私メリーさん、いまもあなたの後ろにいるの

@idkwir419202

序話 メリーさんからお電話

 今どきさ、都市伝説なんて流行らないよな。

 誰かが言ったその言葉は、広範化したネットにいつまでも残っていく。

 そうそ、もう怖くない。口裂け女とか、メリーさんとか、トイレの花子さんとか。

 今や都市伝説は一つのコンテンツとして消費され、浪費され、享楽として果てる。

 彼ら彼女らの心の中には都市の闇に潜む薄暗い恐怖など微塵もなく。

 故に今の人々は容易に「一線」を超える。


 現実でも、電脳世界でも。


 その闇に未だ悪が巣食っていたとしても気にせずに、容易に闇へと足を踏み出す。

 だがそれを良しとしない存在がいることを、我らは忘れるべきではない。

 たとえそれが、人間でないとしても。


 ────西暦20XX年1月11日・夜────


 東京の夜は随分と明るい。誰かに小山大路はそう聞いたことがあった。

 田舎、特に農村部にいけば真の暗闇を感じ取れる。そしてその闇に潜む何かの息遣いを感じられる……。子供のころの話だ、今でもそうだとは限らない。

 いま不意に、この話を思い出したのは。自分が都市の暗闇に潜むモノを刺激したからだろう。

 「おらぁ!十二発目っ!」

 掛け声とともに大路の頬がげんこつで張られる。すでに奥歯が何本か折れ、口や鼻から出血が止まらない大路に、どこぞの不良高校生たちが暴行を続ける。

 「ねぇ~もうつまんないよぉ。こいつお金持ってないし」

 不良につるむギャルがそういいながら大路の財布をひっくり返す。暴行ショーなど手慣れたものだろう不良たちに、大路は見事嵌められていた。

 おかしいと思わなかった己の判断能力を嘆くしかない。不良に絡まれた目の前のギャルを助け、茶の一杯でもと誘われ、気が付いたらラブホテルの一室で暴行の被害にあっている。

 美人局。簡単に言えばそのたぐいだ。変に抵抗心を見せた大路が謝るまでというお題目の元、すでに小一時間は暴行が続いている。未だに命があるのが不思議なぐらいだ。

 「たく、人の女に手を出したらどうなるか、しっかり体に刻みつけなきゃ、な!」

 溜めた息を吐き出すと同時、倒れて立ち上がれない大路の腹に渾身の蹴りを叩き込む。激痛と共に胃酸がせりあがってくるのを大路は自覚するが、それでも不良共を睨む目は頑として、したたか。

 その眼が気に入らないとみるや、不良の一人が懐からバタフライナイフを取り出した。無理やり大路を抱き起こし、サイドテーブルに大路の手を広げさせ、小指に粗末な刃を押し当てる。

 「おう最後のチャンスだ。ヤクザもんと間違われたくなきゃ土下座して謝るんだな」

 せせら笑う不良の言葉にしかし、大路は砕けた歯をかみしめて睨みつけた。血が溢れる、床に垂れて血だまりを作ってなお、大路は謝ろうとしない。

 その気迫に多少なりとも不良たちが怯む。あるいは遊び、ここまですれば相手から謝罪を引き出せるという常套手段なのだろう。大路の鬼迫に誰かが息を呑む声が聞こえた。

 「ちっ、気に入らねぇ。おら、お前の小指とお別れするんだな!」

 そんな中でも大路の指にナイフを突き立てている不良は不遜だった。その言葉を最後に、大路の指にバタフライナイフを振り下ろそうと振り上げて。

 ──突如として、サイドテーブル横にある受話器がけたたましく鳴り響いた。

 「……くそ、流石に感づかれたか?」

 「ね、ねぇ。流石に逃げないと不味くない?」

 「いや逆に出ねぇ方がおかしい。後で口裏合わせろ、お前はグズを浴槽に放り込んどけ」

 その言葉と同時、ナイフを持っていた不良が受話器を取る。ぎこちなく受話器を耳に押し当てた彼の耳元から微かに、鈴のような女の声が聞こえてきた。

 

 私メリーさん。今貴方がいるラブホテルの前にいるの


 「……ん?なんだおまえ」


 私メリーさん。今貴方がいるラブホテルの入口にいるの


 「おい、ザけてんじゃねぇぞ」


 私メリーさん。今貴方がいるラブホテルの階にいるの


 「お、おい。なんだてめぇ、フロントのババアじゃねぇのかよ」

 

 私メリーさん。今貴方がいるラブホテルの部屋の前に──


 がしゃん。けたたましい音を立てて受話器を置いた不良が蒼い顔で部屋の入口を見る。この部屋にいる全員に内容が漏れ伝わっていたのだろう、一人の不良が恐る恐る入口を確認する。

 覗き穴から見たのだろう不良が安堵した表情で戻ってきて頭を振る。その様子を見たナイフ持ちの不良もまた、安心した表情で受話器を蹴り飛ばした。

 「ふざけやがって、コケにするのもたいがいにしろあのババア」

 叫びながら、己の心に宿った不安を払しょくする。

 そしてもう一度大路を見た不良は苛立たし気にナイフを振り上げた。恐怖を狂気に変えて不良が思い切り声を張る。その声で己の怖気をかき消すがごとく、狂気に身を委ねて。

 「今度こそ、お前の小指を切り取ってやらぁ!」


 ──私メリーさん。今貴方の後ろにいるの


 その声は確かに、全員の耳に聞こえた。大路とて例外ではない、受話器から聞こえてきた鈴のような声が部屋に響き渡るのを確かに聞いた。

 不良たちの肩が震え、ナイフ持ちの不良の後ろを見る。直後、全員が悲鳴を上げて飛び上がった。ナイフ持ちの不良も、大路も、恐る恐る二人の背後を振り返る。

 綺麗だ。大路が感じた第一印象はそれだった。音もなく、気配もなく、誰にも気づかれず出現したその女はまるでビスクドールの人形のようで。だが彼女から言いようのない感情を感じたのは、その女が人ならざる都市伝説に似た顕れ方をしたからだろう。

 とすん。ナイフ持ちの不良の背中に何か突き立てられる。大路が不良の背を見る、ナイフだ。いや、これはナイフというより──。

 銃剣。しかも古めかしい長銃剣。ビスクドールが如く美しい女が握っているのは、おそらく第二次大戦以前の代物。技術や冷徹より儀礼や勇猛が求められた最後の戦場の仇花。

 二振りの銃剣が不良の背中に突き立てられ、嫌な音を立てて引き抜かれる。大路を押さえつけていた力がけいれんして、ふと軽くなった。死んだのだろう、大路にもわかる。

 「さて、と。貴方がたおイタが過ぎましてよ。上手く都市の闇に溶け込んだつもりかもしれませんが、貴方がたが思うほど都市の闇は薄くありませんわ」

 丁寧な口調ながら殺意のこもった声。ビスクドールの女が向ける二振りの銃剣がその殺意を代弁している。向けられた殺意は人のそれではない、化け物が放つ本能的恐怖をそそる代物。

 結果、残った不良たちは相貌を崩して恐怖に笑うしかなかった。

 「助けて……命だけは……」

 ギャルが半泣きに笑いながら懇願する。だがビスクドールの女は静かにギャルに近寄って、銃剣を振りかぶった。

 「無理ですわ」

 ためらいが残っていた不良のナイフよりずっと鮮やかにそしてずっと苛烈に、容赦ない一撃がギャルの顔を切り裂く。悲鳴と共にギャルが顔を覆い、痛みに絶叫して動けなくなった。

 事ここに及んで、残った不良たちは生存本能からなる逃走よりも恐怖による攻撃で己の命を守ろうとした。息を合わせたわけでもないのに一斉にビスクドールの女に飛びかかり制圧しようとする。

 それは不良たちの最後の足掻きだったのだろう。だが、相手が悪かった。

 大路は己の目が信じられなかった。ビスクドールの女は確かに、タックルを受ける直前まで立っていた、無防備に。だが不良たちのタックルが激突する瞬間に、一人の不良の背後を取っている。無慈悲に突き立てられた銃剣が、腹部まで貫通して大路の目にも写る。

 残りの不良たちはラブホテルの床に転がり、己たちの足掻きが失敗したことを痛みで知る。恐怖で増幅した痛覚が床と衝突した痛みを引き起こし、ついには戦意を喪失させていく。

 「た、たす、たすけ、たすけ」

 「お願いだ、金なら返す、ほら、この通り、な、な?」

 ビスクドールの女に向けられた命乞いは聞いたことのあるテンプレートだった。大路ですら創作で何度も聞いたことのある嘆願を、ビスクドールの女は何度浴びせられたのだろうか。

 「……何か勘違いされていらっしゃいますが」

 だがそれでも、ため息をついてビスクドールの女が声を発する。己の声が彼女に届いたと安堵して、不良たちは顔を見合わせた。 

 ──その二人の喉に、二振りの銃剣が突き立てられる。さぞ安堵した表情のまま、不良たちの目が魚の如くに濁っていく。

 「私、生き物ではないので。命乞いで心動かされるほどお優しくはないんですの」

 慈悲のないビスクドールの女の行動に、顔を切り裂かれてなお生きているギャルは声にならない悲鳴を上げ、失神した。意識があるのは大路、ただ一人。

 「……殺すのか?」

 大路は痛む体を立ち上がらせて零す。だがビスクドールの女は銃剣についた血を振り払い、大路に振り返って微笑んだ。彼女の目が、傷だらけの大路を写す。

 「いいえ。貴方は殺しません」

 「……あんたの話を俺は聞いたことがある。ずっと昔の話だが」

 「あら、それは本かしら?口伝?それともテレビショー?あるいは面白おかしく改変されたネットの情報?なんにせよ、私を正確に言い表すものは存在しませんことよ」

 「じゃあ、名前も違うってことか?」

 ビスクドールの女は目の前に立つ傷だらけで、しかし物怖じしない大路に目を細めた。死体が転がるラブホテルの中でなお冷静さを貫ける彼に何かを感じ取ったのだろう。

 「いいえ。私の名前はよく流布されておりますわ。仰ってもらっても構いませんこと?」

 「ああ、知っている。アンタの名は……」

 大路もよく知っている。彼女の名前は数十年前に子供たちを大いに恐れさせた人形の名前だ。

 「メリーさん。都市伝説の、怪異」

 「そういうことですわ。もっとも、昔ほど強くないですけどね」

 ビスクドールの女──メリーさんはそういうと悪戯ぽく舌を突き出した。そして大路の目に彼女の小さな掌を重ねて、呟く。

 「お眠りなさい」

 ──意識が暗転する。気が付いた時には、大路は緊急病院の病床に横たわっていた。


 その後警察の取り調べを受けたが、被害者だということと凶器が特殊な形状であり大路が所持した形跡がない事、一人の女が逃走していることから早々に追求から解放された。

 肋骨が折れ、内臓の軽微な損傷と口腔内の大きな損傷もあり大路は数週間の入院を余儀なくされた。残虐な事件はワイドショーの格好の餌食となり、不良たちを一方的に虐殺せしめた女の正体をテレビががなり立てる。

 だが、大路は知っている。彼女が捕まるわけがない。

 見飽きた報道から視線を逸らし、大路は己の横でリンゴを剥く女に目を向けた。

 ──メリーさんが、大路にリンゴを差し出す。差し出された大路は無言でリンゴを受け取り、口の中に放り込んだ。

 捕まるはずがないのだ。相手は人間ではない。

 都市伝説になった怪異、そのものなのだから。


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