四季咲さんは怪異をよく知っている
能見底猫
第1話「出会い」
「ねぇ、
桜が舞い散り、緑の新芽が芽吹く季節。
そろそろ新入生が部活動を選び始める時期だ。
――などと窓の景色を眺めて考えていると、入野が話しかけてきた。
艷やかな黒髪を肩まで伸ばしており、背丈は高くモデル体型をしている。
おまけに性格は明るく、人懐っこい。容姿端麗、文武両道、陽キャラ。
三拍子揃ったパーフェクト女子高生である。
そんな入野が『美術部の眼鏡』と呼ばれていて、クラスから少しばかり浮いているようなこの僕に話しかけてくるのは、小学校からの知り合い――いわゆる幼馴染だからに他ならなかった。
「僕の脳みそはそれほど人の名前を覚えることに適していないんだよ。クラスメイトかなにか?」
「クラスメイトじゃないよー。マイナーな都市伝説だよー」
「都市伝説?」
入野が僕の前にある机の椅子を引っ張り出してきた
そうして逆方向に座り、背もたれに両腕と顎を乗せた。
どうやら長い話になるようだ。
「学校から東に出て、何キロか歩いたところに歩道橋があるでしょ?」
「ああ、あの墓地の近くの――。それがどうしたんだ?」
「そこに出るの。巻髪さんが」
「だから巻髪さんってのはなんなんだよ」
「長髪で顔を隠したワンピース姿の女性なんだけど……。右手に赤いリボン、左手に青いリボンを持ってるんだって」
「ああ、なるほどね。『どっちがいい?』とか聞いてくるんだろ」
そういう話にはある程度明るい。
なにせ僕は幼少時は怖い話マニアだったのだから。予想は簡単だった。
「正解。赤いリボンと青いリボン、どちらが似合うか――と聞いてくるんだけど……。
赤いリボンを選べば、歩道橋から突き落とされ、青いリボンを選べば、歩道橋に首から吊り下げられるの」
「赤なら血まみれ、青なら顔面蒼白ってか?」
「そういうこと」
吊り下げられる――、というのはなんともトラウマを刺激される内容だ。
僕の嫌な死因のトップファイブに入るだろう。
中学の頃、父さんがそんな死に方をしたのだ。
「赤巻、青巻……、早口言葉かよ。フッ――、99%偽物だな」
鼻で笑った。
そんな事件が一回でも起きていれば、とっくに学校内で持ちきりの噂になっているはずだ。
大体ちょっとチープすぎる。
こんな話を信じるのはせいぜい小学生ぐらいのものだろう。
「じゃあこの話は終わりでいい?」
入野が不満そうに頬を膨らませた。
そう言われると、もう少し詳細を聞きたくなる。
「いや?続けてくれ。偽物でも興味がある」
「それじゃあ巻髪さんから逃れる方法だけども――」
入野がそう言って座り直すと、人形のストラップがスカートからこぼれ落ちてきた。
毛糸で編まれた二頭身の愛くるしいデザインだ。
それはポケットの中の何かとチェーンで繋がっているようだった。
床に落ちることはなく、吊り下げられた形になっている。
その姿はまさしく都市伝説の被害者のようだった。
■ ■ ■ ■
僕、
もちろんいつかなろうなんて漠然とした考えじゃない。
現在進行系で僕は漫画家になろうとしている。
とはいえ僕は絵が上手いほうじゃない。もちろん練習はしているが。
絵がダメならストーリーで勝負するべきだ。
しかし必死に考えたところでどうやら僕は凡庸な人間らしい。
どこかで見たような凡庸な話しか描くことが出来なかった。
顧問の先生に言わせれば、それは経験が足りないからだという。
経験を積み重ねていけば、きっと面白い物語が書けるはず――と。
それならば怪異と遭遇するなんていうのは最高の経験じゃないか。
99%偽物だとしても、1%本物の可能性があれば調べてみる価値はありそうだ。
そう思って、僕は歩道橋の上で巻髪さんが現れるのを待っていたのだった。
しかし一時間近く経つが、一向に現れる気配はない。
歩道橋の下を潜っていく車を数えるのにはそろそろ飽きてしまった。
あいつから聞いた都市伝説――、やはりただの噂なのだろうか。
「せっかく買ってきたのに無駄になりそうだな……」
僕はそうぼやき、ブレザーのポケットから黄色のリボンを取り出した。
そのまま夕焼けに向けて眺めてみる。感傷に浸りたかったのだ。
日光がリボンを貫通してきて、眩しいことこの上ない。
このリボンは巻髪さんのために買ってきたものだった。
……巻髪さんのルールを確認しよう。
赤いリボンを選べば、歩道橋から突き落とされる。
青いリボンを選べば、歩道橋に首から吊り下げられる。
赤を選んでもダメ。青を選んでもダメ。
逃走もダメだ。巻髪さんはものすごく足が速い――らしい。
ならどうすればいいか。黄色のリボンを渡せばいい。
そうすればリボンを気に入って、何もせず帰ってくれるそうだ。
少なくとも聞いた話ではそうなると言われていた。
ただし巻髪さんは黄色のリボンを持ってこない。
渡すにはわざわざ自前で用意する必要がある。
――なので買ってきたというわけだ。
1%でも本物と考えているのならば、対策をしておくのは当然のことだろう。
だがそれも無駄になりそうだった。
「帰るか……」
そう呟いて、リボンをポケットに入れようとしたその瞬間――。
突風が吹いてリボンが飛んでいってしまった。
「ああ、くそっ」
思わず悪態が出てしまう。
手すりに乗り上げてリボンの行方を目で追った。
残念ながらかなり遠くへと飛ばされてしまったようだ。
あれでは回収できそうにない。はぁ、と溜息が出てしまった。
諦めて帰ろうと振り返ると――それはいた。
腰ほどまでに伸びた黒髪で顔を隠した、ワンピース姿の女――。
2メートルはあろうかという長身で、脚には何も履いていない。
肌は蝋人形のように白く、美しさを通り越して不気味なほどだ。
右手には赤いリボン、左手には青いリボンを持っている。
歩道橋で待っていた時間が無駄にならなかったのは良いが……。
実際に噂どおりの姿で目の前に現れると緊張してきた。
――――巻髪さんだ。
「赤いリボンと青いリボン、どっちが似合う?」
まさか本当に出てくるとは。だが今の状況は――まずい。
まずい。まずい。まずい。まずい。まずい。まずい。まずい!
僕は黄色のリボンを落としてしまった!
いや落ち着け――。どうするか考えろ……。
赤いリボンと青いリボン。
どちらのほうが危険かと言えば、それは青いリボンだろう。
赤いリボンはまだ生き残れる可能性がある。
歩道橋から突き落とされるだけだからな。
青いリボンはほぼ確実に死ぬ。
歩道橋に首から吊り下げられて、生きれる人間なんていないだろう。
父さんと同じように、首を吊って死ぬのだけはゴメンだ!
つまり僕のすべきことは赤いリボンを選び――。
それから全速力で逃げることだ!
もし本物の巻髪さんなら無視して逃げ出せば、二つの選択肢より凶悪なことをしてくる可能性がある。そこまで都市伝説で言及されていなかった。だから選ばないのは愚策。
とはいえ都市伝説のコスプレをしているだけの変な女の可能性もある。
それなら逃げ切ることが出来るだろう。
この両方の可能性を考え、両方に対応した行動をする。
この状況を逃れるにはそれしかない!
僕は無言で巻髪さんの右手を指し示した。
「ヘェ――、ワタシにはコノ、赤いリボンが似合うって言うんだ。フフ、フフフフ――」
巻髪さんはその場でくつくつと笑い出した。
するり、と白蝋のような腕が伸びてきて――。
一瞬で首を鷲掴みにされた。
そのまま歩道橋から突き落とそうとしてくる。
背中に当たる手すりが痛い。
体はもう半分以上、歩道橋の外に出ていた。
警戒していたはずだ。しかし、あまりにも素早い動きで逃げ遅れてしまった。
どのみちあの速度だ。巻髪さんからは逃げ切ることなど出来なかっただろう。
黄色のリボンを落としてしまった時点で僕の命運は尽きていたのだ。
髪の間から巻髪さんの素顔が見えた。
ツギハギだらけで、口は額に、鼻は左頬に、目は三つ顎から右頬にかけて扇状に並んでいる。
どう整形手術をしたって、人間がこんな顔にはならないはずだ。
間違いなく人外、
そんな怪異を間近に見られるのはすごい経験だろう。
――などと言っている場合ではない。
「誰か! 誰か助けてくれ!」
思い切って助けを呼んでみる――が、恐らく無駄だろうと思った。
歩道橋の上というそこそこ目立つ場所でこんなことをしているのだ。
見える所に人がいるならばすぐさま助けに来るはずだ。だが来ない。
下を走る自動車に期待するのは無駄だろう。
運転している最中に歩道橋の上になんて意識が向くだろうか。
もし気づいたとしても車をどこかしらに停めて、こちらに駆けつけてくる間に、僕は歩道橋から落とされてしまうだろう。
つまりは死ぬ───。
後はもう歩道橋から突き落とされて生き残れるかに賭けるしか無い。
そんなふうに思った瞬間――。
「ガ、ギャアアアアッ!?」
巻髪さんの手が僕の首から外れた。慌てて僕は歩道橋の内側へと倒れ込む。
巻髪さんの方を見ると、地面から生えた黄色い縄が彼女を縛りつけていた。
それも何本も。明らかにまともな現象じゃない。
いや、あれは縄ではない。黄色いリボン――――か?
少なくとも僕の落としたものではないはずだ。
「大丈夫ですか?」
今のは僕の声ではない。だとするならば誰だろう。
耳障りなほど甲高い巻髪さんの声ではない。落ち着いた癒やされるような声だった。
声のした方向――歩道橋の右手側を見てみると、見知らぬ少女がそこに立っていた。
いつからそこに居たのだろうか。
少女を見て、真っ先に思い浮かんだのは「ゆるふわ系」という言葉だ。
まず頭がふわふわしている。中身ではなく、髪型の話だ。
色は茶色。パーマがかったようなくせっ毛を肩まで伸ばしている。
外ハネがすごく、なんというか――、ひよこを連想させるような髪型だ。
背丈は小学生かと感じる程度には低い。クラスで背の順に並べば前の方になるだろう。
縦は低いが、横は太い――、などといったことはない。発育も小学生並みである。
着ている赤のカーディガンとシャツ、それにスカートはどうやらうちの高校の制服らしい。なんとなく真新しさを感じさせる。新入生だろうか。
「き、君は……!?」
「話は後で。まずはこいつをやっつけちゃわないと」
少女はそう言うと、ポケットからチューブを取り出した。
チューブの蓋がひとりでに外れたかと思えば、黒い絵の具がうじゃうじゃと蛇のように蠢いて出てきた。いや本当に絵の具なのだろうか……?
少なくとも絵の具は宙に浮いたりしない。
アレはそう、巻髪さんと同じこの世ならざる物質。
――――怪異だ。
「”黒の
少女が右手を掲げると、掌に漆黒が集まっていく。
そうして形作られたのは、シルエットのように光を反射しない――。
黒いハルバードだった。ハルバードとは斧と槍を掛け合わせた武器だ。
日常でお目にかかることは早々ないだろう。
あれでどうするというんだろうか。
「やぁあああああああ!」
少女はそのままハルバードを振りかぶり――。
黄色のリボンによって拘束されている巻髪さんに振り下ろした。
ドシャン! と巻髪さんが左右に両断される。
切断された傷口を起点として、巻髪さんはさながらシルエットのように黒く塗り潰されていき――、数瞬後にはそのまま霧散してしまった。
まるで漆黒に巻髪さんという存在が食い殺されたかのようだった。
一拍置いて、黄色いリボンと少女が持っていたハルバードも霧散していった。
こちらは純粋に用が済んだから消えたのだろう。
この場に残っているのは、僕と少女だけになった。
「では私はこれで!」
僕が唖然としていると、少女はビシッと手を上げてそう言った。
「いやいやいや説明してくれよ! 君はいったいなんなんだ!」
「なんなんだと言われましても……、そうですねぇ……」
少女は困ったように自身のハネている髪をいじいじと摘み始めた。
そのまま目を逸していたが、やがて意を決したようにこう言った。
「色彩の魔女――とでも覚えておいてください」
それは僕にとって、間違いなく偽物ではない――。
本物の経験であり、物語の始まりだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます