#60 「上野おばさん」

 上野駅の場合、時刻表に発車番線が載っているので、それを頼りに収録の計画を立てた。まずは、十一、十二番線ホームに移動した。

「おれ一つ失敗したと思うんだけどさ」

 ホームに着いてから、僕はそう始めた。

「ん、なに?」

「この時間帯に上りで走行音を録るべきじゃなかったと思うんだよね……」

「どうして?」

「だって混んでるじゃん」

「え、そう……? そうでもなかった気がするけど……」

「まあ、走行音鉄的にはあんまり望ましくない環境なんだよ。お昼時とか午後早めとか、夜とかだったらもっと空いてたんだけどさ……」

「じゃあ、先に下りを録っとくべきだったってことか」

「そうそう」

 二人でホームをうろつきながら過ごしているうちに、折り返しの電車の到着時刻の三分前になった。僕達は録音の準備をして、そして録音を始めた。

「お待たせいたしました。まもなく、十一番線に、折り返し、取手行きの、電車がまいります」

 接近放送が流れてきた。温かみがあって落ち着いた、女性の声だ。東海道型放送の女声バージョンは透き通った声だが、こちらは落ち着きがあって、なんだか安心するような感じがする。


「うえのぉ、うえの……」

 到着放送とともにドアが開き、他の路線に乗り換える客が一斉に降りてきた。ターミナル駅らしい光景だ。

 車両はE231系だった。最近、本当に103系を見かける機会が少なくなったと思う。山手線側に目をやると、E231系500番台、そして京浜東北線の209系が走っていて、手前を見ると宇都宮線のE231系1000番台が発車を待っていた。十番線にはE501系も停まっているので、新型車両が勢ぞろいだ。

「新型車両が多くなったよな~」

 治也が言う。

「ほんとだよ。三、四年くらい前までは、E231系はいなかったもんな~」

「気が付けば103系も113とか115系も見なくなっちゃったな」

「まあ、まだ東海道線のほうには割といるけどね」

「415もあと二、三年くらいで置き換えが始まるのかな……」

「そんな気がする」

 僕達は、少し寂しい気分になってしまった。


 上野駅を始発終着とする列車の折り返し時間は、たいていの列車が十分以上、二十分以上停車する列車も多くある。ひっきりなしに電車が発着する山手線、京浜東北線ホームとは違い、僕達のいるホームは列車の動きがゆったりとしている。


 先ほど乗ってきたE501系の発車時刻が近づいてきたので、僕達は九、十番線ホームに向かった。このホームにE501系が停車している光景はもはや見慣れたものだが、本来近郊型車両が発着するはずのこのホームに、4ドアストレート車体の車両が停まっているのは、よく考えたらミスマッチだ。


 発車の時刻になり、発車ベルが鳴り出した。やっぱり上野駅といったらこのベルだ。

「お待たせいたしました、じゅ……、お待たせいたしました~、十番線から~、普通列車~、土浦行きが~、発車いたしま~す。ベルが鳴り終わりますと~、ドアが閉まりま~す。お近くのドアからご乗車くださ~い……」

「ああ~……、被られちゃったか……」

 録り終わって、治也は残念そうに言った。

「まあ、分かってたっちゃ分かってたんだけど……」

「緑快速のほうは被られないんだけどね……、中電はな……」

 ここも土浦の二番線と同じく、長丁場になりそうだ。

「えっと、次はすぐに折り返しの中電が来るのか」

 続けて治也がそう言った。どうやら、悔しんでいる暇はなさそうだ。録り損ねないように、マイクをスピーカーに付けてスタンバイしておく。

「お待たせいたしました。まもなく、九番線に、高萩からの、普通電車が、到着いたします。危ないですから、黄色い線まで、お下がりください」

 中距離電車の接近放送の特徴は、「高萩からの」などと、始発駅を案内することだ。果たして今から折り返しの列車に乗る乗客たちに、始発駅という情報は必要なのかどうか、気になるところではある。そのくせ、接近放送では行き先の案内はしない。


「うえのぉ、うえの、終点です。ご乗車、ありがとうございました。この電車は、折り返し、十時、五十四分発、勝田行き、普通電車となります。車内の整備を行いますので、しばらくお待ちください」

 ここに来てようやく行き先の案内がある。乗客が降り終わると、清掃員の人が中に入っていき、車内の清掃を始めた。長距離を走り、車内で飲食をする乗客が多い中電には、欠かせない作業だ。

「なるほど、到着放送には被せてこないけど、発車放送には被せてくる駅員か」

 治也が言った。

「らしいね。まあ、到着放送をきちんと録れるだけまだマシだよ」

 次は取手行きの発車だ。また十一、十二番線ホームに戻る。


「お待たせいたしました。十一番線から、取手行きが、発車いたします。ドアが閉まります。閉まるドアに、ご注意ください」

 ホームに着いてから四分ほどで発車時刻になり、発車ベルとともに放送が流れてきた。今度は、駅員放送に被られずに録ることができたのでよかった。

「次もう一本中電の発車放送録ったら、一回特急のほうのホームに行こうか」

「そうだね」


 九番線に戻り、勝田行きの発車放送を録りに行った。だが、さっきと同じく駅員放送に被られてしまい、冒頭の部分しか発車放送は流れなかった。

「これも土浦と同じで、駅員の交代待ちだな……」

 やっぱり駅の放送の収録は、そう思うようにはいかない。


 階段を下り、僕達は少し急いで十六、十七番線の常磐線特急ホームに移動した。ホームでは、651系の『スーパーひたち』が発車を待っていた。

「やっぱこのホームは興奮するよな~」

 治也が言う。

「特急乗らないのに、ワクワクしてくるよね。放送を録りに新幹線のホームに上がったときなんかもそう」

 そんなことを話しながら、手早く録音の準備をする。ここ、上野駅の地平ホームには、常磐線特急、宇都宮線、高崎線の列車だけでなく、『北斗星』や『あけぼの』などの寝台特急も発着する。このホームに来ると、ふと、遠い町まで旅に出たくなってしまう。

「このホームも被るよ~」

 そんな思いに耽っていると、治也に苦笑交じりでそう言われた。それを聞いて、体に妙な悪寒が走る。

「え? マジ?」

「前録った時そうだったんだもん。さて、今日はどうなるんだかね……」

 治也はそう言い終わると軽くため息をついた。なんだか嫌な予感

がしてきたが、何がともあれ、とりあえず録ろうと思う。


 しばらくして、発車メロディー『Cielo Estrellado』が流れ、発車放送が流れてきた。

「おまt……、お待たせいたしました~、十七番線から~、特急スーパーひたち、19号~、いわき行きが~、発車いたしま~す……」

 見事な完敗である。駅員放送が終わったあと、かろうじて自動放送の最後のほうが聞こえたが、これはもう、録る気が失せそうだ。


『スーパーひたち』が出た後すぐに、今度は折り返しの『フレッシュひたち』がやってくる。次は、『上野おばさん』の放送で一番人気があるであろう、「あの放送」の収録だ。

 まずは、接近放送から収録した。中電の接近放送と同じく、「勝田からの」と、始発駅を案内するのが特徴だ。ゆっくりと、E653系が入線してきた。


「うえのぉ~、うえのぉ~、うえのぉ~、終点です。本日も、ご利用いただきまして、ありがとうございます。お忘れ物の無いよう、ご注意ください……」

「うえのぉ~」と大きく伸ばして、三回読み上げるのが特徴のこの放送。『上野おばさん』の放送の代表格だ。十二月に行った松本駅で使われているものと同じタイプの放送で、国鉄時代から使われているというから驚きだ。

「いいね~、やっぱこれだよこれ」

「この半地下のホームに響き渡るからいいよね。『ああ、上野に着いたんだな』って」

 僕は言った。

「てか、国鉄時代から使われてるってことは、おれらの生まれる前から使われてるってことでしょ? その頃からこんな詳細な放送があったなんて、すごいよな」

「だよね。乗り換え番線の案内も丁寧だし」


 その後、一旦地上ホームに戻り、緑快速や中電の放送を録りに行った。緑快速はあっさり録れてしまうのだが、やはり中電の発車放送は駅員に被られてしまう。苦戦していると、折り返しのE501系がやってきた。

「どうする? 乗る……?」

 治也が聞く。

「いや、まだ放送録りきれてないし、いいや」

「大丈夫なの? 見送っちゃって」

「だって土浦行ってからまた上野まで戻ってくるほうがだるいもん……」

「確かにそうだな……」


それから一時間ほど粘っていたが、やはり状況は好転しなかった。特急の発車放送も、被られっぱなしだった。

「いい加減お腹空いてきたよね……」

 治也に言う。

「そうだね。今日朝ごはん食べるの早かったし、ペコペコ」

「じゃ、なんか食べに行くか」

「うぃーっす」

 僕達は十一、十二番線のホームにある駅そばに入った。僕も治也もかき揚げそばを食べた。駅そばなので、食べるのは速い。十分ちょっとで店から出た。

「次ゴマイチが来るまでに録れなかったら、とりあえず諦めようか」

 治也にそう提案する。

「そうだね。疲れてきたし」

 気づけば、上野駅に来てからもう二時間半が経っていた。


「さあ、今度は鳴るかな~」

 十三時十分、十番線。普通列車勝田行きが発車を待っている。あと二分で発車時刻だ。マイクをスピーカーに付けて、発車放送が流れ始めるのを待つ。


「お待たせいたしました。十番線から、勝田行き、普通電車が、発車いたします。危ないですから、黄色い線まで、お下がりください。ドアが閉まります。閉まるドアに、ご注意ください」

 発車ベルとともに発車放送が流れてきた。駅員放送に被られるんじゃないかと終始不安だったが、最後まで被りなしで録ることができた。

「よしやっと被りなしで録れた~!」

 録音を終えたあと、僕は大きく息を吐きながら言った。

「いや~、よかったね~。さっき駅員が交代したのを見かけたからちょっと期待してたんだけど、期待して正解だったよ」

 治也もとても嬉しそうだ。

 だが、まだ特急ホームの発車放送の被りなしが録れていない。この流れに乗って特急ホームも……、と思ったが、その前にE501系が来た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る