沙織ふたたび4

 カフェを出ても、沙織とナオミは、空白の時間を取り戻すみたいにしゃべりっぱなしだ。

 薄い青のワンピースの背中で、セミロングの黒髪がリズム良く左右に揺れているのを眺めているだけで、機嫌がいいのがわかる。

(会うのは3ヵ月ぶりだけど……絶交期間があったから、まともに話すのは半年ぶりぐらいか)

 女子が本気を出すと、男子が口を挟む余地はない。

 で、なにを話しているかと思うと、付属高校のだれとだれが付き合ったとか別れたとか、苦手な教師の悪口、そんな感じだった。あと、どこどこのパンが美味しいとか、ネットの口コミに書いてないようなこと。

 ぼくとコウヘイを引き連れて、後ろをチラっとも振り返らない。男女平等はどこへやら、ここは女性上位の世界だ。


「女子は理解不能だ。冷戦状態だったのに、なにもなかったみたいにしゃべってる」

 歩きながら、コウヘイがポーカーフェイスで口にした。

 ぼくに話しかけたというよりも、どちらかというと独り言のように聞こえた。もしくは、いつも隣にいたタイガを思っていったのかもしれない。

「気心の知れた友人に会えて、なつかしいんだと思う。オシャレして出かけるのもひさびさみたいだし」

「今日は、沙織の様子が見たかったのと、新しい男がどんなヤツかたしかめておきたかったからだ」

 ぼくは、ヘラっと笑ってうなずいた。

(まいったなぁ。ぼくが沙織の彼氏だと、本気で信じてるみたいだ)

 ぼくは、ふいに人間の体の60%は水分で出来ているという、どっかのスポーツドリンクの広告を思い出した。

 沙織の成分の何10%かは、ウソで出来ているのかもしれない。つき合わされてるぼくが、だましているようで気が引ける。

「沙織のことだから、つまらない男に引っかかってるんじゃないかと思ってた。まえの彼氏は最低だ。女癖が悪くて、沙織が傷つくのが目に見えていた。別れたと聞いたときには、よかったと思ったほどだ」

「K-POPのタレントみたいだった」

「キミはちがうみたいだ」

「まあ、うん……」

 褒められているような、けなされているような。素直によろこんでいいのか微妙だ。

 おべっかをいうタイプではなさそうなので、本心なのはまちがいない。

「その頃から沙織の様子が変だった。教室でもぼんやりとした様子で、ひとりだけべつの世界にいるような。知ってる通り、いろいろとあって孤立していた。いま思い返しても、くだらない理由だ。すべて誤解なのに」

「コウヘイが最後まで味方してくれたっていってた」

 ぼくは、沙織の言葉を代弁した。

 なんとなく、伝えておいたほうがいいような気がした。

 コウヘイは、なにもいわなかった。

 表情を変えずに、一定の歩幅で歩いている。

「もともと沙織は、自分の弱みを見せるのが苦手なタイプだった。うまく言葉にできないけど、ひとりで深刻な悩みを抱え込んでいるような。

 いつか話してくれるだろうと思っていた。4年間、同じ学校ですごしてきたし、ぼくにとっては数少ない友人だ。

 でも、ぼくの思いちがいだったみたいだ。沙織はなにもいわずに転校した」

 そこでコウヘイは、言葉を止めた。

 眼鏡の奥にある目で、ぼくの反応を探るように見る。

 ぼくは、ウソが見破られるんじゃないかとタジタジだ。

「キミには話したみたいだ。ずっと抱え込んでいた悩みを。さっき、沙織の顔を見てわかった。わがままなところはあるけど、沙織は相手を選ぶ。不機嫌そうにするのはまだいいほうで、嫌われると口をきいてもらえなくなる。そういう同級生が何人もいた。男子女子、どちらも」

「ぼくも無視されかけた」

「沙織と以前から知り合いだった? SNSで」

「いやぁー……転校してきて、はじめて」

 うまく説明できる自信がないので、祭りの日に会っていた件は端折っておいた。あれは、ぼくと沙織だけの秘密だ。

「不思議だ。知り合ってまもない、キミに打ち明けたことが。でも、そんなことは沙織にとってはどうでもよかったのかもしれない。理性より感情が優先するタイプだ」

「う、うん……」

「どんな内容かは、教えてもらえないだろうな」

「センシティブな話だから」

「以前のように沙織が明るくなったのが素直にうれしい。転校してよかったとは、思えないけど。ところで――」

 急にコウヘイがいい淀んだ。

 ぼくは、なんだろうと思った。

「ぼくは、残酷な天使のテーゼ、を歌うつもりだ。キミはなにを歌う? 曲がかぶったらまずいだろ。ぼくは、いつも沙織たちにからかわれるんだ」

 ぼくは、拍子抜けした。

 コウヘイのポーカーフェイスが崩れた気がした。ほんのすこしではあるけど。

 ぼくは、付属高校のヤツらは、みんなえらぶってるのかと思ってた。沙織の元カレが、そんな感じだった。

 でも、コウヘイには嫌味な感じがしない。クラスはちがうけど、同じ委員の顔見知りみたいな感じだ。時間があれば、いい友達になれそうな気がした。


 ◇ ◇ ◇


 カラオケで大事なことは、ノリのいい曲を歌って、盛り上げ役に徹することだ。死んでも失恋ソングを歌うんじゃねえ! とヨシオに叩き込まれてきた。

 タンバリンを叩いて、合いの手を入れて、女子が歌ってるときに体を揺らすだけでもいい。歌いやすい雰囲気を作るのは、それほど難しいことではない。

「出た! コウヘイのテーマソング! 中学からずっと歌ってるよね」

 トップバッターはコウヘイだった。

 テーブルには、注文したジュースや、フライドポテトなどのスナック類が並んでいる。

 ぼくは、back numberの『高嶺の花子さん』を選曲した。念のため、昨日のうちに練習しておいた。

「ナオミは、なに?」

「あたし、YOASOBIのアイドル。沙織はマリーゴールドね」

「あとで、さくらんぼをデュエットしましょ」

「ワクワクする! 今日は喉が枯れるまで歌う!」

 モニターの前で、沙織が両手でマイクを持って、あいみょんの『マリーゴールド』を、振り付きで歌いはじめると、ぼくの目は勝手にくぎ付けになっていた。

 吸い込まれるように一対の黒い瞳に視線が合って、絡みついてはなせなくなる。

 ぼくは、沙織の歌っている姿を見ているだけで、とても楽しかった。

 そんなぼくを見て、沙織が楽しんでいるのが伝わる。

 ぼくが楽しいから沙織も楽しい。

 あいみょんの曲って、こんな良かったのか、と素直に思った。ちょっと感動したぐらいだ。


 ◇ ◇ ◇


 カラオケ店を出て、ぼくらは二手に別れた。

 ナオミとコウヘイは駅方面へ、ぼくは沙織をタワマンまで送るため中央通りを市役所の方向へむかう。

 夕方になって、空気はかなり涼しくなっていた。

「早川さんのマリーゴールド、よかった。歌う姿もハマってて」

「……沙織でいいわよ。そっちのほうがウソっぽいし」

 沙織は、さっぱりした表情をしていた。

 親友とのわだかまりが解消して、肩の力が抜けた様子だ。

「ごめんね。私のわがままにつき合わせちゃって……LINEで会おうとはいってたのよ。ひとりだと、どうしても踏ん切りがつかなくてさ」

「うん。まあ、おどろいたのはおどろいた。けど、沙織の話がいろいろ聞けて楽しかったよ。中学のときから率先的だったんだな」

「ナオミが褒めてたわよ。防波堤で、麦わら帽子をかぶって釣りをしてそうな人だって」

「なんだそれ」

「さあ。のんびりしてそうってことじゃない」

「ふたりともいいやつだな。ナオミは裏表がない感じだし、コウヘイはクールだ。ふたりをだましたみたいで、なんかへこむ」

「ウソは、バレなければウソにならないのよ。だれも傷つけないウソでしょ。人助けをしたと思えばいいじゃない」

「コウヘイは沙織のことが好きなのかな」

 ぼくは、気になっていたことをストレートにぶつけてみた。

 沙織は、キョトンとして、遅れて吹き出すようにして笑った。

「めずらしくまじめな顔をしてると思ったら、そんなことを考えてたの。ほんと鈍感ね、将樹は」

 ぼくの体に肩をぶつけてくる。

「いてぇ。どういう意味だよ」

「ナオミとデュエットしたでしょ」

 沙織とナオミは、大塚愛の『さくらんぼ』をデュエットした。

 高校の最強コンビといった感じで、ハイタッチのタイミングもバッチリだった。

 ぼくは、お約束の「もう1回!」のコールを入れた。マナーみたいなもんだ。

「コウヘイ、まばたきもせずにナオミのことを見てたわよ。こっちから半分は視界に入ってないみたいに」

「まじか」

 沙織に気を取られてて、隣の様子を見てなかった。

 てっきり沙織のことが好きで、ゴタゴタのときも味方したのかと思っていた。普通、好きな女子と対立なんてしない。沙織がコウヘイのことをバカだといってた意味がやっとわかった気がした。

「私の様子を見たいとかなんとかいって、ナオミがいるから予備校をサボってついてきたのよ。コウヘイは、中学のときから片思いしてるの。本人は口に出さないけどバレバレ」

「そうだったのか……まてよ、わざと遅刻したのもそのためだったのか。コウヘイとナオミを、ふたりきりにするために」

「まあね。ミカとタイガは、あんなことになっちゃったし。私の味方をしてくれたから、1回ぐらいアシストしてあげてもバチは当たらないはずよね。このあと、ナオミを家まで送れば作戦成功ね」

「案外、気が利くんだな」

「案外はよけい。私だって、いろいろ考えてるのよ。ときどき空回りしちゃうけど」

 沙織が「ほら」という感じて手を差し出して、ぼくらは、自然と手をつないだ。

 沙織の手はひんやりとしていて、力を入れると壊れてしまいそうなほど繊細だった。

「将樹は、カラオケうまいのね。気持ちが入ってて、感心しちゃった。あれって、私のことだったりして」

「高嶺の花子さん?」

「ちがうの?」

「さあ、どうだろう」

 ぼくは、あやふやに笑ってごまかした。

 いわれてみれば、沙織のことをいってるみたいな歌詞だ。まったくの偶然だけど。

「見てて、ふっと思った。将樹が、はじめから私たちのグループに居れば良かったのに。5人って不便でしょ。ファミレスに行くのも、遊園地でアトラクションに乗るのも、ひとりはみ出るわけじゃない。ずっと、なにかが欠けてるような気がしてたの。本来ならいるはずなのに、神様の手違いで、この場にこれなかった男の子がいるんじゃないかと。ピースが欠けたパズルみたいに。

 女子に人気のナオミ、スポーツマンのタイガ、秀才のコウヘイ、だれからも可愛がられるミカ、私はリーダーで。きっと、無敵の正六角形になってたはずよ」

「ぼくの役割は?」

「私の隣に居てサポートをするの。私が右っていったら、右だ! といって、左っていったら、つぎは左だ! と大きな声でいうの。もし私がまちがえてたら、ごめん、ぼくがまちがえたと、かわりに謝るの」

「むちゃくちゃ損な役回りだな。ただの便利屋じゃん」

「ご褒美はちゃんとあるわよ。学校が終わったら、こうして手をつないで帰るの。楽でしょ。6人でデートしたら、ステキじゃない」

 それは、悪くない取引のような気がした。365日、沙織の機嫌を取るのは大変そうだけど。

 ぼくらは、中央通りを南下した。

 途中、お宮さんの鳥居の前を通過する。

 ぼくと沙織が、はじめて会った思い出の場所だ。

「私が転んだの、このへんよね。将樹が手を貸して起こしてくれて」

 沙織は、なつかしそうにいった。

 なんの変哲もない普通の道だ。あのときに転ばなければ、ぼくらはこうして手をつないで歩くこともなかったわけだ。いろいろな偶然が重なって、いまがある。

「お宮さんって、じつはお寺なんだ。鳥居があるのに。知ってた?」

「試験に出ないような、つまらないことを知ってるのね」

「つまらないかな」

「モールでも南大東島がどうとか話してたでしょ。それより、将樹の話を聞かせてよ。家族とか、子供の頃の話とか」

「そっちのが、もっとつまんないよ。平凡を絵にかいたような家だよ。思い出っていわれても、どれもぼやっとしてる」

 大きな交差点を右折して、昼は観光客の多い公園通りを西に進む。

 沙織が、こっちのほうが景色がいいからとわざわざ遠回りを提案して、ぼくもそれに従った。

 車がひっきりなしに行き交う車道の横には、クスノキやケヤキの樹木が飢えられた緑地帯の歩道があり、そこをのんびりと歩きながら、団地にある二階建ての一軒家で、父親が市民センターに務めていて、母親が近所のスーパーでパートをしてることや、小学生の妹がやたら生意気になってきたことを話した。家には、父親が若い頃に集めていた音楽CDのコレクションがあり、その影響でむかしの楽曲にくわしくなった、とか。

 沙織は黒い瞳を輝かせて、もっと聞かせてとせがむようにうなずいていた。

「それでいろいろ曲を知ってたのね。私も妹か弟がほしかったな。家が賑やかになるでしょ。夕食のときとか、ママと私がしゃべって、パパはうなずいてるだけなの」

「沙織はお姉さんというより、どう見ても妹タイプだよ。べったり甘えてそう」

 ぼくがいうと、沙織はふくれっ面をしてた。

 その姿がとても可愛らしくて、ぼくは沙織のことが好きなんだと、すっと心に入ってきた。

 まえから気づいていた。けど、認めたくなくて、なるべく考えないようにしていた。

 それは、沙織がとびきりの美人で頭もよくて、自分の手には届かない存在だと勝手に決めつけていたからだ。

 手をつないでいると、そんな不安や卑屈な考えは、跡形もなくかき消されてしまった。

 いまはありふれた街の景色も、ステキな映画の一場面のように見える。

 家路へとむかう人の流れの中、きらびやかな明かりの灯りはじめたビルを眺め、沙織も同じ気持ちだったらいいのにな、と思った。

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