Jelly.

柊 奏汰

Jelly.-1

 その日、俺は、その赤色の花弁にふわりと降り立った。俺の人生で一度も見たことのない不思議な形をしたそいつは、芳醇な香りを放ちながら俺を奥へと誘ってくる。少しだけ足を踏み入れると、誰かが食事をした後だったのか、足元に微かな蜜の残りが落ちていた。

 俺はそっとそれを手に取り、舌に載せてみる。


「ん、何だこれ、めちゃくちゃ旨いじゃん」


 少し香りがきつすぎるかな、なんて思っていたのが嘘みたいに、甘くて脳天を突き抜けるような旨味が抜けていく。きっとこの先にはこれよりもっと大きな御馳走の塊が待っているのだと思うと、俺は期待に胸を膨らませて奥へと進んでいった。


「…おお!すっげえ…!」


 踏み込んだ先にはより強い香りを放つ蜜の塊がいくつも並んでいて、俺は思わずごくりと唾を飲んだ。溢れんばかりに蜜をつけている其処から一掬いして、口に運ぶ。


「すげえ…旨すぎる」


 それからしばらく、時間を忘れて夢中で食事を楽しんだ。これまでに一度も味わったことがないような、至福の時間。近くの蜜を掬いながら、俺はさらに奥に誘われるようにして、大きな蜜の塊の間を歩いて行った。甘い香りが強くなる中心部に行くほど蜜はとめどなく溢れてきて、歩いている足にべたべたと纏わりつく。羽にもついてしまえばきっと飛べなくなるだろうと思い、そっと避けながら奥へと進んでいった。


「…ん?」


 たどり着いた先で見つけたのは、倒れている同輩の姿。どうしたのだろう、眠っているのだろうかと思い、彼の体を揺する。


「おい、こんなところでどうしたんだよ。羽まで濡れたら飛べなくなるぞ?早く目を覚まして――」


 そこまで言って気づいた。その同輩は息をしていない。ぐったりと体を横たえたまま、纏わりついた蜜で体中がべたべたになってしまっていた。そしてそんな俺自身も、身体の異変に気付く。


「…何だ?目が…それに、手足も」


 目が霞む。手足は痺れたように力を失って、思わずその場に膝をついた。そうしているうちにも体の力は抜けていって、しまいには座っているのも辛くなり地面に突っ伏した。体中にべたべたとした蜜が纏わりつき、危惧していた羽にさえも絡みついてくる。


「何だこれ、何なんだよ…っ!」


 藻掻こうとしても何もできず、その場にはただ俺の声だけが響くのみ。そうしているうちにふと、ある時とある同輩が言っていたことを思い出した。


「人間の家に置いてある赤い花弁には近づかないように。近づくと、死ぬぞ」


 あれだ。あいつが言っていたあの花弁こそが、俺が今回迷い込んだ「死の花弁」だったのだ。きっと、俺が惹かれた甘い蜜には毒があったのだろう。身体の自由がどんどん奪われていく様子からして、きっと神経毒だ。地面に突っ伏して少しずつ意識が薄れていくのを感じながら、俺は悔しさに力の限りをふり絞って叫んだ。


「ちくしょう…ちくしょう…っ!」


 駄目だ、視界が霞む。もう指一本も動かす力さえも残っていない。さほど苦しむことなく死ぬことができるのなら…もうそれでいいのかもしれない。

 俺の意識は、そこでぷつりと途切れた。

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