沙織3

「あの日、先輩と待ち合わせをしてたの。神社のまえで」

「へー」

「先輩に事情を説明したら、新しい浴衣を買ってくれるって。先輩の父親はコンサル会社を経営してるのよ」

「そうなんだ」

「私、ショックだった。この日のために一生懸命選んで買ったお気に入りだったのに、ちょっと汚れたら、新しいのを買う人なんだって。ウソでもいいから、似合ってるねっていってほしかった。先輩に悪気はなかったのはわかっているのよ。転んだのは私なんだし。そういう人なんだなって気づいちゃったの、そのとき」

 沙織はおろした髪を、携帯用のヘアブラシで手際よく整えていた。

 女子は髪型で印象がすごく変わるもんだと、あらためて思った。

 いつものセミロングだと、制服を着ていることもあって落ち着いた雰囲気の女子高生って感じだけど、髪をあげるとおしゃれな女子大生っぽくも見える。

 実際、あのとき、沙織のことを自分よりすこし年上かなと思っていた。

「とても似合ってたよ。アサガオの浴衣」

「ありがとう。私が転校してきて一番うれしい言葉ね。……先輩と祭りを見てまわったんだけど、ぜんぜん楽しくないの。浴衣は汚れるし、膝は痛いし、へんな男にイカ焼きのソースはつけられるし。ずっとイライラしてた。先輩がなにを話してたのか、頭にほとんど入らないぐらい。最悪よね、すごい楽しみにしてたのに。それで、早めに切り上げたの。先輩に体調が悪いですっていって」

「ふーん」

「その日の夜よ。夢が真っ白に変わったのは。それだけじゃないの。外に出るのも辛かった生理の痛みが、雲が晴れるみたいに消えていたの。家に帰るまでイライラして気づかなかったけど、それまで鉛の球を2・3個引きずってたのが取れたみたいに。いまでは、ほかの人より軽いぐらい。ぜんぜん辛くないの」

「経験ないけど、痛みがなくなるってのはいいことだ」

「これはなにかあるって思うじゃない。夢が変わって大きな水晶の柱まで出現して。私になにかを知らせているんだって」

「うん、まあ」

「仮説を立ててみたの。これは私が正解を選んで、ステージアップしたんじゃないかって。生理が軽くなったのは、そのご褒美」

「まるでクイズゲームみたいだ」

「それ。クイズだとしたら制限時間があるはずよね。水晶は、それまでに私たちを導こうとしてるんじゃないかしら。へんな夢を見せて」


 そこで沙織は、アイスティーのストローに口をつけた。

 息を整えるみたいに。

「それ以来、先輩とギクシャクするようになったの。廊下ですれちがうだけでも、ドキドキしてたのに。学校で先輩に話しかけられてもうわの空なの」

「へー」

「先輩も、私の態度になにか感じていたのね、家に遊びにこないかって誘われたの。その日は親がいないから、ふたりきりでシアタールームで映画を見ようって。ピンと来たわ。先輩、私をヤルつもりだって。ね、絶対そうでしょ? 男子が、わざわざ親のいない家に彼女を誘うって」

「う、うん……ぼくはよく知らないけど」

「先輩が女の子にすごくモテるのは話したでしょ。いつもこんなふうにして、ヤッてるんだって想像したら、急に全身がザワザワしちゃったの。そういう噂はまえから聞いてはいたけど、それまでは、ほら……夢中になってたから、どうせ無責任な噂話だって気にしてなかったし。でも、冷静に考えて一気に冷めちゃった」

「そうか」

「で、こっちから別れたわけ。ごめんなさい。もう付き合いませんって、LINEもブロックして」

「なかなかやるなぁ」

「先輩、納得してくれなくて。学校で、なんでだ? なんでだって迫ってきて。もう1回やり直そうっていわれたのよ。私も困って、タイガに相談したの。仲のいいグループがあるっていったでしょ。基本的に中学から同じ顔触れだし、高校に上がっても友人関係はそのまま続くことが多いの。

 タイガはそのうちの、サッカー部だったんだけど、これが大失敗だったの。相談しているうちに、タイガが変な誤解しちゃって、いきなりずっとまえから好きだったって告白してきたの。タイミングを逃しているうちに、私が先輩と付き合いだしたから、あきらめたとか」

「サッカー部かぁ」

「どう思う? 彼氏と別れたばかりの女子に告白するのって」

「うーん、チャンスだって思ったのかな」

「でしょ。どうせなら、ダメもとで付き合うまえにしてほしかったわよね。そっちのほうが潔いでしょ」

「うん、まあ」

「私、タイガのことを、これっぽっちも恋愛対象として見てなかったの。いいヤツはいいヤツよ。わりとかっこいいし、学校で一番しゃべる男子っていうぐらい。

 それに、タイガは同じグループのミカと付き合ってたのよ。ミカはとてもいい子なの。ふわふわした感じのお嬢さまで。私から見てもお人形さんみたいにかわいいなって思うぐらい。

 その場で、バッカじゃないって怒ったんだけど、どういうわけかタイガが私に告白したっていう噂がクラスに広まって、ある日、ミカが友達の彼氏を盗るなんてひどいって、ヒステリックを起こしたの。

 私、まいっちゃうわよ。ミカにそんなこといわれるなんて思ってなかったし。人生ではじめてよ、彼氏を盗っただなんていわれたの。ぜんぜん盗ってないのに。

 タイガは開き直って、ミカごめん、やっぱり自分の気持ちはごまかせない、沙織と付き合いたい、とか。いやいや、私の気持ちはどうなるの? って思ったわ。勝手に盛り上がって話を進めないでよ、まったく。そういう後先考えないところがタイガの欠点なの。

 ミカはワンワン泣きはじめるし、そうしたらナオミは当然、ミカに同情するわよね。タイガと沙織が悪い! って。事情もよく聞かずに。私は、ナオミまでってショックよ。ナオミは普通の家庭で育ってて、私ととても気が合うコなの。

 どうしようってあたふたしてたら、コウヘイが3人で沙織を責めるなよ! って参戦してきたの。

 私の味方をしてくれるのはうれしいけど、これってやばい状況でしょ。コウヘイって勉強ができて、学年トップを取るぐらいかしこいのに、バカなの。

 だって、男子ふたりが私をかばったら、逆効果になるのは目に見えてるじゃない。

 コウヘイまで沙織の味方をするのって、ナオミがヒートアップ。もうね、グループが空中分解。中学のときからあんなに仲良くて、よく遊んでたのに、壊れるのは一瞬。

 ミカは私を泥棒猫みたいにいうし、タイガは付き合ってくれっていうし、ナオミはとにかく謝れっていうし、コウヘイはバカだし。なんか私がいないほうがいいのかなって思えてきたの。

 お正月も北海道の修学旅行も、5人で遊ぶ約束してたのに。全部パー。学校でなにかあるわけじゃないけど、教室のギスギスした感じが一番身にこたえたわ。女子特有の口を聞かない感じ。休憩時間のときも、自分の席から窓の外を眺めたり。

 もうすべてがめんどくさくなって、そういうことも全部ひっくるめて、リセットするつもりで転校することに決めたの」

「そういう経緯だったのか」

 みんな純情だなーって思うのと、なんだか沙織の自慢話を聞かされているような気がした。

 沙織に落ち度があるとすれば、彼女もちの男子に相談したことだけど、5人とも進学校の高校生だからしかたないのかもしれない。沙織はすこしばかり、自分に正直すぎただけだ。


「ねえ、楠くん。いま他人事みたいに思ってたでしょ。いっとくけど、半分はあなたの責任なのよ」

「ええ、どこがだよ」

「だって、考えてみなさいよ。あの日、あなたに出会わなければ、私はこんなふうに転校しなくて、付属高校で順風満帆の高校生活を送ってたはずでしょ。しかも、あなたは私のことを忘れてて、1年生とまちがえる始末だし。どうしてくれるのよ」

「どうするっていわれてもさ。それで怒ってたのか」

 ぼくは、理不尽、と思った。


「まあ、どちらにしろ、夢の謎を追うつもりでもあったんだけど。いつまた重苦しい生理が復活するかもしれないし」

「でもさ、よく学校がわかったな。そんときは古墳だって知らなかったわけだろ」

「……これは、黙ってるつもりだったの」

「なにが」

「水晶の柱と一緒に楠くんが出てきて」

「ぼく?」

「気づいてないみたいだけど、あなたには他人の夢の中に入る能力があるみたい」

「ちょっと待って。ぼくが早川さんの夢に出てるの?」

 ぼくは、かなりおどろいた。

 自分に、そんな特殊技能があったとは知らなかった。

 残念なのは、ぼく自身にはなんの得も利益ももたらさないことだ。

「あなたは、ぐーすか寝てるわ。とても幸せそうに。丁寧に制服を着てて、それで学校がすぐにわかったの」

「たたき起こしてくれてかまわないのに」

「楠くんの夢が真っ暗な理由はすごく単純なの。目を閉じてるせい」

「ぼくは目を開けてるよ。夢の中で、まばたきをする感覚もある」

「ううん。閉じてるの。ピッタリと貝みたいに堅く。私はこの目で見てるの」

 沙織は、まるでさっき見てきたように断言した。

 それはすべて彼女の夢の中の話だ。

 沙織の見る夢の中のぼくと、ぼくが見る夢の中のぼくが、かならずしも一致するとは限らない。

 そもそも夢の中のぼくが、現実のぼくと同一なのかも怪しいもんだ。

「今夜、あなたは夢を見るわ。暗い洞窟の夢を」

 前回からまだ2週間ほどしかたっていない。計算が合わない。

 ぼくは、そう伝えた。

「それが水晶の柱が本当だっていう証明」

 なるほどなぁ、と妙に納得してしまった。

 理屈は合ってる。

「落ち着いて、深呼吸をして、ここは怖くないんだって自分に言い聞かせるの。なにかが見えるはずよ。暗闇の中に、なにか気配のような物を感じたことはない?」

「気配? いや、ぜんぜん」

 ぼくは、ずっと周りは真っ暗だと思っていた。

 水の音が聞こえるだけだ。

 石の上にしゃがんで、現実に引き戻されるのを待っている。

 まるで海の底に沈んだ沈没船が引き上げられるのを待つように。


 ◇ ◇ ◇


 その夜、ぼくは部屋のベッドに寝転んで、いろいろ考えてみた。

 年上の元カレ、重くて辛い生理、真っ白な空間、水晶の柱、祭りの夜、アサガオの浴衣、沙織のこと。

 天井を眺めながら(あのコ、早川さんだったのか)と思った。

 すごい綺麗なコで、もう1度すれちがわないかなってキョロキョロしてた。

 いま思い返せば、どう考えても沙織本人だ。艶のある黒髪も、整った顔立ちも、キッとにらむような目つきも。

 我ながら、鈍感だなぁ、とあきれてしまった。

 ゴミ捨て場で急に不機嫌になったのも、大型書店で突っかかってきたのも、ちゃんと理由があったわけだ。

 ぼくは、沙織にずいぶんとひどいことをいった気がする。

 仲のいいグループが崩壊したのだって、本人は軽い感じで話してたけど、かなり責任を感じてるみたいだった。

 考えているとモヤモヤしてきた。

 どうしようもなく、沙織にLINEを送りたくなった。

 沙織もぼくからのLINEを待っているような気がする。手元にスマホを置いて、いつでも返事ができるように。

(なにを送ればいいんだ?)

 と思った。

 夢のこと? 先輩のこと? 友人グループのこと?

 なんかどれもちがう気がする。

 考えているうちに、明日学校でまとめて話せばいいや、と思えてどうでもよくなった。

 頭の片隅で、たぶん夢を見るんだろうな、と思った。あの古墳の夢を。

 体が重くなって、意識が吸い込まれるように眠たくなってくる。

 そうして、ぼくは、ふたたび沙織の予言が当たることを知る。

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