのまま消えるみたい。それでいて本当に消えたわけじゃないっていうか」


 結杏が飲んだ感想を言うが、自分で理解できていない部分があった。

 いや、気体と液体、固体、それにプラズマ。それだけで構成された生物には認識できないものなのだろう。


「不思議な味わいやなあ。ワイにもまるで理解できんわ。認識する機能がないっちゅうのが正しいんかな」


 続いて、料理が現れる。認識できない部分もあるが、野菜のサラダのように見えた。

 それを見て、結杏はまた奇妙な感覚を覚える。


「なんだろ、野菜が美味しそう」


 結杏は牛人間になっている。その身体は植物を消化するのに適したものだ。その感覚に引っ張られ、植物が味わい深いものに映っていた。

 思わず、皿を手にし、サラダをむしゃむしゃと食べる。


「シャキシャキして美味しい。こっちは噛むとジュワ―と美味しさが広がる感じ。これはなんだろ、味わいが深いよね。香りがしっかりしてる。美味しい!」


 緑色の葉野菜は噛み心地が新鮮で、フレッシュな美味しさがあった。

 赤い果実のような野菜は噛み応えがあるが、噛み切るとその果肉が口いっぱいに広がる。それは酸味と甘みを含んだもので、実にいい味だ。

 深緑の野菜は噛み応えがしっかりあり、深みのある味わいがあった。独特な香りが食欲を引き立てるようだ。


「結杏もようやく野菜の美味しさに気づいたようやな」


 MINEはそう言いながら、自身も野菜を美味しそうに食べる。

 ただ、どこか認識できない、不思議な味わいもあった。


「でもさー、やっぱりお肉が食べたいよ。私の身体はもうそんなにお肉を求めてないけど、私の魂がお肉を求めてるっ」


 結杏が力説する。すると、ミーちゃんが感心したように声を出した。


「ダークマター生物は結杏の言葉に驚いていたぞ。魂の存在は実はダークマターと近しいものなんだ。ダークマターを認識できないにも関わらず、勘所をわかってる、そう言っているな」


 唐突な誉め言葉に結杏は締まりのない顔になった。


「えへへー。そうかなぁ。そんな誉められること言った気がいないよ。

 あっ。でも、お肉は出るの?」


 結杏がそう口に出すと、その瞬間に肉料理の入った皿が出てくる。

 認識できない要素のある肉だが、煮込まれているのはわかる。複数の野菜がそこに添えられていた。


「ハリ湖で取れた生物を煮込んだものらしい。地球でいう魚類みたいなものかな」


 ミーちゃんが解説する。

 それを見て、結杏は瞳を輝かせた。肉体はそれほど欲していないが、食べたくて仕方ない。


「うん、みんなぁ、美味しそうだねぇ! 食べようよ!」


 そう言うと、煮込み料理に手をつける。スプーンのような食器でその肉を削った。そして、添えられた野菜と絡めて、口の中に入れる。


「あ、なんか甘いんだね。けど、塩気もちゃんとあるし、お肉も柔らかくて食べやすい。野菜の味もなんか優しくて、美味しい。これなら全部食べられるよ」


 肉質は柔らかく、香りは少し独特だが、それを煮込んだ甘じょっぱいソースのおかげで食べやすくなっている。野菜は苦みがあったり、甘さがあったりだが、ソースと絡まってえも言われぬ美味しさだ。それでいて認識できない味わいもあり、それがアクセントになっていた。


「確かにこれは美味いな。よくわからん味があるのが美味い」


 MINEも認識できないことを楽しんでいる。


 カーンコーンカーン


 そんな時、街の中心から奇怪な音が鳴った。この音を聞くと、不安が掻き立てられる。認識できないざわめきが聞こえるような気がしてならない。

 それを聞いて、ミーちゃんが立ち上がった。


「潮時だな。戻るぞ」


 その言葉に結杏とMINEも同意する。

 三人はカルコサの都市を後にした。


          ◇


 三人はアルデバランの輝く砂の大地を走る。


 カーンコーンカーン


 奇怪な音は大きくなっていた。それは生者を誘う死者の声のように思える。

 そんな中、結杏ゆあが変態する。


 頭の真ん中に赤い毛が鬣のように生える。耳は大きく立ったものに変わった。

 目は瞳孔が細くなり、猫のような目となる。臼歯が牙に変わり、二本の牙が口からはみ出していた。

 体色は黄色いになり、黒いブチが規則正しく並んだ。

 そして、二足歩行だったのが四足歩行に変わる。四つの足には鋭い爪が生えていた。


「みんなぁ。私に乗って!」


 結杏がそう言うと、大型肉食獣パンサーのような姿になった彼女の背中にミーちゃんとMINEマインが乗り込む。

 二人が乗ったのを確認すると、結杏は全力で駆けた。


 そうして、どうにか宇宙ロケットに戻ってきた。

 ミーちゃんは急ピッチで宇宙ロケットを修理すると、アルデバランから宇宙ロケットを発進させる。


 宇宙ロケットはアルデバランの大気を越え、恒星たる熱量を持った表層を越え、宇宙へと飛び出した。

 だが、ここで結杏は気づく。暗黒の恒星がアルデバランから見える位置にあった。黒い太陽。ダークマターの恒星だ。


「ねぇ、あれ!」


 結杏がミーちゃんに声をかける。みーちゃんもまた愕然としたような声を上げた。


「ハスターの黒い恒星。気づいたのか、こちらに……!」

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