第16話 八人の小姓
織田家内の出世頭羽柴筑前守秀吉には八人の小姓がいた。秀長の家臣であった高虎とも関わる機会があったが、それぞれの対応には八人の中で大きな差があった。
というのも高虎は秀吉の家臣の家臣、すなわち陪臣であるのに対し、小姓らは秀吉の直臣。高虎は三木城攻めの功で三千三百石に加増されていたが小姓らは多くて数百石。しかし、家臣陪臣の立場の違いは関係性に溝を生むこともあった。
その傾向は秀吉の縁戚である福島市松と加藤虎之助に見られた。特に福島市松はそれがひどく、度々高虎と陣で会うたびに蔑んだ視線を送ってきていた。あくまで自分は羽柴筑前の子飼いの小姓であり、高虎はその弟に拾われただけの汚らしい成り上がり、市松の目にはそう映っているのだと高虎は思っていた。
この状態が悔しくはあったが苦しくはなかった。自分の努力が成果として結実し始め、自分を“小心者”と蔑んでいたころのように周りを気にする必要がなくなっていたからだ。
加藤虎之助はそんな高虎の活躍を陰で憧れていたが、市松の手前表立って発言するのは避けてきた。しかし、三木合戦以降自分たちの主である秀吉にも認められ始めた高虎を見て、高虎についてを市松との夕餉での話題に挙げることを決めたのだった。
「市松。我らの出世はいつであろうか」
「なんだ虎之助。そなたが出世にとやかく言うのは珍しいじゃねえか。そんな下衆な話は俺とか甚内に任せときゃええんだよ。」
市松は酒を飲み干しながら答えた。
「率直に聞く。藤堂殿のこと、そなた嫌っておるであろう?」
「藤堂?あぁ秀長さまのとこの成り上がりか。嫌ってるも何も眼中にないさ。チョイと秀長さまに気に入られて三千石くらい食むようになったらしいがすぐに俺らが抜くさ。運の出世はそう長く続かねぇさ。虎之助、お前もそう思ってるだろ?」
虎之助は開いた口が塞がらなかった。市松が酒を誤嚥し咽たところで気を取り戻した。
「お主まことにそう思っているのか?ならばそなたと語らうこともあるまい。」
虎之助は立ち上がり、部屋の襖に手をかけた。
「おいおい、待て待て!一旦座れ!お前はあの藤堂ってやつを気に入ってんのか?」
「気に入る気に入らないの話ではない!我らが出世していくには同じように無名から成りあがって言った藤堂殿と親しくしていくのが良いということだ!」
「同じって俺らは秀吉さまの縁戚。あんなやつの力なぞ借りぬでも勝手に日が当たるて!」
「それが驕りだと言っておるのだ!」
「なんだと!」
市松は立ち上がり虎之助に掴みかかった。虎之助が掴み返すことはなかった。
「そなたにはわかってもらえんでも構わぬ。俺一人で会いに行く。」
虎之助が市松の手を振り払った。虎之助を睨みつけた市松は、観念したように腰を下ろした。
「分かった。俺も行く。ただあいつに偉そうにされる筋合いはないからな。」
「ああ。それでいい。」
虎之助は肩をなでおろした。
残り六人の小姓のうちの半数、糟屋助右衛門、平野権平、加藤孫六の三人は三木合戦から秀吉の小姓になっており、高虎との接点はなかった。
ほぼ同時期に同僚となった三人は打ち解け、しばしば夜な夜な語らうことがあった。ある日、そこで高虎の話題が出た。
「秀長さまのご家来の藤堂高虎殿は此度の戦で加増され三千三百石になったそうだな。我らもいつか出世したいものだ。」
出世をまるで夢物語のように語ったのは糟屋助右衛門。それに“夢は大きく”が口癖の平野權平が言い返す。
「助右衛門はいつも後ろ向きだなぁ。我ら秀吉様の小姓衆はみな大名になる、それが夢だろ?夢は大きく、一歩一歩やっていこうぜ。」
「いやしかし我らは藤堂殿のような屈強な体もなければ主君からの特別な信頼もない。新参ながらあそこまで出世していった藤堂殿とはわけが違うさ。」
独りごとのようにぼやいたのは加藤孫六。常日頃からほかの小姓らとは違ってただ地道に仕事をこなす実直な男であった。
「孫六まで何を言うか!俺らならできる、そうだろ?」
權平のあっけらかんとした問いにほかの二人は応えなかった。その空気を察した權平が明るく続けた。
「ならば我ら三人で藤堂殿のところへ話を聞きにいかないか?出世への鍵がわかるやもしれんだろ?どうだ?」
他二人は權平に促されるまま頷き、高虎の屋敷を訪れることに決めた。
高虎と同じ近江の生まれであった片桐助作と脇坂甚内は、以前より高虎と親しくしていた。浅井家の元で出世していきたいという夢を抱いていた過去のある三人はすぐに意気投合し、個々の悩みを打ち明けるほどの中であった。
「高虎殿は秀長さまの有子山への移動に伴って長浜を離れるそうではないか。」
片桐助作は寂しげな口調で脇坂甚内に語りかけた
「では高虎殿と一献傾けに行くとするか!いつ有子山へ発つんだったかな?」
「たしか、、明日だ!!」
「じゃあ今から行くとするか!」
二人は腰を上げ少し離れた高虎の屋敷へ向かった。
八人目の小姓石田佐吉も高虎と同じ近江の出であった。そして高虎が最も親しくしていた男でもあった。二人の間に繰り広げられる対話は公的なものにとどまらず、各々の家族のことや暮らしのこと、些細な愚痴までもあった。そこまで二人を近づけたのは境遇の近さであった。
今の主に拾われる形で仕官し始め、めきめきと実績を上げていった。そしてどちらも武具・兵糧の管理を担う立場になり責任も日に日に大きくなっていった。そんな中で支え合えるのは二人だけであったのだ。
佐吉も当然高虎が長浜を離れることに寂しさを感じていた。以前より二人で語らう際に食していた獲れたての琵琶湖の鮎を持って高虎の屋敷に向かった。
天正八年四月九日亥の刻、高虎の屋敷の前になんと八人の男がいた。小姓衆全員の意思が合致し、門前で偶然顔を合わせることになったのだった。八人皆気まずそうな表情を浮かべたが、權平の一声で、全員で高虎の屋敷へ入ることに決まった。抱く思いは八者八様なれど、心の根幹にある思いは一つであった。“日の本に新たな光を照らす”。その思いは高虎とも合致し、突然の来訪に驚きながらも盛大な宴に相成った。
新たな地有子山へと発つ前夜、志を抱く若者たちの集いが行われ、思いが一つになり、おおきなうねりが生まれようとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます