9.失われる未来

 なぜそこで自分の名前が出てきたのかがわからなくて、ミラビリスは首をかしげた。けれどパーウォーは、そんな彼女に構うことなく話を続ける。


青色月長石ブルームーンストーンが教えてくれたの。半身たる二人を引き合わせる、それが錆びて止まった歯車を動かし始めるって」

「なんかよくわからないけど……でも、パーウォーさんが事前に教えていたから、カストールは私を半身だって言ったんですか?」

「待ってくれ、誤解しないでほしい。確かに事前に教えてもらってはいたけど、ミラビリスと会った瞬間、きみが半身だっていうのはわかったよ。ほら、ミラビリスも体験しただろ? ハイドランジアの記憶の中で」


 心外だと苦笑したカストールの言葉で、ミラビリスはあの感覚を思い出す。ハイドランジアがプルウィアを見つけたときの、あの狂喜を。そして――


「そういえばあの時、ハイドランジアの声に重なって、誰か別の人の声も聞こえた気がしたんだけど……」

「ああ、小さな子供の声? なんかそんな感じの声が聞こえたな」

「そう! 甲高い、小さな子供みたいな声。あれは誰の声だったのかしら?」


 首をかしげる二人を見て、状況がわからないパーウォーはさらに首をひねる。


「ハイドランジアって、あのハイドランジア? 最初の略奪者に殺されてしまったっていう」


 同時にうなずく二人。けれど、パーウォーには突然出てきたハイドランジアの話題の意味が分からず、ただ首をかしげるばかり。そんな彼にカストールが自分の能力とテオフラストゥスの研究室にあったもの、そして体験した悪夢を説明した。


「なるほどねぇ。でも残念ながら、ワタシにはちょっとわから――」

「その話、僕も混ぜてもらえない?」


 突然降ってわいた第三者の声。四人の視線がパーウォーの後ろ――声の主――へと一斉に注がれる。


「レフィ! アンタ、突然どうしたのよ」


 レフィと呼ばれた青年は、当然のようにパーウォーの隣に腰を下ろすと、話の続きを促した。


「うちのお姫様も、ちょっと他人事じゃないみたいでさ」

「お姫様って、あの人造人間ホムンクルスの子? パエオーニアちゃん、だっけ?」

「そ。今の話なんだけどさ、うちのニアも、そのハイドランジアってのと関わりあるっぽいんだよねぇ。さっき急に倒れたんだよ。ま、今はもう目覚めてるけどね。というわけで、それを相談しようかと思ってパーウォーのとこに来たんだけど」


 突然現れて、当たり前のように場に混ざった青年に困惑するのはミラビリスとカストール。


「あの、パーウォーさん……こちらの方は?」

「あ、ごめんなさいね! この子はマレフィキウム。私の息子よ」


 パーウォーの言葉に目を見開き、驚きで固まったミラビリスとカストールとウィル。その三人の反応を見たパーウォーは口もとを引きつらせ、マレフィキウムは腹を抱えて笑い出した。


「パーウォーさんってその……男の人が好きなんだとばかり…………」

「私もてっきりそうだとばかり思ってたから、その、最初は狙われてるのかと……」

「オレ様も、てっきりカストール狙ってるのかと思ってたぜ!」


 三人のあまりな言いように、パーウォーはがっくりと肩を落とす。


「ない! ないから! ワタシが好きなのは女の子‼」

「あはははははは! いつものことだけど、ほんと笑える‼」


 完全に他人事なマレフィキウムはひとしきり笑った後、「あ、でも僕、義理の息子なんだけどね」と再び場を混乱させる一言を放った。またもや疑惑の目を三人から向けられ、「違うから‼」と憤慨するパーウォー。


「もう! アンタ何しに来たのよ‼」

「あ、そうだった。ごめんごめん、つい面白くて。ニアのことでちょっと気になることがあったからここへ来たんだけど……というわけだから、僕も話に混ぜて」


 散々場をひっかきまわした当事者によって軌道修正され、話題は再びテオフラストゥスへと戻る。


「ハイドランジアの声のことも、もちろん気にはなるんですけど……それより私は、あのテオフラストゥスって人が持っていった硝子の棺とお母――中の人のことの方が知りたいんです。あの人を見てるとよくわからないんですけど、とにかく焦るというか……あとこの歯車のことや、なんであの扉が開いたのかとか」


 胸元で揺れていた小さな歯車を握りしめ、ミラビリスは気になっていたことを思いつくまま口にした。


「ワタシも魔法使いの中じゃ新参な方だから、正直古い人たちのことはあまり詳しくないんだけど……それでも、揺籃ようらんの錬金術師テオフラストゥス、彼のことなら少しだけ知ってるわ。彼の名前が歴史に出始めるのは、このファーブラ国が出来る以前、世界歴前にあった魔法使いと人間たちの戦争のあとからね。ワタシも生まれるずっと前のことだから、実際に見たわけじゃないしよく知らないんだけど……それでも、絡繰からくりの魔法使いトリス・メギストスと関係が深いって聞いたことあるわ」


 突然出てきた新たな名前。しかもそれは、遥か昔に活躍したと言われている、伝説の魔法使いの名前。


「魔法使いトリスって、おとぎばなしに出てくる、あの?」

「ええ、あの。私も本物を見たことはないし、実在しているのか、していたとして、今も生きているのかはわからない。でも、アナタたちがさっき会ったテオフラストゥス……そっちは会ったことあるのよね。百年ほど前になるけど」


 パーウォーの言葉に、すかさずかみついたのはカストール。


「ちょっと待ってくれ! 私たちが出会ったあの男は、とてもじゃないが百を超えているようには見えなかった。だって、テオフラストゥスは人間なんだろう? 門外不出の技を次代へ伝えて、名前だけを代々名乗っているとばかり……。そもそも短命種の人間が百年前と変わらない姿でいるなんて、それこそ伝説の賢者の石でもないと無理な話だと思うんだが」


 パーウォーは「人間なら、ね」と、薄い笑みを浮かべた。

 百年前のことを思い出し、パーウォーは薄い笑みを苦笑いへと変えると、小さなため息をほうっと吐き出す。


「伝説では人間だってことになってるけど、それは嘘。だって、ワタシが百年前に会ったときのテオフラストゥスとカストールちゃんたちがさっき会ったっていうテオフラストゥス、あれはおそらく同一人物だもの。残ってた気配がね、同じだった。アイツの気配は特殊。人間とは違う、かといって魔法使いでも、この世界に存在している人造人間ホムンクルスでもない。あんな存在、ワタシはアイツ以外知らない。でも……」


 パーウォーは一度言葉を止めると、ミラビリスに向き直った。


「でも、アナタには……彼と、とてもよく似た気配を感じる」

「わた、し?」


 突然の名指しに、その内容に。ミラビリスは戸惑うことしかできなかった。今の会話の流れでは、テオフラストゥスは人間ではない、何か得体のしれないものということになる。そんなものと似ているなどと言われ、ミラビリスの中に雨雲のような真っ黒な不安が広がっていく。

 魔法使いと人間の亜人、ミラビリスは自分のことをずっとそう思って生きてきた。けれどふと、なぜ父を人間だと思っていたのだろう。という疑問が彼女の中に湧き出してきた。そもそも父の顔どころか、その存在さえ不自然なほどに覚えていないというのに。


 ――私のお父さんって、どんな人だった? 名前は? どんな髪の色だった? 声は? そもそも本当にいたの?


 急激に揺らいでいく自分の存在に、ミラビリスの顔からさあっと血の気が引いていく。


「私……私は、魔法使いの亜人。でも、父は……わからない。知らない。だって、記憶にない。見たことない。私が覚えているのは、お母さんのことだけ。でもよく考えたら、お母さんのことだって、本当に魔法使いだったなんて確証、ない。私がお母さんだって思ってるのも、もしかしたらただの思い込みなのかもしれなくて……」


 ――私は、何? 亜人? 人間? それとも……


「ミラビリス、もういい! もう、やめよう。きみが何者だったとしても、私の気持ちは変わらない。だからもう、これ以上テオフラストゥスに関わるのは――」


 必死に止めるカストールを遮ったのは、つまらなそうな顔のマレフィキウムだった。


「それじゃあ何も解決しないよ。この子はこの先ずっと、自分の正体に悩まされながら生きなきゃならなくなる。今、きみの気持ちは関係ない。それに、僕も困るんだよ。今回のことはさ、どうも彼女を中心に動いているみたいだから」

「それこそあなたの都合だろう! これはあくまで予感というか、私の勘なんだが……ミラビリスがあいつに関わるのはよくない、そんな気がしてならないんだ」


 睨みあうカストールとマレフィキウム。そんな二人の間に入ったのはミラビリスだった。彼女はカストールにうなずくと一言、蒼い顔で「ありがとう」と無理やり笑った。


「すごく、怖い。でも、このままわからないのは……もっと怖い。それに――」

「だが! …………いや、わかった。それが、ミラビリスの望みだというのなら」


 懇願するかのように見上げてくるミラビリスに、カストールは渋々と消極的な賛成を返した。そんな彼の優しさに淡い笑みをこぼすと、ミラビリスは一呼吸置いてからパーウォーへと向きなおった。


「だから、お願いします。あのテオフラストゥスという人のこと、教えてください」

「私の余計な一言が原因だから、あまり言えたことじゃないんだけど……」


 パーウォーは小さなため息をこぼした後、朝の湖のような静謐せいひつな瞳でミラビリスを見すえた。


「ミラビリスちゃん。魔法使いに頼みごとをするっていうのはね、そんな簡単にしていいことじゃないのよ。ワタシたちへの依頼には、必ず代償が必要になる。そしてそれは、願いの大きさ、困難さに比例するの」

「ちなみにだが、テオフラストゥスに関する依頼にはそんなに大きな代償が必要になるのか?」


 カストールの問いにうなずくパーウォー。それを受け、うつむき黙り込んだミラビリス。その姿にようやく諦めたのかとカストールが安堵した、その瞬間――


「代償を、教えてください」

「ミラビリス!」


 慌てるカストールを制し、ミラビリスはひたとパーウォーを見上げる。しばし流れる静寂の時間……それは、パーウォーの大きなため息によって終わりを告げた。


「まず言っておくけど、アイツの正体はワタシにはわからない。たとえ突き止められるとしても、それをワタシがやるとなると、おそらく命に関わる代償が必要になる。でも、それは私の方針に反するの。だから譲歩して、アナタが答えにたどり着くための手助けまでならしてあげる」

「それでいいです。教えてください」


 パーウォーはがくりと肩を落とすと頭を抱え、やがて苦虫を噛み潰したような顔を上げると一言、「成熟」とつぶやいた。


「この願いに必要となる代償は、『成熟』。ゆっくりだけど、このままならミラビリスちゃんもいずれ、大人の女性になれるはず。だけどこの依頼をしてしまえば、アナタはもう、一生今の姿のまま固定される。少女の姿のまま、その生を終えることになるのよ?」


 提示された代償の大きさに、場が静まりかえった。そんな中、真っ先に口を開いたのはカストールだった。


「ミラビリス、やっぱりやめよう! こんなことにきみの未来を使うなんて、いくらなんでも――」

「それでも! 私は知りたい、知らなきゃいけないの‼ 自分でも説明できないんだけど、誰かが私を呼んでるの。…………それに、自分がどうやって、何から生まれてきたのか、知りたい。だって私、亜人ですらない、わけのわからない何かなのかも――」

「それが、何?」


 不安と焦燥をまくし立てるミラビリスを遮ったのは、マレフィキウムの温度のない声音だった。

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