第48話 早すぎる別れ

 天正十八年七月。関東の覇者であり、天下人豊臣秀吉に抗い続けていた北条家が滅んだ。先代当主北条氏政は切腹、当主北条氏直は高野山へ追放となった。その北条家と手を結ぶことで最後まで天下を諦めていなかった奥羽の伊達政宗も秀吉に降伏し、ついに織田家家臣時代からの秀吉の悲願であった天下統一がここに果たされたのであった。

 その報を秀長は大坂の屋敷で知ることになった。天下人秀吉は弟の立場から傍で支え、まさに天下統一の立役者となったこの男は病に苦しんでいた。年明け早々から持病が悪化し、屋敷から出ることすらままならず、小田原へは養子の秀保を高虎ら頼れる家臣団を伴わせて向かわせていたのだった。


「殿、御身体の具合はいかがでございますか。」

「おぉ、やくも。今日は朝からだいぶ気分が良いで軽く丹羽まで出てみようと思っておる。」

「それは何より。しかしご無理なさいませぬよう。義兄上さまにはまだ殿が必要でございます。」

やくもは近江の百姓の出であり、同じく百姓の出である秀長にとっても心を許せる大切な妻であった。心優しく、常に秀長に寄り添ってきたやくもは、家臣団からも大変に慕われ、今は遠い小田原にいる家臣団のためにも秀長を病から再起させるために尽力していた。

「ついに兄上の悲願がかなったというに私はこんな体たらく。悔しくてならぬ。」

「殿は十分に頑張っておられます。今は病に打ち勝つためにその悔しさをぶつけてくださいませ。皆殿のことを待っております。」


 しかしそれから三か月ほど経っても秀長の病状が快方に向かうことはなく、畿内に戻り政務に復帰した秀吉の配慮により、居城大和郡山城に療養の場を移すことになった。そこへ秀吉の甥である秀次が訪れた。

「大納言さま。思っていたよりもお元気そうで安堵しております。」

「まぁ兄上が戻られてから何も変わってはおらぬな。ただやはりここ郡山の方が静かで落ち着くというのはあるな。」

「それはそれは。煩いものが来てしまい申し訳ありませぬ。」

「いやいや。孫七郎は兄上の甥。私にとっても一門衆の仲間よ。見舞いに来てくれてこれほど頼もしいことはない。」

「そう言っていただけると救われまする。ここに来る道中で談山神社に大納言さまの御快復を祈願して参りました。あの社はかつて天下をつかみ取った中大兄皇子と中臣鎌足が、蘇我氏打倒の策を立てるために何度も足を運んだと伝わる地でございます。天下を取った今、再び大納言さまに殿下を支えるための御力が吹き込まれることを願いましてございます。」

 秀長が一瞬悲しい顔を浮かべたのを秀次は見逃さなかった。気付かれたと思ったのか、秀長は自身の思いの丈を秀次に語った。

「孫七郎。私がいなくなれば、殿下を支えていけるのはそなたと仙丸しかおらぬ。秀保はまだ若造故、頼れるのはそなただけだ。私の分まで兄上とそして鶴松君のそばで全力を尽くしてくれ。」

秀長の目には涙が浮かんでいた。秀次もこらえきれず涙を流しながら秀長の手を握り約束をした。


 自分の内に秘めていた思いを吐き出してからというもの、秀長はみるみるうちに衰弱していき、年が変わって天正十九年になる頃には床から上半身を起き上がらせるのがやっとというほどまでになっていた。

死への道を引き返すことが出来ないと察した秀長は、信の置ける家臣らを一人ずつ順々に呼び出していった。高虎は羽田正親、横浜良慶に次いで三番目に呼ばれたのだった。

「高虎よ。」

「殿、御身体は?」

「そんな話は良い。私はそなたに紡がれてきた思いを託すために時間を設けたのだ。」

「思い?」

「浅井長政どのは覚えておるな?」

「はい。私に武士になるようお導きくださったのは長政さまでございました。」

「では磯野員昌どのも覚えているな?」

「はい。私が阿閉家を追い出されたのち拾っていただきました。」

「そしてその阿閉家の主阿閉貞征どののことはどうじゃ。」

「わたしは貞征さまには良き思いではありませぬが、覚えております。山崎の地にて仇は討ったつもりでおります。」

 秀長は少し間をおいて話し始めた。

「今の三人はもうすでにこの世にはおらぬ。そして間もなく私もこの世から去る。それ故今までそなたに隠してきた四人での秘密を伝える。」

「秘密?」

「信長公に逆らい滅亡を免れぬと分かった長政どのは、最も信頼する阿閉どのにそなたのことを託した。そして阿閉どのと磯野どのは密に協力し合い、そなたを人間として、武士として成長させるべく一芝居うった。そして磯野どのと私で図り合い、そなたは私の元へやってきた。すべてそなたの見えぬところでつながっていたのだ。」

高虎は愕然とした。四者四様の想いを抱いていた四人に繋がりがあったとは。自分は誰かに行かされているのだと改めて感じた。

「高虎よ。私にはそなたをだれかに託すことはできない。その分託させてほしい。まだ幼い仙丸と、同じくまだ若い豊臣家をな。頼んだぞ。」

高虎は部屋を出るまで涙と困惑で言葉を発せぬままであった。


 それから一月後。秀長は療養むなしく大和郡山城で息を引き取った。享年五十二。常に兄の影にいながらも天下統一の間違いない功績を残した男の最期はあまりにも早すぎた。

 跡を継いだ仙丸は元服し、名を豊臣秀保と改め、従三位権中納言となった。高虎は、秀長の遺言と筆頭家老羽田正親の推挙もあり、桑山重晴とともに秀保の後見役を務めることとなった。

 高虎が人生をかけて尽くしたいと決意した男の死は、高虎の運命を大きく変えていくことになる。

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