6.よみがえる悪夢 後編

「ハイドランジア……と、プルウィア?」


 そこへやって来たのはクピディタース。路地裏にしゃがみ込み笑いあっていた二人の姿を認めると、彼はかすかに不快さをにじませ眉間にしわを刻んだ。


「こんなところで何をしているんだ?」

「チネンシス様⁉ その……申し訳ありません! ならず者にからまれまして、有り金全部持っていかれました‼」


 なんとも情けない回答にクピディタースは額に手をやるとため息をつき、ハイドランジアはうなだれるプルウィアから顔をそらすと小刻みに肩を震わせ笑いを堪えた。


「見習いとはいえ、お前も宮廷魔術師の一員。いくら休暇中のこととはいえ、町のゴロツキ程度におくれを取ってどうする」

「申し訳ございません……」


 しょぼくれるプルウィアの頭を、まるで小さい子を慰めるかのようにハイドランジアがなでた。


「ちょっと! 子供じゃないんだからやめてくれよ‼」

「かわいかったから、つい」


 頬を膨らませ、ハイドランジアの手を慌ててどけるプルウィア。そんな風にじゃれあう二人は気づいていなかった。自分たちに注がれている、氷よりなお冷え冷えとした視線に――。


「ねえ、あれ……ちょっとまずいんじゃない?」

「まずいだろうねぇ」


 よりにもよって、ハイドランジアを口説いていたクピディタースの前でじゃれあう二人。彼らは気づいていなかったが、クピディタースの表情は完全に抜け落ちていた。


 ――なぜ、そいつには笑いかける? 何の力も持たない半人前の小僧に、なぜ……!


 流れ込んできたのはクピディタースの心。それに首をかしげ、ミラビリスはつぶやく。


「さっきから気になってたんだけど……これってハイドランジアの記憶よね? なのに、なんでクピディタースの表情はもちろん、心まで聞こえてくるの?」

「おそらくだけど……彼女の体のどこかに、クピディタースに関するものが混ざってしまっているんだと思う」

「ハイドランジアって確か、結婚式の時に彼に殺されてしまったのよね? 一体いつ、何が? それと――」


 ミラビリスが口を開きかけたその時、またもやがらりと場面が切り替わった。今度は夜の公園で、向かい合うクピディタースとハイドランジアが現れる。


「なぜなんだ、ハイドランジア! 地位も財産も、そしてきみへの想いも……私の方があいつより上回っているというのに、なぜ私じゃないんだ‼」

「最初に言ったじゃない。私はもう、半身以外はいらないって。私が欲しいのは地位でも財産でもない、死をも共に出来るほど愛を捧げられる半身だけ。あなたは違った、それだけよ」


 儚く美しい姿かたちに反し、ハイドランジアの心は興味ないものにはどこまでも冷淡だった。彼女にとってクピディタースはその他大勢、十把一絡じっぱひとからげにしか過ぎない。どんなに彼の地位が高かろうと財産を持っていようと、その姿が美しかろうと愛を捧げてくれようと、ハイドランジアにとって、半身ではないクピディタースに価値はなかった。


「ハイドランジアってこんな子だったのね。伝わってるお話からは、もっとか弱いお姫様みたいな子を想像してたわ」

「故郷からたった一人で半身を探しに出るような女性だよ? これくらいじゃないとやっていけないさ」


 そして、また周囲の景色が流れだす。笑い、喧嘩し、仲直りし……順調に愛を育んでいくハイドランジアとプルウィア。幸せな二人の時間が流れ、場面はやがて小さな教会で固定された。


「これ、もしかして」

「最後の記憶、だろうな。ミラビリス……ここから先、きみは見ない方がいい。巻き込んでしまっておいて今更だが」

「気を遣わなくていいわ。それにここまで見ちゃったら結末が気になるし」

「だが、ここから先は……」

「わかってる、ありがとう。でも、私は医療魔術師よ。血には多少の耐性があるから」


 そんなやり取りをしている間にも、二人の目の前の時間は進んでいく。

 ステンドグラスから注がれる色とりどりの光の中、花婿が花嫁のベールをそっと上げる。と同時に、正面の大扉が何者かによって大きく開け放たれた。

 

 ――ゆるさない。

 

 それは、現れた。

 開け放たれた扉の向こう、金の瞳を怒りと嫉妬で爛々らんらんと輝かせて。こけてなお美しい白面はくめん凄絶せいぜつな笑みを浮かべて。

 クピディタースは、驚き固まる人々の前で優雅に一礼。そして――


「この善き憎き日に、祝福呪いの花を」


 両手から、赫赫かくかくと咲き誇る炎の花蘇芳はなずおうを生み出した。それは瞬く間に小さな教会の中を蹂躙じゅうりんし、逃げ惑う参列者たちを容赦なく絡めとっていった。


「おやめください、チネンシス様! ご自分が何をされているのか、わかっておられるのですか⁉」


 ハイドランジアを背にかばうように立ちはだかったプルウィア。瞬間、クピディタースの顔から一切の表情が抜け落ちる。


「私は、不当に奪われたモノ・・を取り返しに来ただけだ」

「ハイドランジア……ですか? だとしたら、あなたは間違っている」


 額に脂汗をにじませ、クピディタースとの圧倒的な力の差に怯えながら、それでもプルウィアは引かなかった。


「ハイドランジアは人です! ものなんかじゃない。彼女には彼女の意思や、感情があります‼」


 祭壇の前で対峙たいじするプルウィアとクピディタース。建物に燃え移った炎が無言の二人をごうごうとあおる。


「来い、ハイドランジア。お前が私に従うというのなら、コイツだけは助けてやってもいい」

「お断りします!」

「プルウィア!」


 提案を装ったクピディタースの命令を迷うことなく退けたプルウィアに、ハイドランジアから歓喜と悲しみの感情が湧き上がった。それは同時に、クピディタースの心には苛立ちと憎悪をもたらす。

 場にはプルウィアの覚悟と信念、ハイドランジアの歓喜と迷い、クピディタースの絶望と愉悦が渦巻き、ミラビリスは伝わってくるないまぜの感情に悪酔いしそうになり胸をおさえる。


「落ち着いて深呼吸して。この感情はきみのものじゃない。これは全部過去。すでに起きて、終わってしまったことだ」

「わかって、る。うん、これは夢、過去の夢。ありがとう。ちょっといきなりで動揺しただけだから、もう大丈夫」


 気を取り直すと、ミラビリスは再び三人を見た。燃える教会と死体の山の中、静止画のように時が止まった三人。


「では仕方ない。障害は排除するだけ」


 淡々と言葉を紡ぐと、クピディタースはわずかのためらいもなく炎の花木かぼくを放った。


「逃げろ、ハイドランジア!」

「だめ‼」


 突き飛ばされたハイドランジア。そして響くは、絶叫と啼泣ていきゅう


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」


 天井を突き破るほどにごうごうと咲き乱れる花蘇芳。それはプルウィアを苗床に、おぞましくも美しい花を咲かせていた。


「プルウィア! だめ……やだ、やだやだやだやだ‼」


 じゅうじゅうと音をたてながら崩れ落ちた、つい先ほどまでプルウィアだったもの。ハイドランジアは己の体が焼けただれることもかえりみず、煤と血と涙でぐちゃぐちゃの顔で、煙を上げる愛しい半身だったものを抱きしめた。


「来い、ハイドランジア」


 勝ち誇った顔でハイドランジアに命じるクピディタース。けれどハイドランジアはそんな彼を心底馬鹿にしたような、軽蔑としか言いようのない笑顔で見上げた。


「行かない。だって、私はプルウィアと一緒に逝くもの」


 ハイドランジアの答えに、クピディタースの額に青筋が浮き上がる。


「そんなことさせると思っているのか? ここまでしてやっと手に入れたお前を、このままむざむざ死なせるなど――」

「私たち石人のこと、何も知らないくせに。じゃあね、馬鹿な人間」


 刹那、炎がハイドランジアを包み込んだ。同時にあたりを埋め尽くしたのは、笑い声とも悲鳴ともつかない絶叫の二重奏。

 

 ――逝きたい、(生きたい)、逝きたい、(生きたい)

 

 相反する感情が、濁流のようにミラビリスたちに流れ込んでくる。同じ言葉を叫んでいるはずなのに、その思いは両極端で――


「なに、これ……声が、意思が、二重に聞こえる!」

「さっきからいったい、なんなんだ? ハイドランジア以外に、いったい誰の声が⁉」


 戸惑うミラビリスとカストール、激しく燃え上がるハイドランジア、そしてそれを見ていることしかできなかったクピディタース。炎と魂の叫びがおさまった時、そこにはもう、あの美しかったハイドランジアの姿はなかった。

 呆然とするクピディタース、そしてあのフラスコの中と同じ姿になったハイドランジアを見つめながら、カストールはほのかに喜色をにじませつぶやいた。


「私たち石人は、半身が死ぬとき共に死ぬ。病なら病で、外傷なら外傷で、その痛みも共にする。死をも分かち合う、それが私たち石人なんだ」

「なに……それ」


 石人の半身に対するありえないほどの執着に、ミラビリスは恐怖を覚えた。


 ――こんな種族相手に本気の恋なんてしたら、正気じゃいられなくなる。でも……そこまで想えるって、どんな感じなんだろう?


 けれど同時に、微かな羨望も感じていて。


 ――それに石人なら、絶対に半身を裏切らない。私だけを見て、私だけを想ってくれる。想いを注げば、絶対に返してくれる。ううん、それ以上に、きっと……


 そこまで考えて、ミラビリスはぶんぶんと頭を振った。楽な方へ流されそうになってしまった自分に対し、ミラビリスは一人自己嫌悪する。


 ――望んだ想いが返ってこないのが悲しいのは、私だって知ってる。だから、こんな打算しかない気持ちで石人に軽く応えては、だめ。楽な方に流されちゃ、絶対だめ。


 ミラビリスが葛藤しているその間にも、過去の悪夢は淡々と時を進めていて。

 クピディタースはもうぴくりとも動かないハイドランジアにふらふらと歩み寄ると、かつては輝かんばかりの美貌を誇っていたその顔に手を伸ばす。


「なぜ……だ。私は、ただお前が、欲しかっただけなのに! 先に出会ったのは、先に愛したのは、私だったのに‼ なぜ……なぜ、なんだ」


 クピディタースが触れた部分――ハイドランジアの右のまぶた――が、ぼろりと崩れ落ちた。そこには、あの炎に包まれたというのに、変わらず輝く青い守護石があり……クピディタースは引き寄せられるように、その石の瞳に口づけた。そして、うっそりとわらうと――――


「死では、私たちを分かてない!」


 彼はハイドランジアの守護石をえぐり出すと壊れたように哄笑し、そのまま自分の右目へと指を突き立てた。


「死をって、私たちは一つになる‼」


 クピディタースは一切のためらいなく、引きずり出した己の瞳をハイドランジアの眼窩がんかに押し込んだ。そして自らのうつろには、くらく輝く藍方石アウィナイトをはめ込む。

 

 ――死ね嫌い死ね死ね大嫌い死ね死ね死ね嫌い嫌い嫌い死ね死ね嫌い嫌い死ね死ね

 

 途端、絶え間ない怨嗟えんさの声がミラビリスたちの中にも流れ込んできた。単純ながら切れ目なくつぶやかれるそれは魔力も帯びており、まさに精神を蝕む呪い。


「これは……間接的とはいえ、かなり強烈ね。こんなものを四六時中直接注ぎ込まれるなんて、略奪者たちの心が壊れるのも納得だわ」

「呪いの瞳は、ただそのものや装身具として持っているだけでも不幸を呼び寄せる。それを生身なんかに入れたら、普通の生き物はひとたまりもないはずだ」


 燃え盛る炎の中、膝をつき両手を広げ天を仰ぎ、独り狂ったように笑うクピディタース。その姿は、もはや狂気の沙汰。ひとしきり笑った後、彼はハイドランジアの遺体を横抱きにすると、炎に包まれた教会を後にした。


 そしてこの日、たった一人の略奪者によって……王都コロナはその四分の一を灰燼かいじんすこととなった。

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