第21話
夕刻。
物資を買うために、ある町の近くまで二人は来ていた。
ここに来るまでの間も、ディアナとバルドルの関係はぎくしゃくしたままだった。バルドルが元の性格に戻っても、昨日のように親しげに接する気にディアナはなれなかったのだ。
バルドルのほうは、ひたすら悄然とした様子だった。それも無理からぬことかもしれない。記憶がないというバルドルからすれば、彼に好意的だったディアナの態度が、いつの間にか不審者と接するようなものに変わっているのだから。
だが、バルドルが悄然としているのも、何も覚えていないという話も、真か偽か、彼女には判然としなかったのである。
もしすべてが本当なら――。
(あの不遜で勝ち気だったバルドルは、一体何だったの?)
彼の中に異なる人格が二つ存在しているようなものだ。
あるいはもし、すべてが嘘で、記憶は残っていて、彼が二人の人間を演じているだけだとしたら――。
(そんな風に振る舞う意味がわからない)
(単純に考えれば、記憶を失っていたなんて信じられないけど……)
昨日、記憶が飛ぶという話をされたとき、ディアナはそれを信じると言ってしまった。その手前、露骨に疑惑を問いただすわけにもいかない。
結局、二人はほとんど無言のまま、町の近くまで来たのだった。
声をかけるのも気まずいが、ディアナはバルドルに町への買い出しを頼まなくてはならなかった。外見的に目立つ彼女は人目につかないよう、町の外れで待機する必要があるのだ。
「バルドル、町に行って買ってきてほしいものがあるの。もう数食分しかないから食料と、それから売っている店があればテントもね」
降る雪の量が増しており、気温の低下も激しかった。テントがないと野宿は厳しいのだ。昨日のように都合よく廃屋が存在するかわからない。むろん、宿に泊まるという手段もある。だが、王弟の部下たちによる宿あらためが行われる危険が多少はあり、なるべく宿は利用したくないのだ。
さっきは嫌な言い方をしてしまったので、買い出しを頼むとき、ディアナは努めて笑顔を維持した。が、バルドルが町から戻ってくるやいなや、その笑顔は崩壊した。彼はテントはおろか食料すらも買ってこられなかったのだ。
「路銀をなくした!?」
「うん……」
何があったのか、バルドルはおそるおそる説明した。
町に入り、まず食料を購入しようと市場に行った。そこで路銀を取り出そうと、ズボンのポケットをまさぐった。バルドルは驚く。路銀が入っている小袋がなかったからだ。彼は思い出した――市場に来るまでの途中、すれ違いざま、男にぶつかったことを。
「その男にすられたっていうこと?」
「多分……そう……だと思う。その男をしばらく探したんだけど見つからなくて……本当にごめん」
ディアナは開いた口が塞がらなかった。今、彼女の手元にはわずかな路銀しか残っていない。買い出しの際、バルドルに渡したのがほとんど全財産だった。
ディアナはあからさまに苛立ったり、彼を責めたりはしなかったが、内心では焦り始めていた。
「ランカスターまで、まだ五日以上あるけど、もう二日分くらいの旅費しかないわ」
食べ物に関してはドラゴシュが狩る動物の肉などで、どうにかなるかもしれない。問題は寝所である。二月の寒夜、テントもない野宿を何日も続けるのは体力的に厳しいだろう。宿賃は一、二泊分くらいしかない。
「あの……たしか、ロッククリーク領まではもうすぐだよね?」
バルドルがおずおずと尋ねた。
「ロッククリークに行ったら、彼に協力を頼まないといけなくなるじゃない。それは避けたいのよ」
「彼、というのはハーバートのこと?」
どこか気の抜けたような、この問いに対してディアナは、
「他に誰がいるっていうのよ」
と、思わず冷たい口調で返してしまった。バルドルは姉に叱られた弟のように、肩を落として顔をふせた。その様子を見てディアナはすぐに「あ……ごめんなさい」と、気まずい感じで謝った。
彼女もわかってはいる。路銀を盗られたのはバルドルが悪いわけではない。第一、この逃亡の旅にディアナはバルドルを巻き込んでいる立場だ。彼に腹を立てる権利はないだろう。それでも、昼間の彼に対するような態度をついとってしまうのである。
「とにかく……その男を探してる余裕はないわ。まだ町にいるとも限らないし……先に進みましょう」
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