クローズアップ
ナツに付き合う形で大学へ来たものの、朔良は先月すでに卒業している。
大教室の講義なら一人くらい増えていてもバレないだろうが、流石に少人数のゼミに生徒として紛れるわけにもいかない。朔良は悩んだ末、演劇部が活動しているホールに顔を出すことにした。
「じゃあ、また。四限終わったら連絡するね」
「は、はい。いってらっしゃい」
食べ終わった食器を返却口に置き、学食の入り口までくるとナツと分かれた。心配する必要なんてなかったと納得したはずだったのに、やっぱり気になって廊下の突き当たりの階段を上がるまでナツを見送ってしまった。
ちょうど休憩時間で学生たちが絶えず廊下を行き交っているのに、朔良だけがナツを見ていた。
ステルスは、どうやら本当だったらしい。
思えば卒業のとき、演劇サークルでは他の部活でよくあるような涙のお別れはなかった。朔良の居たサークルには、卒業してからも数年は繋がったままという伝統がある。どうせ近いうちにまた顔を合わせるんだから「またね」くらいの別れ方だった。
公演チケットの販売や人集め、そういった部分で「人脈はあればあるほどいいに決まっている」という考えかららしい。いい意味でも悪い意味でも互助会だ。素人の公演を人に見てもらうのは、それくらい難しいものがあるし、自分たちも在学中、卒業生に助けてもらったのだから、朔良も出来る限り後輩を助けたいと思っていた。
さっきまで居たA校舎と反対側にある演劇ホールは、コンクリートの螺旋階段を降りたところに入り口がある。周囲は草木が生い茂っていて年中日陰のままだし、心霊スポットになってもおかしくない外観をしていた。
この崩れかけの古びた建物は基本出入り自由の場所で、勝手に入っても誰にも咎められない。役者として見られることに慣れる意図もあって、昼間は入り口を開放した状態にしている。
朔良はひび割れた入り口のガラス戸を押し開けると、埃臭いロビーを抜け客席に続く厚い扉を開けた。
正面の舞台には見知った後輩が二人いて、スポットライトが当たっている。客席の明かりは節電のため落とされたままだ。
男女の喧嘩の掛け合いは毎年やっている演目で春公演の練習だった。邪魔にならないように後方の座席に座って見学していると、しばらくして賑やかな足音が背後から近づいて来た。振り返ると、今年四年生で部長の浜田が木材を担いで立っていた。黒のジャージ姿で首にはタオルがかかっている。
「花本せーんぱい。いまラインで練習に呼ぼうと思ってたのに、何でいるんですか俺の気持ち届いた? エスパーだったりする?」
人懐っこい軽口に冗談めかして肩を落とす。
「嘘つけよ。絶対適当言ってるだろ」
たまに演技もするが、主に裏方をメインにしている男だ。頭を個性的に刈り上げていて、いまのところサークルのどの役者より目立っている存在だった。
「本当だって、春公演の練習見て欲しいって思ってたもん。ついでにジュースの差し入れとかあったら嬉しいなぁ〜とかね」
「今日は別の用事で大学に来たから差し入れはないよ。手ぶらで悪かった、時間潰しに寄っただけなんだ」
「別の用事って、あ、もしかして就職センター? 就職届って大学に出さないといけないんすよね」
「あーいや、違うけど」
確かに卒業してから大学に来る用事があるとすれば、大体は就職関係だ。アイドルの代理マネージャーをしているとはいっても、定職についた訳ではない。それにASKETのナツと一緒に住むことになったなど口が裂けても言えない秘密だ。
「てか先輩、練習見てたんなら分かりますよね。今のままじゃ今年の部員獲得出来ない」
「そこまでじゃないだろう。毎年同じ演目だし、あの二人だって演技上手だし」
そう言って朔良は再び舞台に視線を向けた。
「だって! いま僕たちには先輩たちが、いない!」
唐突に背後から降ってきた浜田の演技がかった声はホール全体によく響いた。舞台役者向きの芯のある声だ。舞台上の二人は朔良の存在に気付き、はしゃぐように両手を振って朔良を呼んでいる。
「ね、全然駄目でしょう。あいつら俺より声が届かない。腹から声出せっていつも言ってるのに」
「言われてみれば」
確かに裏方をしている浜田に声をかき消されているのは問題だろう。
「だからさ、花本先輩ちょっと練習見てやってよ」
「浜田が今年の部長だろう」
「だって俺、声はいいけど大根だからなぁ。あと裏で大道具やらないと、他のメンバーは今日校舎でビラ配りだし手が足りなくて」
「呼ばれてないし部外者だけど」
「いま呼んだ、ね。はい、じゃーお願いしまーす!」
どちらにしても一時間ほど時間を潰さなければいけなかった。
言われるまま照明の下に連れて行かれ、監督のようにパイプ椅子に座らされてしまう。毎年同じ演目だからセリフは全部頭に入っている。春公演は家族愛をテーマにした短い劇だった。
ずっと両親から愛されていないと思っていた少女が、母親からの手紙をきっかけに、本当は愛されていたと知る場面。
一番観客を惹きつけなければいけない見せ場のシーンだった。
元々役者をやりたいと言ってサークルに入ってきた二人だ。演技自体は直すところがない。けれど同じ役者でも演劇はテレビドラマとは違う。演技が客席に届かなければ意味がない。だから、すごく勿体無いと感じた。
一通り最後まで通したところでアドバイスを求められた。
「――演技は、すごくいいんだけど。やっぱり声は、もう少し出した方がいいね。今のままだと、多分後方じゃ何を言っているか分からない。もちろんマイクはあるけど、セリフがぼやけて聞こえると思う」
「うーん、でも。結構、声張ってるんだけどなぁ」
「えっと、声を張るじゃなくて、届かせるイメージで、でないと喉痛めるから」
「届かせる、か」
「要所で視線を客席の方に向けて、もう少し胸を開ける感じのイメージで立つと、練習のときと同じように届く」
体の力を抜き、楽な状態を維持したまま姿勢を正す。腹式呼吸やロングトーンの練習は部員も普段からしている。けれど頭では分かっていても、セリフを読む段階になると同じように出来ないのはよくあることだ。
「一人ずつ相手するから、僕と同じように立って台本のセリフ言ってみて」
「はい」
朔良は椅子から立ち上がると妹役に向き合った。
『……兄様は、私の気持ちなんて知らないくせに』
言われたセリフを朔良が受け兄のセリフを続けた。
『――お前は、一度でも母様に自分の心を伝えたことがあるのかっ、僕には分かる』
『分かりっこないわ!』
『分かるさっ! だって……僕だって、君と同じように――嘘つきだったから』
客席に向けてセリフを放ったときだった。客席の一番後ろの席にナツの姿を見つけた。舞台以外の電気は全て落としているのに、その場所だけスポットライトが当たっているように錯覚した。朔良にしか見えていない彼のまぶしい光に思わず目を見張った。
おそらく誰もナツがホールに入って来たのに気付いていない。
演技に集中している間に、どうやら四限目の講義が終わっていたらしい。それでも中断してすぐに離れる訳にもいかず最後までセリフを言い切った。
『……僕は、とても後悔しているよ』
最後まで母と本音で語り合えなかったと後悔する兄のセリフに今の自分の境遇を重ねていた。
――良かれと思って嘘を吐いた。悪意はなかった。
朔良は自分の本当なんて、ナツは知らない方がいいと思っている。でも、いつか自分も後悔するんだろうか。真実を、本当の自分をナツに全部知って欲しいと、願ったりするんだろうか。
『――この手紙に、僕たちの全てが書いていた』
一通り演技が終わり、改善ポイントを後輩たちにいくつか伝えると、朔良は五月の公演には顔を出すと言って舞台を離れた。
客席に置いたままだった鞄を掴み急いでホールから出ると、壁を背にしてナツが待っていた。
「待たせてごめんなさい。いつの間にか時間過ぎてて」
「ううん、全然。いま来たところだし、演劇ホールに居るのは聞いてたから。ここ初めて来たよ。部外者の俺が勝手に入って良かったのかな」
「あ、はい。ここはいつも開放されているし出入り自由なので」
「そっか、よかった。じゃ、帰ろうか」
*
帰りも行きと同じバスに乗り、また並んで後方の座席に座っている。通勤客が乗る時間には少し早く、乗客はまばらに座っている程度だ。
半日一緒にいて流石に慣れたのか、アイドルが隣にいるという緊張感は薄れていた。
「ねぇ、ところで朔良って、もしかして役者になりたい人だったりする?」
「ど、どうしてですか」
「演技上手だったし。あと、なんか、目が違ったから」
「目、ですか」
「うん。この業界にいると、あ、この人は他と違うなって分かるんだよね。ほら、うちのリーダーも只者じゃないでしょう。なんか、その目と似てた……本気の人がする目っていうのかな」
「えっと、僕は、ただの趣味、で」
「えー本当に? 嘘だぁ」
「ぇ、ぁ」
首を傾げて顔を覗き込まれる。赤いセルフレームの向こうの瞳にじっと見つめられ、朔良は言い淀んでいた。人気アイドルグループASKETのリーダー、アサトと同じ目をしているなんて、恐れ多いにもほどがある。それに朔良からすれば、ナツの目の方が、いつだって特別な輝きを讃えていた。
窓から差し込む夕日に照らされて、瞳の奥に星が見える。さっきだって薄暗い客席に座っていたのに朔良には彼の姿がはっきりと見えていた。隠そうとしても、隠せない特別なアイドルとしての輝きだ。
「さっき、なんかさ。あの葬儀のときと同じ目をしていたよ。朔良」
「え」
「あ、ごめん、違う。もちろん、あれは演技じゃないけど。あの時も綺麗な目だなって思って見てたからそう思ったのかな」
ナツに何の前触れもなく演技を言い当てられて、息が詰まりそうになった。真実を伝えられないのが、こんなに苦しいなんて、この瞬間まで知らなかった。
同じアイドルでもナツだけが特別に見えるのは、ファンで、推しだからだけじゃない。
クローゼットゲイで、人間とまともな恋愛をしてこなかったし、ナツのことを最高の嗜好品だとか心の中で思っていた。そんな自分だから、こんな簡単なことも知らなかった。
好きな人の前では、誰よりも誠実な自分でいたい。
気づいたときには、また一つ、本当の自分を伝えていた。
「――ナツ、僕、役者に、なりたい。その……なりたかったんだ」
この人には、心から知って欲しいと思っていた。誰かに言わされたんじゃなく、自分の口から。
朔良が一生懸命口にした決意をナツは笑わなかった。
「やってないのに、過去形にしちゃダメだよ。なりたいなら、やらなきゃ、でないと後悔する。俺は応援するよ、朔良の夢」
ナツは朔良の夢を決して嘘や冗談だとは思っていないのだろう。まっすぐに真剣な眼差しを朔良に向けていた。
「僕、後悔する、かな」
「んーほら、やらない後悔よりやる後悔って言うでしょう。俺は、自分のこと芸能界向いてないなぁって、ずっと思ってて、でも、違ったって納得するためにやったのは悪くなかったよ。そうしないと次のステージにいけないしね」
水谷はナツが芸能界に入ったのは、家族からの推薦だと言っていた。ナツがはっきりと次のステージと言ったことで心臓が深く脈打つ。
「ナツは、やっぱりアイドル、辞めたい、の」
「――俺、建築士になりたくて」
「建築士、ですか」
「うん、もちろんアイドルとして、俺に出来ることが全部終わったら、だけどね。流石に、いま仕事投げ出したら、水谷さんも倒れちゃうし。だからタイミングを見て辞めるつもり」
きっとタイミングを見て、なんて言ってる間は、そのいつかは一生来ない。
ナツの眩しい笑顔に心がじくじくと痛んだ。水谷が自分をナツの代理マネージャーに選んだ理由も、ナツの人柄に触れて予想がついた。
ナツは口では嫌だ、辞めたいと言うが、実際に目の前で困っていたり悲しんでいる人がいたら、自分のことを後回しにしても、手を差し伸べてしまう性格なんだろう。
せっかく叶えたい夢が見つかったのに、ASKETの他のメンバーや、水谷の仕事の苦労を思って、すぐに辞めないのがその証拠だ。
(……僕の推し、アンパンマン、っていうか、聖女だった)
朔良の頭の中には今言うべきセリフがあった。
――ずっと、ファンです。だから、辞めないで。
例え男の朔良でも、本気でナツのファンだから辞めて欲しくないと涙ながらに訴えれば、ナツはアイドルを続けてくれるだろう。そしてナツがアイドルを続けてくれたら、朔良は憧れだった劇団へ入る切符が手に入る。そう、ロジックは単純だった。
(僕には、無理だなぁ。言えない)
サクラの仕事で、初めて罪悪感を覚えた。
芸能界には、鬼しか住んでいない。昔、母の友達の芸能人が、笑い話のように朔良に聞かせてくれたが、実際、その通りだった。ナツは、まだ売れるアイドルで辞める時期じゃないし、周囲も簡単には辞めさせないだろう。彼の優しさにつけこんで、あの手この手で引退を阻んでくる。水谷が朔良に演技を依頼したのが、その一つだ。
けれど朔良にとっては、好きな人が笑顔でいてくれるのが、一番の幸せだ。どうやら朔良は自分の夢より推しの夢の方が大事だったらしい。
せっかくのチャンスを棒に振るが、人を騙して鬼になってまで自分の夢を叶えたいとは思えなかった。
「さて、スーパーで何買おうかなぁ。朔良は何食べたい? 肉、魚?」
「え、ナツ、料理するんですか」
「意外? 料理上手だよ、俺。朔良は?」
マンションの最寄りバス停に着き、夕焼けのなか並んで帰る道中、朔良は絶対に芸能界の魔の手から推しを救い出そうと決意していた。
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