バックステージ

 ■



 朔良が代理マネージャーの仕事に慣れてきた頃だった。

 テレビ局で、お昼の情報系バラエティ番組の収録が終わったあと、朔良はナツと共にESKプロダクションに呼び出された。

 自分たちを事務所へ呼んだのは、三上という女性だ。

(そういえば僕、まだ、ちゃんと三上さんに挨拶してなかったなぁ)

 三上はASKETの正式なマネージャーで、朔良は、この仕事を始めて数週間経った今日まで、彼女とメール上でしか関わっていない。

 社会人経験のない朔良が滞りなく仕事ができているのは、彼女の助けがあるからだ。ASKETのメンバー全員のスケジュールを管理して、さらに右も左もわからない朔良へ適切に指示ができる。言うまでもなく、仕事のできる女性だろう。

 彼女の顔を初めて見たのは、件の葬儀で車に乗せてもらったときだ。黒髪を後ろに一つ結びにして、フォックス型のメガネをかけている。アイドルのマネージャーというよりは、敏腕弁護士のようなオーラを放っている。

 待ち合わせのESKプロダクションの地下駐車場へ着くと、そこには三上とASKETのメンバー、ケイとエディが待っていた。

「あっ、あの、お疲れ様です。ご挨拶が遅れました。僕」

「別に、いいわ。水谷くんから君の事情は聞いてるし。時間ないのよ、早く車乗って」

「あ……はい」

 朔良が自己紹介をしようとしたら、三上は目を細めて朔良を一瞥したあと、早々と社用車の運転席に乗り込んだ。自分が運転します、と伝える隙もなかった。

 あっという間のことで朔良がその場で戸惑っていると、近くに立っていたエディとケイが駆け寄ってきて肩を叩いた。

「三上ちゃん、いつもあんな感じだから、怒ってないし大丈夫だよ。デレが少ないツンデレなの」

「そうそう、エディの言う通り、無愛想だけど、仕事は完璧だから、安心して!」

「は、はぁ……」

 ナツから、自分はASKETで末っ子ポジションだと聞いていたが、二人はタイプは違うけど、お兄ちゃんを絵に描いたような二人だ。

 今、バラエティ番組に引っ張りだこのエディとケイ。二人ともメインで冠番組を複数持っている。垂れ目の優しそうな方が、エディ。人懐こくテンションが高い方がケイだ。ステージで見た印象通りの二人だった。

(やっぱ、オフでも仲良いんだなぁ。ステージで見るのと一緒)

 いつも二人は漫才師のコンビのように小突きあっている。

「朔良、時間ないみたいだから、車乗ってから話しようか。でないと、三上さんに怒られちゃう」

 運転席の方を見ると、ギリっとこちらを睨んでいる三上の顔が見えた。

 ナツに手を引かれ、朔良はいそいそと車に乗り込んだ。二列目にエディとケイ。三列目が朔良とナツだ。

 メンバーが集合したのは、ASKETの中でドラマや舞台方面で活躍しているトキの舞台を観劇するためだった。

 後々ネットニュースに載せたいというスポンサーからの依頼で、要は話題作りのお仕事だ。三上がいるので、この仕事に朔良の参加は必要ないのだが、演劇が好きな朔良のためにナツが三上に頼んでくれたらしい。

 人気の舞台の初日で、S劇場の客席のチケットは完売だった。

 前方ブロックと後方ブロックの間、通路が近い席に一際眩しい空間がある。いわゆる関係者席だ。舞台全体が見渡せる良席だろう。朔良自身、何回もこの劇場に来たことがあるが、人気の舞台だとチケットは戦争で、良い席で見ようとすると、お金より運が大事だったりする。

(……もしかして、三上さん機嫌悪いの、僕が分不相応に関係者席に入り込んだから、とか)

 三上の機嫌の悪さに戸惑いながらも、その居た堪れなさが吹き飛ぶくらいに朔良は興奮していた。叶うなら、もう一度見たいと思っていた舞台の再演。人気の役者が揃い踏みで、朔良が端からチケットを諦めていた舞台だったから。

「朔良、お節介だった、かな。どちらにしても、関係者席のチケット余ってたし」

「ううん! 嬉しいありがとうナツ、僕、この舞台の初演を見てて、もう一度みたいと思ってたから」

「へぇ、前は、どうだったの?」

 隣の客席でナツは、朔良の喜びように満足しているような笑みを浮かべていた。

「ほんと、すごい舞台で……あの頃は、それほどチケット取るのが難しくなかったから、僕、何回も見に行って。毎回、違う演出があったんですよ。舞台は生き物って言葉では知っていたけど、この役たちは四角い箱の中で、ちゃんと生きているんだって……そう思って。すごく、憧れたなぁ」

「どんな話?」

「ジャンルは、スパイ物かなぁ。人気コミックが元になってて」

 千秋楽で朔良は、裏切りによって殺されてしまう先輩役に感情移入し過ぎて、涙が止まらなかった。いつまでも鳴り止まない拍手。終わってからも放心状態で、しばらく席から立ち上がれなかったのをよく覚えている。

「けどトキは、よくこの仕事受けたなぁ。前回の大成功があるから、プレッシャーすごいだろうし。けど俳優としてもいい経験になるからって。すごく頑張ってる」

 ナツは隣の席でパンフレットをめくっていた。

「主演の二人が交代して、先輩役が俳優の『柳理玖』さん。ドラマの方で、いま引っ張りだこですよね。トキさんと同じで」

 大成功をおさめた舞台の再演が決まったとき、メインキャストの後輩役の役者が中々決まらなかったそうだ。ASKETのトキが抜擢されたのは、制作中止のデッドラインギリギリだったらしい。

 きっとプレッシャーもあるだろうし、ドラマと舞台は同じ演技の仕事でも違う部分も多く、稽古も大変だっただろう。

 そういえば、大学の演劇サークルで練習を見ていた二人は、あの後どうなっただろうか。演技が小さく客席まで届かないことが課題になっていた。例年通りなら公演日はそろそろだ。

 そう思い出したところで、客席の照明が落ち幕が上がった。


 *


 目的のために嘘を吐き続け、唯一心を許している相手にも真実を伝えず逝ってしまう。――そんな最後まで自分の意思を貫く男。この舞台の初演を見たときの朔良は、そんなキャラクターを演じた『岬圭一』の演技に心が震えた。

 現実世界を思い通りにできる芝居。そんな幻想に魅了された。

 彼の圧倒的な演技力は朔良の希望だったと思う。生まれた環境を生かせず燻っていた朔良は、今と違う世界に憧れていた。

 多分、それが朔良の役者の世界への入り口だったように思う。

(ずっと……あの演技が理想だった)

 けれど、なぜか今日は先輩役ではなく、トキの演じている残された男の苦悩にばかり心を揺らされている。

 嘘を吐き通し、幸せに逝った男。嘘を吐かれて、残された男。

 どちらにも正義があり、理想があり、誰も悪くない。

 でもそれは、これが、お芝居だからだ。現実は絵に描いた通りにはならない。

 ナツと付き合ってから、朔良は幸せの中でも罪悪感があった。

 ナツに、まだ伝えていないことがある。

 水谷の仕事で、ここにいること。

 その仕事の成功の見返りに憧れの劇団へ入れること。

 全て話して楽になりたい、自分の軽率で浅はかだった部分と向き合いたい。

 けれど話した瞬間がナツとのお別れのときだ。

(だって、絶対……許せないと思う)

 墓場まで持っていく嘘、人の幸せのために貫き通す嘘。

 それはナツと出会う前、朔良が良しとしていた理想の世界だ。サクラの仕事で、誰かを幸せにしていると思っていた。実際、演技で誰かを救えていたかもしれないが、もう出会うことのない人たちだから、彼らの未来を朔良は知らない。

 けれど、ナツはこれから先も一緒にいる。知らない誰かじゃない。

 自分も登場人物の一人だ。

 ナツを本気で幸せにしたいと願うなら、過去に憧れた役と同じように、最後まで、嘘を貫くべきだろう。

 朔良はナツが好きだ。アイドルのナツじゃない、里村夏生も好き。

 愛した人だから、嘘をつきたくない。彼の前では、誰よりも誠実な自分でいたい。

 ナツの前で、偽りない自分でいたいと思うのに、どうしても、あと少し、あと少しだけと欲が出る。

 そんな自分を叱るように、嘘を吐いたまま逝く「彼」の演技が、朔良に届いた。

『バイバイ、君は、君だけは、幸せになってね』

 覚悟と共に彼は、さよならを告げた。

 本当の自分で、ナツの隣に居られない限り、朔良は――。

 朔良は、何が目的で、なんのために、この場所へ来たのか。


 ――役者になりたい。

 それだけだった。


 *


 公演が終わり、ASKETのメンバーはトキの楽屋に向かった。バックステージは関係者が絶えず行き交っている。舞台は初日なので明日からも公演が続く。熱気は途切れることなく雰囲気は忙しない。

 エディとケイが前を歩き、その後ろをナツと朔良が並んで歩いている。

 舞台が終わってから朔良は、ずっと気分が落ち着かず、まとまらない思考の海の中にいた。

「ナツ、ちょっと。監督の酒井さんが話したいって、一緒に来て」

 メンバーたちから、少し離れていた三上は、この舞台の監督をしている酒井と話をしていたらしい。

「え、俺? 何だろう。朔良、行こっか」

「ぁ、はい」

「あー花本さんは、いいわ。エディたちと、トキの楽屋へ先に行っててくれる? あとで合流するから」

 ナツのマネージャーは代理とはいえ朔良だ。朔良に聞かれて、まずい話でもあるのだろうか。結局、朔良は、三上に言われるまま、エディたちと、その場にとどまった。

 そもそも、三上は水谷からどこまで朔良の話を聞いているのだろう。

 ――ナツに芸能人としてやる気を出させる。その見返りに、劇団へ入れるように話をする。

(相手がナツだなんて、知らなかった、だから……)

 こんな条件、受けなければ良かった。今更、後悔しても遅い。

 母親が、この仕事を止めた理由を、やっと理解した。仕事の見返りで入団できたとして、その後、自分は胸を張って舞台に立てるだろうか。どんなに努力したとしても、後ろめたい気持ちは無くならない。

 全部、全部最初からやり直したい。

 ナツと三上が、その場を離れて廊下の先で姿が見えなくなると、前に居たエディとケイが顔を見合わせて朔良を振り返る。

「行ったな、よし。花本さん、ちょっと走ってくれる?」

「えっ」

「いいから! エディ、二人戻ってくるまで時間どれくらいだと思う?」

 そう言って二人は、朔良の手を掴み前を走り出す。

「あー多分、次の舞台の話だろうから、小一時間はかかるはず。でも時間欲しいから急いで」

 訳もわからないまま、二人に手を引かれ連れて来られたのは、トキの楽屋だった。

 部屋の奥の鏡の前には、既に衣装から私服に着替え終わったトキが座っていた。エディやケイと比べると細身で小柄なトキは、あらかじめ二人が来るのを知っていて、到着を待っていたようだった。

 賑やかな二人とは対照的に、真面目でクールな印象は、ステージで見る姿と変わらない。

 急いで連れて来られた理由が分からず、朔良が戸惑っていると、正面で足を組んで座っているトキが口を開いた。

「時間がないから単刀直入に。花本さん、水谷プロデューサーと裏で何かやってるでしょう」

「え……あの」

「あの人さ、お金使えば、どうにでもなると思ってるところあるからさぁ。なぁ、ケイ」

 エディの隣に立っていたケイが頷いた。

「うん。別に悪い人じゃないんだけど、昔からやり口が強引っていうかさぁ。今、アサトが休みで、なりふり構っていられない状況は理解できるけど、それでもね。僕たちには、ナツを守る義務があるから、グループの大事な仲間として」

 ASKETのメンバーに、朔良は探るような視線を向けられる。

「あの、僕は」

「花本さんが、水谷さんが連れてきたナツの代理マネなのは僕も、エディとケイも知ってる。けど、やっぱり変だと思って。ナツが辛い思いをしないなら別にいい。でも、そうじゃないなら……」

 トキに促されて、朔良は口を開いた。

「――僕は、ずっとナツのファンで……水谷さんは、それを知って、僕を代理マネージャーにした」

 夢の終わりは、ここでいいと思った。十分幸せだったから。ナツには、こんなに心配してくれるメンバーがいる。朔良がいなくても、大丈夫だと思えた。

「どうして? 理由は?」

「その……ナツは、アイドルを辞めるつもりなんです。けど水谷さんは、ナツに仕事を続けて欲しくて。僕みたいな、熱狂的なファンが身近にいたら、ナツが仕事やる気になるからって、それで」

「なるほど。それで、か。最近ナツに仕事がたくさん入るようになったのは。ほんと可愛いというか、ナツも単純だよね」

 トキはそう言って考えるような仕草をした。

「やっぱり、ナっちゃん、もう芸能界辞めるって心決まってたんだ。水臭いなぁ、困ってるなら相談してくれたらいいのに」

「ほんと、ナツは周りのことばっかりだねぇ、単純というか流されやすいというか」

 エディとケイが顔を見合わせて頷き合っている。

 朔良もナツのそんな性格に気づいていたから、彼が自分の望んだ道を選べないのではないかと危惧していた。

 ナツはメンバーとは、ビジネスライクな付き合いで線引きされて寂しいと言っていた。けれど何年も一緒に活動してきた仲間だ。やっぱりお互いのことをよく分かっていた。

「僕が、水谷プロデューサーが何か企んでるって知ったのは、ナツのマンションに連れて来られてからで、そもそも、ナツと一緒に住むって話も知らなかった」

「で、水谷Pが企んでるって知って、まだナツの隣にいるのは、なぜ? 水谷さんの企みに加担してるから? もしかしてナツが芸能人続けることで、花本さんに見返りでもあるの?」

 トキに尋ねられ、朔良の肩がびくりと跳ねた。

「見返りは……確かにありました。もし、ナツが芸能人を続けてくれたら、自分の夢が叶う」

「ほんと、やり口がきたないね。人の欲につけこんで、あの人は」

 トキは呆れたように息を吐いた。

「でも僕は、もう、それ要らなくなっちゃって。ナツには自分の夢を叶えて欲しいし、僕も、もっと欲しい物ができたから。だから早くこの仕事やめないといけないって、ちゃんと分かってて」

 ナツと一緒に暮らせて、恋人同士になって。キスをして。なんの取り柄もない、ただの、いちファンだった自分をナツは本気で愛してくれた。

 これ以上の幸せはない。

 劇団へ入るって話も、誰かに世話されて入っても嬉しいと思えない。

 それに気づいた。

 ナツの隣にいて、恥ずかしくない自分になりたい。たとえ幻滅されて、嫌われても。

 ナツが認めてくれた役者の才能を信じたい。

 メンバーがナツの近くにいて守ってくれるなら、自分なんていなくても大丈夫だと思った。

「――僕、本物の役者になりたいんです。ずっと、サクラのバイトで、裏で役者の仕事をしてました。だから今まで嘘を吐いても、罪悪感なんてなくて。人を救うための嘘なら平気だって。でも、もう終わりにします」

 一筋の涙が頬を伝った。それを袖で拭った。

「だから、皆さん心配しなくても大丈夫ですよ。ナツのことは、絶対、僕が守りますから。だから、この話はナツに秘密にしてください」

 朔良はメンバーたちに頭を下げると、先に帰ることを伝え、ナツのマンションに戻った。ボストンバッグに少ない荷物入れる。

 まだ幕は降りていない。朔良は、今から演技をするのだから、ナツのために。

「ごめんね、ナツ。短い間だったけど、楽しかった。――わがままでごめん。けど、この役だけは、最後まで演じてみせる」

 現実世界での演技は、これが最後だ。

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