第34話

 ディアナと別れてから二日後の早朝、アウグストは街道を歩んでいた。

 

 ヴォルチェック城より北東へ百キロあたりのところである。ドラゴシュは街道から遠く離れた山岳地帯を飛ばせている。

 

 ディアナと別れて以降、バルドルは意識の奥底で眠ったままである。代わりに肉体を預かるアウグストは、ラーザに帰還しようとしていた。

 

 普通に考えれば、ドラゴシュに乗って空行で、ラーザに向かえば手っ取り早いはずだった。そうしないのには理由がある。ひとつは、単純にそれほど急いでいないため。ふたつは、飛行中に人格交代が起こった場合を危惧しているためである。今回は騎乗具があるので、ドラゴシュの背から転落する危険性は低いが、バルドルが目覚めたとき、飛行中で空の上という状況はやはり望ましくない。みっつは、バルドルが目覚め、もしディアナのもとへ戻ると決断した場合、彼女からあまりにも遠ざかっていると追いつきにくいためだった。……もっとも、バルドルがディアナのもとへ舞い戻る可能性はかなり低いとアウグストは思っているのだが。

 

 ともあれ、これらの理由によって、アウグストは騎竜せず、徒歩で移動しているのだった。


(そろそろ)

 

 街道を進みながら、アウグストは考える。


(バルドルに俺の存在を知らせる必要がある)

 

 一応バルドルも過去に記憶を失っている間、自分が何かしらの行動をしていると気づいてはいた。自分でそれに疑問を感じてもいた。かといって、「さっきまで僕は何をしていたんですか」などと誰かに聞いたりはできない。

 

 結局、バルドルは自分の中に何かが潜んでいると漠然と気づいてはいても、アウグストという存在までは知ることなく過ごしてきたのである。

 

 しかし、ディアナとの愁嘆場があった。


(これ以上、秘密にすべきではない)

 

 などと、アウグストは考えに沈んでいたのだが――。

 

 近づいてくる馬蹄のとどろきが、彼の思考を中断させた。それは、数人、数十人の音ではなかった。アウグストの後方、南の方角からである。

 

 振り返ると、風のような速さで街道の彼方からこちらへ突き進んでくる騎兵隊の姿が見えた。


(あれは――)

 

 アウグストは眉をひそめた。

 

 街道を歩く一般人たちも、その騎兵隊に気づいて道脇へと移動している。アウグストはもっと脇に移動して、街道の横にある木々に身をひそめた。進んでくる騎兵隊を観察する。

 

 およそ五百の騎兵。それぞれ、鎧やマントに王弟リカードの兵であることを示す“黄金色の狼”の紋章をつけている。全てが精兵と駿馬で成っているのだろう、この部隊はすさまじい速度で進行している。

 

 その先頭の一騎に、なぜかアウグストの視線は吸い寄せられた。

 

 別段、その男は特徴的な容貌をしているわけではなかった。軽めの鎧に包まれた体は中肉中背。顔の造作も、ややハンサムと言えなくもないという程度で、平均の範疇。金褐色の髪に青い瞳。その青年をアウグストは見知っていたわけではない。しかし――。


(リオン・ドラゴンベイン)

 

 目の前の青年がそうであると、アウグストは自然と確信できた。

 

 同じ飛術士としての直感というのもあるし、髪と瞳の色も聞いていたものと一致している。加えて、リオンと決定づけるものがもうひとつ。


(あれが、奴ご自慢の愛剣“氷刃ひょうば”か)

 

 リオンには彼特有の剣がある。名を“氷刃”といって、長さが彼の背丈ほどもあるという剣だ。あの超弩級の凶器を怪物じみた戦闘能力を有するリオンが振り回すと、竜の首すらぶった斬れるという。戦場では鞘は身につけず、抜き身の剣だけ持っていると聞くが、今は鞘におさめている。その“氷刃”を背に負っていることもあり、目の前の人物がリオンであるとアウグストは断定した。

 

 リオンは、およそ感情など読み取れない無表情で馬を駆り、五百の兵を率いている。彼らに後続する軍があるようには見えない。

 

 あのミスター無表情と五百騎だけが、この街道を進んでいる理由は考えるまでもなかった。

 

 もともと一万の兵で進軍した王弟軍は、ヴォルチェック城に到着し、ディアナがすでに去ったと知った。ディアナがランカスターないしノースモアランドへたどり着くまでに、彼女を捕らえなければならない。そこで機動力を重視するため、騎兵の中で精鋭の五百を選び北進し、現在この街道を進行中という状況なのだろう。

 

 ディアナに危険が迫っているのは明白だった。

 

 しかし今この場で、アウグストが彼女のために戦うつもりはなかった。勝算があまりに低いからだ。リオン一人を倒すだけでも厳しいのに加えて五百の精兵も相手にしなければならない。

 

 アウグストは非凡な戦士であるが、勇敢と蛮勇をはき違えてはいない。今、連中に襲いかかるのは、「さあ、俺を殺してくれ!」と頼むに等しい行為なのである。

 

 アウグストは戦うために生まれてきたようなものだが、それはバルドルとラーザのためにであって、ディアナ王女のためではなかった。


(それにしても――この騎兵隊はすさまじく速い)

 

 五百騎はアウグストの前をあっという間に通過していった。ディアナとランカスターの兵たちは、ある程度先に進んでいるはずだが、これでは――。


(ランカスターに着くまでに追いつかれるかもしれんな)

 

 だが、アウグストはどこまでも冷徹だった。


(ディアナには悪いが、俺には関係のないことだ。俺には、な。彼女のために戦うとすれば……それは奴の役目だ)

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