第35話「波打つ卵」

 さすがにまずいと思い、悠はついに部屋の扉を開けた。勢いよく開けたにも関わらず結と神崎はまったく気付いていないようだった。


 豪雨のせいか、雷のせいか。それとも――神崎が結を襲っている異常事態のせいか。


 悠の目に飛び込んできたのは、ベッドの上で神崎が結に馬乗りになっている姿だった。


「結ちゃん、暴れると余計痛いわよ? 最初の男の子、確か芹沢くんと言ったかしら。彼の時大変だったんだから。クローゼットの中が血塗れになったのよね」


 神崎は目の前の獲物に夢中なのか気付いていない。結を心配する一方で――悠は神崎が死に近付いていることを確信していた。


 ベッドの反対側、悠のすぐ側に芹沢健、河合咲季、明石瀬里奈、三人の幽霊が怒り狂った表情で神崎を見ていた。


 悠は無言で彼らを見る。


 幽霊たちもまた、悠のことは目に入っていない。ぶつぶつと自分の世界に入っている。


『あれは俺の獲物だ。あのクソ女に殺させて溜まるか――』


『先輩ばっかり、許せない。私だってあの娘を気に入っていたのに――』


『結を殺そうだなんて有り得ない。絶対にあってはならない――』


 三人の幽霊は怨嗟の籠った目で神崎を見ている。


「いや、やめてっ」


「止めるわけないわ。やっとここまで来たんだもの。少し時間を掛けすぎたわね。喜びなさい――あなた、私の人生の中で最高の獲物よ」


 雷が鳴り響き、結の部屋の中を照らす。凶悪な笑みを浮かべている神崎が手に持っていたフォークを掲げ――振り下ろすことはなかった。


 三人の霊から、それぞれひも状のなにかが結の腕や腰、足を捉える。


 悠はようやく心の底から安心した。これで神崎は結を殺すことは出来ない。


「なにこれ……」


 神崎が呆然と自らに絡みついている物を見て呟く。


 次の瞬間、神崎は引っ張られ、あっという間にベッドとは反対側に打ち付けられた。神崎のすぐそばには三人の幽霊。床に尻をつき、壁に張り付けにされている彼女の足元には芹沢たちの霊が絡みつき、固定していた。口を覆い、腕に絡みつき、神崎は身動きするどころか言葉も発せないようだった。


 一瞬だけ神崎と目が合う。こんな状況になっても彼女の中には冷静さがあり策略を巡らせている。


 だが、神崎に未来はない。三人の幽霊をまとめて怒らすなどそうそうあることではない。果たして三人分の恨みを一人の人間が受け止めきれるのか――見物だった。


 悠は用済みとなった神崎から視線を外し、結のもとに駆け寄った。ベッドから起き上がった結はひどく苦しげだった。


 結のその顔を見て、悠はぎりと歯ぎしりした。だが、表面上は平気な振りをする。余計な心配を彼女にさせたくない。


「悠ちゃんっ? 危ないから離れて」


「危ないのは姉さんだよ。まったく、こんな危険人物を家に入れちゃって……。僕がいなきゃ死んでたよ?」


「悠ちゃん?」


 悠は結の身体に危険がないか触れて確かめる。部屋の外で聞いてはいたが、怪我はしていないようだ。


「身体は大丈夫? 僕が見る限りは怪我とかしてなさそうだけど……」


「あっ、うん。それは大丈夫だけど。悠ちゃん、どういうこと?」


「……あの三人の幽霊。あれは僕が呼び出したんだ。……姉さんを守るために」


「私を? なんでそんな危ないことしたの、もうっ」


 結が抱き着いてくる。力が強く、悠は思わず呻いてしまう。悠が苦しがっていることに気付いたのか、結が抱き着くのをやめた。


 悠は口を開く。


「い、色々あったんだよ。結果的に守れてるんだからいいじゃん」


「それはそうだけど……」


 結は悩まし気に表情を変える。


「あの幽霊ちゃんと制御出来てるの?」


「うん。今の所は命令をちゃんと聞いている。みんな姉さんが大好きだから」


「ん? それって――」


 正確には制御なんかしていない。彼らが勝手に神崎を恨んでいて、勝手に殺そうとしているだけだ。


 神崎の呻き声が聞こえた。


 結とともにさっきまで神崎がいたはずの場所に目をやる。神崎は完全に幽霊に覆われていた。しかも、三人の幽霊は混じり合い、ほとんどその外形を失くしてる。ただのぶよぶよとした黒い半透明のようなゼリーみたいになっている。


 悠はとっさにコーヒーゼリーを思い出した。


 幽霊に覆われている神崎が――どろり、と溶けた。輪郭が溶け、消えていく。


 これには、さすがに悠も驚いた。


「悠、あれ、どうするつもりなの? 私、今手に道具持ってないわよ」


「心配しなくても姉さんには向かないよ。でも、たしかにどうしよう。姉さんを守ることばかり考えていて、その後処理のこと考えてなかった」


 結に後処理のプランが無いことを伝える。こんな現象は見たことがない。そもそも三人の幽霊が混じり合っているというのが理解できない。


 悠の言葉を受けた結は、悠の手から離れて近くのクローゼットに向かった。扉を開け、中から錫杖と札を取り出す。


「悠ちゃん、私の後ろに隠れてっ」


「えっ、でも……」


「早くっ」


「うん」


 悠にとって想定外の状況だったが、結には解決策があるようだった。結は霊の塊になった黒いものに対峙する。


 かつて三人の幽霊だったそれは、丸い玉に変貌していった。色は透明度を失くし、真っ黒になっていく。


 その姿は真っ黒な卵を連想させる。いいものには見えない。


「姉さん、これもしかしてマズい?」


「大丈夫。私がなんとかするから」


「姉さん……」


 結がなんとかするというのなら、そうなるのだろう。悠は今までの経験からそれを確信していた。


 卵は宙に浮き、微動だにしなくなった。しかし、消えることなくそこに存在し続けている。


 結が持っている錫杖がしゃらっと軽やかな音を奏でた。


「悠、そこから動いちゃダメよ」


「姉さん……」


 結が一歩ずつ卵に近付いていく。どうやってあれを消すのだろう? 悠には対処方法が分からなかった。


 途中で結が走った。すぐに卵に近付く。すると、卵の表面が不気味に波打った。


 卵から紐のようなものが、悠に向かって伸びてくる。


 紐に視線が行く中、その中央で結は錫杖で卵を殴りつけたのは目に入った。


「はあっ」


 悠に伸びていた紐が引っ込んだ。結がかなりの速さで持っていた札を卵に張り付けていく。黒い表面はものの数秒で白と赤に染まった。


 そこへ、結はさらに卵をタコ殴りにする。


「消えろっ」


 覇気のある結の声とともに、札と札の間から見ている卵の表面に罅が入っていくのが見える。


 そして――割れた。


 ガラスのような音を立て割れた卵はそのまま形を失っていく。


 結の振り下ろした錫杖が床にぶつかり、重い音を立てた。彼女はすぐに錫杖を引っ込め様子見しているようだった。


 やがて、完全に跡形もなく消え去り――結が力を失ったように腰を落とした。


 悠は慌てて結の元に駆け寄った。どこか呆然としている彼女の肩を引っ張る。


「姉さん……」


「悠……、大丈夫?」


 心配気に結は悠を抱き締める。悠は失敗した、と思った。元々は彼女のために神崎を育てていたのに、結果的に結を苦しめることになってしまった。


「うん、僕は大丈夫。姉さんこそ……、怪我してない?」


「大丈夫よ。悠こそ、さっき変なの飛んでこなかった?」


「うん……。でも姉さんが殴ったら僕に触れる前に止まった」


「そう、良かった……」


 結の安心しきった声音が余計に悠を苦しめる。ごめんなさい、悠は内心で沢山謝る。次こそは上手くやるから、と。


「黒い卵……」


「姉さん?」


「ううん、なんでもない」


 それにしても、あの黒い卵はなんだったんだろう。


 見たことのない現象。結は知っていたのだろうか。


 悠は結に感謝しつつ、「黒い卵」が頭から離れなくなった。


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