エクステリア


 外の騒ぎと正反対の静かな空気の中、葬儀は滞りなく進んだ。一番後ろの席で祭壇を見上げている間に、朔良の内側に渦巻いていた役の感情は、すっきりと消えていた。

(一体、あれは何だったんだろう)

 幽霊に憑かれていたなんて、オカルトじみた想像をしながら焼香をあげる。実在しない架空の人物を作り上げて感情移入するなんて、本物の役者みたいな経験をした。でも本当の友人は、嘘つきの自分じゃなくて、いま後ろに座っているアイドル二人だ。

 朔良は遺影を前にして心の中で謝罪した。

(初めまして、翠くん。本当の友達が来たし、偽物の僕は邪魔だったよね。どうか許してください)

 その足で会場を出ると、ホールの奥にあったトイレに入った。無事に仕事が終わって力を抜こうとしたときだった。

「月山くんのお友達だよね?」

 洗面所で手を洗っていると、突然後ろから声をかけられて思わず肩を震わせた。振り返ると、そこには舞台衣装みたいに喪服を着こなしているナツが立っていた。

「ぁ、ぅ、うん」

 朔良は仕方なく演技を続け、その場限りの嘘を重ねていた。

「えっと、里村さんは?」

 言った瞬間、しまったと思ったが口に出した言葉は取り戻せない。仕事が終わったからと完全に油断をしていた。役なら、ASKETのナツ、と失礼な感じに呼ぶ方が正しい。

「あれ、なんで、俺の本名知ってるの?」

「ぁ、その……大学が、同じで、先輩と」

「んー?」

 苦し紛れに答えると、マジマジと顔を覗き込まれた。朔良の顔を確かめるためにナツは少し首を傾けた。彼の白く透き通った頬にサラサラと赤茶色の髪が流れる。以前と違い、軽くかけていたパーマはストレートになっていて、暖色の照明の光を反射していた。

 心の準備をしていなかった。誰よりも整った顔が近くにあって心臓がジクジクと張り裂けそうに痛い。

 同じように美しい顔でも、リーダーのアサトだったら心臓は跳ねなかった。自分好みの極上品の造形美が呼吸が触れそうな距離にいる。

「あーわかった。思い出した。第二講義室でチョコレートあげた子だ」

 なんで覚えてるんだよって本気で驚いた。

 元アイドルだった母親が、ファンイベントに来てくれた子の顔は全員覚えていたと嘯いていた。けれどファンとの交流会とは訳が違う。朔良は、たった九十分の講義で隣に座っただけのファンでもない一般人だ。――今はファンだけど。

「あーその、節は、ごちそうさま、でした。なんで、僕のこと覚えてるんですか」

「え、話したじゃん。それに、君も覚えてくれてる。えっと、名前は」

 朔良がナツを覚えているのは芸能人だからだ。一体、どんな記憶力をしているんだろう。一度会ったら顔と名前を忘れないなんて政治家みたいだ。

「花本、です」

「花本くん、ね。お節介かなぁって思ったけど。お腹空いてるみたいだったから。なんかさ、アンパンマンになった気分だった」

「あ、はは」

 こんな美形のアンパンマン見たことないや、と内心ツッコミを入れていた。バックに花が咲き誇るようなアイドルスマイルを向けられて、ここがトイレなのを一瞬忘れそうだった。

 美しく整った外見とは違い、驚くほど素朴な人柄が滲み出ている。

 見た目は欠点ひとつ見つからないのに、あまり芸能人らしくない。ただ芸能人という生き物は何重にも仮面をかぶって生きている。

 これも外向けの演技かもしれない。彼の本当なんて、彼の自宅で二人きりにでもならない限り、この先も知ることは叶わないだろう。

「あの里村さんって、月山くんと同じ養成所だったんですか?」

「ううん違うよ。俺じゃなくてリーダーが月山くんと親友で。俺はリーダーが心配だったから、その付き添い」

「そうなんですね。月山くんのお母さん喜んでました。誰も翠に会いに来ないかもしれないって、ずっと僕に言っていましたから。里村さんたちが来てくれて、喜んでると思う」

「だといいけどね。俺自身は深く関わりがなかったから、ほぼ部外者だし」

 ナツは申し訳なさそうに眉を寄せた。そんなナツの言葉に一種の連帯感みたいなものを覚える。この場で故人を思う気持ちはあるけど、申し訳なさが心の隅を占めていた。

「あと、ずっと、ここに来てみたいって思ってたから、なんだか少し後ろめたくて」

「ここに、ですか?」

「うん。俺、ここ建てた建築家のファンだから」

「もしかして、伊坂さんの設計ですか」

「あ、知ってる? 俺、大学は現代建築専攻で」

 朔良自身は経営学部なので、それほど詳しくないが、単位のために取った現代建築史の講義の内容をぼんやりと覚えていた。内部空間に柱がほとんどない、曲線を大胆に取り入れた造形が特徴。教科書に書かれていた文章と小さな写真が思い出せる程度の浅い知識だ。

 ナツは思い入れがあるのか、それらの建物構造を熱弁し始めた。大学時代よく見た、研究室のオタクみたいな話し方だった。そんなナツの姿が面白くて、思わず笑みが漏れてしまう。

「――写真で見るのと全然違う。勉強になったなぁ、本当はもっと、フィールドワークに参加したいんだけどね」

 不思議な時間を共有していた。普通の、大学の先輩と後輩みたいな。

 そもそも、なぜ朔良に声をかけたのだろうと思っていたら、その答えは、すぐにナツがくれた。

「あぁ、それでね、君に話があって。うちのリーダーと一緒で申し訳ないんだけど。今から一緒に外に出ようか」

「え」

「あのね、マスコミすごいし、車で近くの駅まで送らせて。マネージャーに了承はもらってるから」

 予想していなかった提案に驚いて、思わず足を一歩引いていた。芸能人が一般人を車で送るなんて状況は普通ない。親しい友達でもない限り。そこまで考えて思い当たる。――あ、今、友達の役だった。

「え、そんな、僕は別に一人でも大丈夫ですから」

「外、多分すごく不快だろうから、ね。俺らが来たせいで、君がマスコミに追い回されるなんて、きっと月山君も望んでない」

 きっと自分が翠の友人だと知って、アサトが気を遣ってくれたのだろう。けれど、それは嘘だったから、申し訳なさでいっぱいになった。

 仕事で吐いた嘘に、さらに嘘を重ねていた。


 結局、押し問答の末、断りきれずにナツたちと共に外に出ることになった。

 ロビーでアサトと合流すると、深々と頭を下げられて恐縮してしまった。別に騒ぎになったのはASKETのせいではない。マスコミが取材に来たからだ。

 親友なら葬儀に参列したいと思う気持ちは理解できるし、彼らが矢面に立って一般人の朔良を送る義務なんてない。

 常々、身内から聞かされてきたが、改めて芸能人というのは不便な生き物だと思い知った。

 自分が正しいと思う通りには生きられないし、結果的に良くも悪くも、巻き込まれる人数が多すぎる。

 外に待機していた車に乗り込んだあとは、誰も口を開かず終始無言だった。

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