最悪の目覚め、そして到着

 ギュウェー! ギャヴェー!


 朝靄を切り裂くような、何やら根源的な不快感を催す音が部屋の外から聞こえた。鼓膜だけでなく、脳を直接揺さぶられているような、当然そんなことがあれば脳震盪になっているのだが、脳震盪になってもおかしくはないなと思ってしまうような、そんな奇怪な鳴き声が部屋と俺の脳内を掻き回した。


 ――うるせぇな……。通報するぞ馬鹿野郎……。


 目を開けることすら億劫で、体に掛けていた厚手の外套を頭頂部まで引き上げた。寝間着の隙間から不意に地肌に触れる革製のそれは、生物の一部であったことを伝える吸い付くような表面にひんやりと冷たさを湛え、昨夜から続く放射冷却で冷える地面との相乗効果で、寝惚けた俺の体を震わせた。爪先が心許無く晒されるが、その代わりに瞼を透かして襲い来る朝日の眩しさと異音が和らぎ、少し安堵する。


 さてさて二度寝をと思い、寝良い姿勢を探る。あたかも不細工な芋虫のようにモゾモゾと身を捻ると、寝間着の薄いシャツとこれまた薄い床越しに、固く冷たい石の感触がする。昨晩から俺の安眠を邪魔するこれらは、不眠と易疲労感を催す経絡秘孔を的確に突いてくるようで厄介この上ない。


 地球の悪意をこの身に感じつつ、今は何時かと枕の側に置いたスマホを手で探る。しかし、一向に手にプラスチックのケースが触れない。疑問を抱くものの、そんなことすら考えるのが煩わしい。遅刻覚悟で意識を濃霧の底に沈めようとした時、最悪の目覚ましが鳴った。


 ギュウェー! ギャヴェー! ギュウェー! ギャヴェー! 


「あぁぁぁ! 五月蠅い!」


 我慢の限界を迎え、悪態と共に飛び起きた。苛立ちに任せて重い瞼の抵抗を跳ね除けると、そこは布張りの狭い小部屋だった。細い柱に布を乗せた、いわゆるテントであると理解すると、ここが日本ではないことを思い出した。日本でないどころかゲームの世界なのだが、この不快感と朝冷えに悶える体に、自分は間違いなくこの世界で生きているのだと否応なく実感が湧いた。


 凝り固まった体を伸ばして、曲げる。最後にふっ、と一息入れると、ジッパーなんて無い入り口の布を退かす。慌ただしい一日が俺を出迎えた。


 チュンチュンなんて生易しい鳥の囀りが聞こえれば、一日の最高のスタートダッシュを切ったと言っても良いのだろうが、残念ながら今朝の目覚めはそれとは似ても似つかぬ悲惨なものであった。


 隣のテントで呑気に涎を垂らすハティを蹴って起こすと、カロリーヌの用意してくれた簡素な朝食と水を胃袋に詰め込んだ。部下に混ざって野営の片づけをするボールスとランスに軽く声をかけ、目的地までの道程を確認すると、俺達はカンパーニュへ向けて移動を再開した。






 出発して数時間が経過しただろうか。地球からスパンキングされるプレイにもいい加減飽き飽きした頃、窓から見える景色が開けた。森を抜けたらしい。


「ここまで来れば、あと少しのはず――。お、見えてきたぞ」


 ガラス越しに覗くと、遠くに、自然物ではありえない円形が見えた。平原の中に佇むそれには裸の道が伸びており、領都カンパーニュであろうと分かった。


「ハティにも見せて」


 窓から景色を見ていた俺の頭を退かすように、ハティが頭を突き出してくる。窓の前は狭く、必然、頬が触れた。意外に冷たいそれに、瞬間的に上がった熱が吸われて心地よい。


「ハティ、師匠にあまり無礼なことをしちゃだめよ。もう……」


 呆れるように言うカロリーヌも、俺とハティの反対の窓から、迫るカンパーニュを眺めている。本当に存在するのかと疑わしく思うほど長くキツイ道程だったが、ゴールが迫ると残りの距離を少し名残惜しく思うのは不思議だ。


 活動的なハティに馬車移動は退屈の極みだったのだろう、窓に吐息で結露が残るほど顔を密着させている。楽し気な表情を浮かべる彼女を見て、緩んだ顔を隠すように俺は組んだ膝の上に頬杖をついた。





 平原に入り幾らか走ると、大きな川に突き当たった。川面が青空を映し、小さな魔物が川辺に憩う。遮る物の無い平原に吹く爽やかな川風に心を洗われるようだ。この長閑な風景の中で、貧弱な子供すら殺せないような彼等を討伐するのは忍びない。騎士団も動く様子は無く、目零すことにしたようだ。某有名文明発展ゲームで水辺に都市を築くのが定石のように、この世界でも人の生活圏に水場が欠かせない。俺達は川に沿うように馬車を進めた。


 太陽が中天にさしかかり、照らす陽光が馬車の室温を上げる。今か今かと思い揺られていると、ボールスが馬車の横に馬を並べた。


「マック様。あと数分でキュイジーヌ領の領都カンパーニュに着きます」


 王都には程遠いが、見上げる程の巨躯を誇るサイクロプスを優に超える高さの石造りの外壁。中央には馬車が余裕を持って行き交える幅の門が見える。


「王都と比べるのは可哀そうだが、相変わらず、なかなか立派なもんだ」


「マック、カンパーニュ着いた?」


「あと少しの辛抱だ。着いたら、領主邸を取り仕切っている家令のトーマスに会い、魔物被害の詳細を報告してもらわないとな」


「そしたらご飯食べる?」


「あぁ、そうしよう」


「あたしも久しぶりのカンパーニュです。ただ、師匠の料理で舌が肥えたのが心配ですが……。オークの塩焼きも、昔は世界で一番美味しい料理なんじゃないかって思ってたんですけど」


「シンプルな料理が悪いとは言わないし、素材の味を活かす料理もそれはそれで難しいものだが、いつまでもオークの塩焼きの一枚看板ではな……」


 カンパーニュを、ひいてはキュイジーヌ家の料理の水準を高めることは、勇者を懐柔するための手段であり、同時に素材採取のための戦闘は貴族としての俺の評価に繋がる。


 ――それに、もしもの時、勇者と戦うことになる可能性も有る。戦闘には慣れておかないとな。


 他愛も無い会話をしている裏で、俺は覚悟を改にした。






 門には複数の衛兵が警備についており、荷を確認し、問題が無ければ通行税を徴収して通している。


「最近、オークがちょくちょく出るらしい」


「おっかねぇなぁ、おい。当分行商は控えるか?」


「おまんまの食い上げだよ、ちくしょう。ここで売り切るのが得策か」


 前の一団はどうやら行商人のようだ。周囲にいる武装した奴らは護衛に雇った”冒険者”だろう。”冒険者”とは、魔物と戦うことを生業とする者達の総称だ。平民が大多数を占めるのだが、家督を継げない貴族が一攫千金栄達を夢見て飛び込むこともあるそうだ。現に、冒険者業界の最上位層はスキル持ちが多いと聞く。騎士団が総出で対処するような強力な魔物を、単独で討伐してみせる兵もいるとかなんとか。


 いつかそんな化け物共と肩を並べる日が来るのだろうか。いや、そうでなければ勇者とやり合う等不可能だろう。


「これはこれは、マック様! お帰りなさいませ!」


 衛兵が馬車の紋章を確認し、挨拶に来たようだ。右腕を胸に当てているのは、この国の敬礼の形式だ。


「どうかなさいましたか? 厳しいお顔ですが……」


「いや、何でもない。忠勤ご苦労。何もなければ通るぞ」


「勿論問題ございませんとも! お通りください!」


 衛兵と入門希望者を割るようにして、俺達はカンパーニュの門を潜った。

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