第25話

 ロッククリークの本城であり、ハーバートの居城でもあるヴォルチェック城にて、王女のために饗宴が催された。バルドルとディアナがロッククリークに来た翌日である。

 

 二人はロッククリークに長逗留する気は最初はなかった。路銀と物資だけ借りて出発するか、あるいは、ドラゴシュの騎乗具を作る間だけ滞在させてもらうか、その程度の助力しか頼むつもりがなかったのだ。

 

 だが、ロッククリークを王女の拠点にすることをハーバートが強く望み、ディアナを去らせようとしなかった。これを機に彼女と特別な間柄になろうとハーバートが企んでいるようにバルドルは思えてならなかった。

 

 宴が催される広間で、ディアナはハーバートの隣である上席に案内されたが、バルドルは二人から遠く離れた席に座らされた。ディアナが不平を述べたものの、バルドルはこの扱いを受け入れた。自分と不穏な関係にあるハーバートの近くにいたくなかったからだ。

 

 ハーバートと再会した際、彼が今回協力してくれたことにバルドルが礼を述べたのに対して、ハーバートの対応はかなり儀礼的だった。それだけならよいのだが、彼がバルドルに向ける眼差しは、恨みがたぎっているようにさえ思えるときがある。

 

 もっとも、そういう眼差しを向けてくるのは、ディアナがいないときに限定される。この宴の最中は、ハーバートは整った顔に好青年風の笑みを貼りつけながら、ディアナにずっと話しかけている。その様子を目にすると、バルドルはどうにも落ち着かない気分になる。

 

 この宴でバルドルが何よりも嫌なのは、ディアナがハーバートにときどき笑顔を見せているところだ。会話の内容までは聞き取れないが、彼女が楽しそうにハーバートの話を聞いているようにバルドルには見えた。

 

 ディアナは、薄緑を基調色とした華やかなドレスを着ており、それは彼女のエメラルド色の瞳と調和していた。シルバーブロンドの髪は、ほつれ毛の一本もなく整えられている。王女は旅の最中よりさらに美しさが増していた。その美貌をハーバートが真横で独占しているので、バルドルはほとほと辟易してくる。


(自分で言い出したこととはいえ、やっぱり、ロッククリークなんて来るんじゃなかったな……)

 

 ダミア湖から飛び立ったあと、あのままランカスターまで飛行していればよかったかもしれない。適宜休憩をはさんでも、竜の速度ならその日のうちに着いただろう。今更それを後悔しても遅いが、やはり後悔してしまう。

 

 必死こいてディアナに言い寄ろうとするハーバートのことも気に入らないし、ここでは、ラーザの王子であるバルドルに誰も積極的に声をかけようとはしない。この宴の席でバルドルはほとんど孤独だった。

 

 バルドルは宴から抜けることにした。広間を出て回廊を進みながら、思わず一人でつぶやいた。


「くそ……」

 

 今のバルドルの気持ちはこの一語につきる。

 

 中庭を通り、やがて、城の一隅に大きめの倉庫らしき建物が見えてきた。もとは穀物庫だったものだ。バルドルはその建物に入った。

 

 中には、鎖で足首を壁につながれたドラゴシュがいた。

 

 ハーバートが、ここに鎖でつないで格納する条件で、ドラゴシュを置く許可をバルドルに与えたのだ。竜嫌いのハーバートは、ドラゴシュをロッククリークの奥地に追い払うことを望んでいたが、そうなるとバルドルもそこで過ごすことになる。ディアナがそれを嫌がったので、ハーバートも妥協したのだった。

 

 この倉庫はいくつかの高窓があるくらいで、あまり光が入らない。鎖で足を縛って、こんなところに押し込めることになってしまい、バルドルはドラゴシュに申し訳ない気持ちで一杯だった。

 

 実際のところ、ドラゴシュが本気で暴れ狂ったら、鎖を壁から引きちぎり、建物を破壊するのは容易である。バルドルが騎竜術で、ドラゴシュの鬱屈や怒りを抑えているだけだ。

 

 一応、バルドルがそばにいるときはドラゴシュの鎖をとって、多少は外に出してもよいということになっているが、この中で過ごさせる時間は長い。


「……ごめんよ」

 

 本来、竜は野に生きる獣である。竜が快適と感じていない場所に、人間の都合で拘束していいはずがない。


「お前と一緒に、こんなところ出て行こうかな……」

 

 そう言って、ドラゴシュの体をなでていると、鱗の汚れが気になってきた。アングルシーにいたときは頻繁に洗っていたのだが、今回の旅で汚れてきたのだ。


「よし、今すぐ綺麗にするからな」

 

 つまらない宴の席にいるより、竜の体を洗っているほうがよっぽど時間の有効利用だ。ここには道具がないので、バルドルは近くの厩まで借りに行った。

 

 そこの馬丁である老人は気前よく、綺麗な水の入ったバケツとブラシを貸してくれた。ブリタニアの人間だからといって、誰もがバルドルに敵対的というわけでもないようだ。バルドルはわずかに心が軽くなった。

 

 馬丁に礼を述べ、ドラゴシュのところに戻った。鎖を外して、この倉庫の前にドラゴシュを出した。水で濡らしたブラシでこすって鱗の汚れを落としはじめる。馬用ブラシなので、竜専用のものよりは効果が弱いものの、鱗が綺麗にはなる。


(やっぱり僕は人と会話してるより、竜や動物と触れあうほうがよっぽど好きだ)

 

 そんなことを感じながら、バルドルがドラゴシュの体をブラシでこすっていると、後ろから声がした。


「バルドル、ここにいたの」

 

 ディアナだった。


「広間からいなくなってるし、探しにきたのよ」

 

 と、一人で来てくれたディアナの姿を見て、バルドルは胸が高鳴るのを感じた。

 

 だが、彼女がハーバートと楽しそうにしていたのを刹那の速さで思い出し、喜びを素直に表に出さなかった。


「何で探しにきたの?」

 

 後ろ向きで、いくぶんそっけなくバルドルは言った。ありていに言えばバルドルはふてくされていた。


「何でって……あなた、退屈そうにしてたし様子が気になったのよ」

 

 バルドルは何も言葉を返さなかった。ごしごしとブラシで鱗をこする音だけが聞こえる。

 

 一方のディアナは、バルドルがふてくされ病を発症しているとすぐに察した。


「広間に戻らないの、バルドル?」


「戻らないよ。実際退屈そのものだったしね。君は君で、ずっと誰かさんの相手をしてるしさ」


「……あのね、私は不本意でもハーバートの相手をしないといけないのよ。彼は私たちを迎え入れてくれたわけだし、邪険にはできないでしょう」


「不本意でもって言ってるわりには、楽しそうだったじゃないか」


「だから、頼んでないとはいえ、祝宴を開いてくれてるんだし、楽しそうにしないと失礼でしょ?」

 

 本当にただそれだけだ。ディアナにとってもハーバートは苦手な相手であるが、味方になってくれたのだ。そのハーバートを宴の席で、ぞんざいには扱えない。それだけのことなのに、バルドルは釈然としていないようだった。


「私が彼と楽しそうにしてるのが、何で気に入らないの?」

 

 ディアナは少し意地悪な口調で尋ねた。この問いの答えは彼女も大方わかっている。


「それは……」


「それは?」

 

 バルドルはもごもごと口を動かしただけで、結局、押し黙った。流れる沈黙。ごしごしとブラシで鱗をこする音だけが聞こえる。

 

 バルドルの反応に少々がっかりしながら、ディアナは話題を転じた。


「このドレス、素敵じゃない? ドレスってそんなに好きじゃないけど、これは色が私の瞳と合ってて気に入ったのよね」

 

 湯浴みをして髪をくしけずり、ドレスアップした自分をバルドルがどう思うか、その感想をディアナはずっと期待していた。旅の間は、薄汚れた格好しかバルドルに見せられなかったからだ。しかし、


「……いいんじゃない」

 

 バルドルはディアナの姿を一瞥して、これだけしか言わなかった。

 

 むっとしながらも彼女は、機嫌の悪い子供をなだめすかすように再び話をふった。


「バルドルはどんな服が好き? 色とかデザインとか」


「特にないよ」

 

 バルドルはそっけなくそれだけしか言わなかった。

 

 彼の反応の薄さにディアナは少しうんざりしてきた。


「何だか……リオンと話してるみたい」

 

 バルドルはディアナに背を向け、ひたすらドラゴシュの体を洗っている。沈黙。ごしごしとブラシで鱗をこする音だけが聞こえる。


「……あなたがそんなにそっけないなら、私、広間に戻るわよ? ハーバートと話でもしてようかしら」

 

 バルドルは手を止めたが、黙っている。ディアナは彼が引きとめてくれるのを待っていた。

 

 が、何の返答もない。

 

 じれったい思いで諦めた彼女が立ち去ろうと数歩歩いたそのとき。バルドルに後ろから優しく腕をつかまれた。

 

 振り返ったディアナの瞳に映ったバルドルは、ひどくもじもじとしていた。


「……ごめん、悪かったよ。あの……ブラシがもう一つあるし、ドラゴシュの体を洗うのを手伝ってほしい。もしよければだけど」

 

 ディアナは自分の表情が明るくなるのを感じた。


「ええ、もちろん手伝うわ」

 

 それからすぐに、さっきまでのぎこちなさが嘘のように、二人の雰囲気は和やかなものになっていく。鱗をブラシで洗うとき、汚れが顔やドレスについてもディアナはけらけら笑っていた。

 

 ふと、バルドルが聞いた。


「そういえば、さっき、リオンと話してるみたいって言ってたけど、どういう意味?」


「ああ、リオンってものすごく無口だから、さっきまでのあなたが彼と似てると一瞬だけ思ったのよ」


「リオンって、リオン・ドラゴンベインのことだよね?」


「そうよ。まあ実際には、あなたと彼は全然違うけどね」

 

 リオンの場合、人間らしい感情がうかがえないような寡黙さだった。だが、バルドルは違う。


「飛術と竜殺しの達人……ドラゴシュの親を殺したのも彼だったか……」

 

 と、つぶやいたバルドルの顔に翳りのようなものが少しだけ広がった。それを見てディアナは不安に駆られた。


「ごめんなさい。リオンのことは話に出さないほうがよかった?」


「いや、会ったこともないし、彼を憎んでいるわけでもないから大丈夫だよ。幼竜だったドラゴシュの命までは奪わなかった人だしね」


「そうね」

 

 とはいえ、話題にすべき愉快な人物でもない。ディアナは楽しくなりそうな話に切りかえた。


「ところでさ、私がハーバートと楽しそうにしてるのが、何で気に入らないのかっていう質問の答え、まだ聞いてないわよね?」


「それは……」


「それはー?」

 

 その後も、二人は笑い声のはじける楽しい雰囲気に包まれていった。



「―――」

 

 二人の様子をにらみつけるように遠くから覗いている男がいた。


「ラーザの悪魔がッ……」

 

 バルドルをにらみすえるハーバートの目は、底知れぬ嫉妬と憎しみに狂っていた……。

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