第27話 「摩利支天」
1.「摩利支天の真姿」
三つの顔を持つ姿の静香は、東王公を悲しみとも哀れみとも取れる表情で見
つめていた。
「その力、俺のものだ。返せ、小娘」
東王公の声が震える。彼の支配下にあったはずの龍が、静香の姿を前に
怯え、身をすくめている。自分が欲した古代の力。全てを己がままに操ろう
とした計画を、目の前の小娘が横から奪っていった。全てが泡のように消え
去る事を悟り、憤怒に駆られる。
「お前などでは古代の力を扱えんわ! 赤子をひねるより容易い」
その言葉がさらに静香をかつて無いほどの能力を与える事となった。陽炎と
月が調和し、古の神の記憶が蘇る。それは数多の聖人が戦い、神話と
として伝えられた膨大な
「おや?
おったの。永遠を渇望するものも、変化せねば、それは死と同じと何度告げ
ば分かるのじゃ? 」
東王公は苦々しい顔で答える。
「愚かな! 不変こそが伝説の証。 この世の全ては朽ち果てるというのに、
なぜ変わる必要がある? 」
「朽ち行くからこそ美しい。其方はこの国に居て何を学んだのじゃ? 」
お咲は、恐怖と畏敬と共に眺めていたが、静香が、少し前に吉原にいた頃の
「ほれ、うら若き乙女に笑われとるぞ、東王公。其方は何千年も何をやって
おったのじゃ」
「ちょっと姉さま! そんな事じゃありません。笑ったのは…… 」
言い訳がさらに追い打ちとなるこの言葉に、皆もつられて笑ってしまった。
「そんな事だと? 聖なるものの生きた軌跡をそんな事と申すか? お、お前
ら、人の分際で神を冒涜するか! 」
東王公は怒りにまかせ、龍に命じる。
「全てを飲み込め! 」
龍が巨大な口を開いた。と同時に神楽院真央はあっけにとられた。それは龍
を畏れたからではない。この一連のやりとりを見て龍のように大口を開けた。
(俺はお咲であるべきだったんだ。神をも恐れぬ意志を持ち、それを笑い、
それを市井に伝える。力のあるものになるのではなく、迷えるものに勇気を
与える……そうあるべきだったんだ! )
一人、自分の気づきに打ち震えていた真央をよそに、龍の口から放たれた
瘴気が大気を変色させ、毒と崩壊の気配が辺りに満ちた。静香は押し寄せる
邪悪な空気に包まれないよう、摩利支天の印を結び、陽炎と月光の力を解き
放った。
「光よ、闇を照らせ! 」
六本の腕を大きく広げた。弓が光を束ね、
となる。羂索は生き物のように龍に近づき、金剛鈴が鳴らす一音一音が霧を
断つ。数珠が仲間たちの周りに円を描き、針と糸は龍を空間に縫い合わせた。
放たれた能力が紫の霧を突き破り、龍の吐き出す瘴気と激突する。弁天島を
中心に世界が震え、湖水が割れ、木々が押し倒される中、精製された結界の
中にいる仲間たちは、神話の始まりを見る者たちのように身を震わせた。
「も、もはや人の戦いじゃねぇな…… 」
政五郎の声が震える。
「ああ、言葉が出てこないな」
小太郎が答える。
百合はそっと手にしていた三味線の弦を爪弾く。
「でも、あれはお静よ。私たちのお静が、ついに神の力を完全に目覚め
させたのね」
衝撃波は上野の森を越え、江戸中に伝わっていく。空では陽炎の猪と影の
龍が激しく戦い、その度に稲妻のような光が広がる。
2.「神々の戦場」
地面が揺れ、池の水が真っ二つに割れる。風は轟音を伴って東西南北から
集まり、渦を巻いて上空へと昇っていく。雲が渦巻き、夜空に真昼のような
明るさが広がる。
「この程度の術で、わしに適うと思うか! 」
東王公は両腕を天に向けて広げ、紫の霧が彼の周りで螺旋を描き始める。
その霧は次第に濃度を増し、実態を持った触手のように伸び縮みを
始めた。
「
死も生も既に我が下にあり! 」
触手が天空を切り裂き、異空間への入口を開く。そこからは、東王公が過去
に従えた者たちの亡霊が次々と現れ始めた。時空を超え、呼び寄せられた
英雄や陰陽術、忍たちが、影のような実態を持って地上へと降り立つ。
「見るがいい! わが
召喚された
「これはまるで……天と地の間で繰り広げられる神話の戦い。お静! この
ままでは町がなくなる」
その言葉を聞き、静香は頷き
「結界!
摩利支天の力を借り、彼女は特殊な結界を張り巡らせた。弁天島を中心に
光の輪が広がり、中は時空が歪み、現実から切り離された異空間となった。
守りの壁の中心には、たたらの炎で鍛えられた黒鉄の城が現れた。瓦屋根が
鏡面のような壁に食い込み、回廊にはLEDと提灯が交互に灯る。城へと続く
城下町は江戸日本橋がスクランブル交差点に変じたかのようで、屋台の
提灯は点滅し、タッチパネルのメニューが並ぶ。その横を、電車が駕籠と
並走して走り抜けていく。
この奇妙な空間は、静香の心象が形を成した記憶の混成物であり、過去も
未来も、見知ったものも見知らぬものも、等しくそこに存在していた。
「何だこの異界は。 この程度の幻術で私を止められると思うか? 行け!
我が集めし永遠の兵よ」
「これでもう町は安心よ。 しかし死人を蘇らすとは、趣がないし品がない
のぅ、東王公よ。まぁ、我が結界も決して、上品とは言いがたいがのぅ、
ホッホッホ…… 」
静香は、古代のたたら製鉄の技術を想起し、猛火を操る。火の柱が立ち上が
り、敵の軍団を焼き尽くす。しかし、不老不死の軍団は、灰となっても再生
し、またも襲いかかる。
彼らは皆、永遠を求めて東王公に魂を売り渡した者たちだった。生に執着が
ある彼らはどんな手を使っても復活し、憎しみと復讐を糧とている。そのた
めならば全てを破壊するのもいとわない。
「これが永遠の軍団だ! 」
数百の強者が一斉に攻撃を仕掛けると、空気は震え、大地は割れる。しか
し、摩利支天の姿とかした静香は、六本の腕で彼らの攻撃を受け流しつつ
火の柱で処理する。
そして彼女は、ため息をつきながら、下の手は
中程の手は
すると、兵士たちの肉体から紫の光が抜け出し、彼らは一人また一人と膝
を付き始め、魂が抜け結界に吸い込まれ、身体は溶け出し、穏やかな空気が
漂った。
「な、何を……私の力が…… 」
東王公は驚愕しつつ、必死に軍団を制御しようとする。しかし、静香の技は
より根源的なものだった。兵士たちの願いを叶え、彼らに変化する事への
恐れをなくし、不変を溶かし、魂の束縛を解いていった。
「永遠の束縛から解き放たれよ。そして、本来の安らぎへお帰り」
光の粒子となって空へと昇っていく魂は、結界をも超え天に溶けてゆく。
軍団は瞬く間に消え去り、東王公は一人取り残される。
「ならば、最後の手段だ。
彼は両腕を大きく広げる。空中に浮かぶ紫水晶の不規則な多面体が、ゆっく
り回転しながら形を整えていく。その内側は次第に鏡面化し、囚われた存在
の姿・記憶・魂を映し続ける監獄と化すものだ。
静香の仲間たちは息を呑む。しかし、彼女は冷静だった。
「永遠の檻…… 自らの執着が作り出す牢獄ね」
東王公は歯を食いしばりながら檻を完成させようとする。だが、その瞬間、
自分自身も檻にとらわれ始めていることに気付いた。
「な、何だと! この力は私自身の…… 」
静香は悲しげに首を振る。
「永遠に縛られたものは、自らをも縛る。東王公、其方の執着が自身を檻に閉
じ込める。それが其方の願いであろう? 」
東王公の体は紫水晶の引き寄せられ、徐々に粒子となって吸い込まれ始め
た。次第に驚きの顔が多面体に映し出され、怒りと共に屈辱の叫び声を上げ
始めた。
「覚えておけ、小娘! 次はこうはいかぬ! 真の力を取り戻した暁には、
必ずや……いや、絶対に許さ…… 」
「待っておるぞ」
静香は微笑んで答えた。
「でも、その時までに、其方も考えが変わるかもしれん」
「戯れ言を! 」
最後の叫びと共に、東王公は結晶に吸い込まれ、現在の時を抱いたまま、
天に願うかのような顔で固まった。
やがて紫水晶の檻は、小さく凝縮され、一粒の紫の石のようになり、弁天島
の社に収められた。
静香は穏やかに結界を解除し、不忍池に静寂が戻った。
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