4.水宝玉

 キクータはすっかりとマーレのことが気に入ったようで、次々と質問を投げかけてきた。石人のこと、極夜国ノクスのこと、今まで立ち寄った国や町のこと、半身のこと……


「キクータ。そんなにいっぺんに色々と質問しては、彼が困ってしまうよ」


 ヘムロックはまるで子供にするようにキクータの頭に手を置くと、笑った。それに頬を膨らませて「だって!」と返すキクータ。そんな二人の姿はとても微笑ましく、マーレもつられて微笑んでしまう。


「そうだ! ええと……」


 何かを思いついたキクータだったが、マーレの顔を見て少し困ったように首をかしげた。そんな彼女を見て、マーレはまだ自分が名乗っていなかったことを思い出す。


「失礼いたしました。マーレ・サンタマリアと申します」

「いい名前ね。では、マーレ。ねえ、せっかくだから何か一曲歌ってくださらない?」

「かしこまりました、お嬢様。では……」


 ヘムロックとキクータがソファに腰を下ろすと、マーレは一礼して背負っていたリュートを抱え直す。そして一拍置くと、胸が締め付けられるような物悲しい旋律を奏で始めた。



 深い深い海の底

 光届かぬ海の底

 光藻ひかりもに照らされ浮かび上がる

 真珠の都に住まうは尾ひれもつ人々

 

 蒼く輝く月の夜

 水の乙女は恋をした

 優しい若者に恋をした

 二つの足もつ若者に恋をした

 

 恋は乙女の世界を輝かせ

 恋は乙女の目を曇らせた

 乙女は尾ひれのかわりに足を望み

 同胞はらからにかわり若者を望んだ

 

 恋に囚われた哀れな乙女

 悪い魔法使いにそそのかされ

 二つの美しい足を手に入れた

 金糸雀カナリアの歌声と引き換えに

 

 おかに上がった人魚姫

 美しく悲しい人魚姫

 哀れで愚かな人魚姫

 

 恋は乙女の世界を輝かせ

 恋は乙女の目を曇らせた

 乙女は全てをかけ若者を望み

 愛を求め全てを失った

 

 蒼く輝く月の夜

 波間に浮かぶは恋の泡沫うたかた

 


 演奏が終わりマーレがお辞儀をすると、頬を紅潮させたキクータが立ち上がった。


「私、この物語が一番好きなの! 『カエルラの人魚姫』。悲しいけど、でも彼女の気持ち……わかるから」


 一瞬、ほんの一瞬だけヘムロックを悲し気に見たキクータだったが、すぐにもとの無邪気な笑みを浮かべるとマーレの歌を褒め称えた。


「確かにきみの歌は素晴らしい。私の友人たちにもぜひ聞かせてやりたい。どうだろう、きみさえよければ、しばらくこの館に滞在してはもらえまいか?」


 領主であるヘムロックにそう言われてしまうと、一介の吟遊詩人であるマーレには断るなどという選択肢はなかった。「喜んで」と返すとヘムロックは満足そうにうなずき、キクータはその隣で嬉しそうに小さく跳ねた。


 その日の夜、欠け始めた望月が空に顔を見せたころ、マーレにあてがわれた部屋の扉が叩かれた。


「マーレ様、お休みのところ大変申し訳ないのですが……領主様が御呼びです」


 窓辺で月光浴食事をしていたマーレは、その唐突な呼び出しに首をかしげた。

 今日はもう何もないからゆっくり休め、領主はそう言っていたはずなのに。そう思ったが、だからといって扉を開けないわけにはいかない。それにマーレが開けなくとも、どうせ彼らは勝手に開けて入ってくるだろう。

 仕方ないなとため息をこぼすと、マーレは食事を中断して扉を開けた。

 扉の外には作り笑顔の使用人。彼は当然のようにヘムロックの元へとマーレを連れて行くと、そこで仕事は終わりとばかりに一礼して立ち去ってしまった。

 結果、部屋には笑顔のヘムロックとマーレの二人きり。マーレがなんとなく気まずいようないたたまれないような雰囲気を感じていると、ヘムロックが用件を切り出した。


「こんな時間にすまないね。…………実は、きみに頼みたいことがあるんだ」

「頼みたいこと、ですか?」


 一瞬、ほんのわずかだが、マーレはヘムロックの笑顔に何かうすら寒いものを感じた。


「ああ。それと、今から見聞きすることは決して、絶対に誰にも言わないでほしい」

「……僕に、何をさせようと? それは、お断りすることはできるのでしょうか?」


 マーレの問いに答えることなく、ただ笑みを深めたヘムロックにマーレが警戒を露わにする。するとヘムロックは「勘違いしないでほしいんだ」と苦笑いを浮かべた。


「彼女に……歌を、聞かせてやってほしいだけなんだ」

「彼女? キクータ様、ですか?」


 マーレの問いにヘムロックは首を横に振る。そして机の上のランタンを手に取ると、彼はマーレについて来いと目で示し廊下に出た。なんとなくだが危険は感じなかったので、マーレは自分の勘を信じ、ヘムロックの後について行く。

 ヘムロックは暗い廊下を迷いのない足取りでまっすぐ進んだ。そして突き当りで立ち止まると、何かを探すように壁に手を当てる。しばらくすると彼が押した壁の一部が沈み、カチリという音と共に白い壁にわずかな切れ目が浮き上がった。


「ここは代々の領主だけが知る、秘密の通路なんだ」


 そんな機密情報をあっさりとばらし、ヘムロックは微笑みながら壁に出来た扉を開けた。すると真っ暗な空間の中に、下へ下へと続く螺旋階段が現れた。

 扉が開いたその瞬間、マーレは今まで感じたことのないような激しい高揚感に襲われた。心臓はドクドク、ドクドクと激しい鼓動を刻み始める。

 突如襲ってきた衝撃に思わず肩を揺らしたマーレを見て、ヘムロックはくすりと笑った。


「暗闇は苦手? 大丈夫だよ、でも足元には気を付けて。すまないが灯りはこれしかないんでね」


 勘違いしたヘムロックはランタンを持ち上げるとマーレに注意をうながし、秘密の通路に足を踏み入れた。

 けれどマーレは石人。もともと常夜の国で暮らしていた種族。そんなマーレが暗闇を恐れることなどまずないし、今も灯りを持っているヘムロックより視界は良好だ。

 けれどマーレは勘違いしたまま前を行くヘムロックに、あえてそれを訂正することをしなかった。というよりも、今はそんなことどころではなかった。

 他の何よりもただ、マーレはこの鼓動を早める原因が知りたかった。


 秘密の階段は地下へと続いていた。白い漆喰の壁は途中からごつごつとした岩壁に変わり、空気は徐々に湿り気を帯びてきて。風に乗る潮の匂いは、海がすぐそばにあることを教えてくれていた。

 階段を降りきった二人を出迎えたのは、頑丈さが取り柄と言わんばかりの無骨な鉄格子の扉。ヘムロックは鍵を取りだすと、その頑固そうな番人を慣れた手つきで退ける。


「ここは地下室……いえ、洞窟、ですか?」

「ああ、もともとは洞窟だったそうだ。それをたまたま見つけた何代目だかの領主が、気まぐれに地下室として館と繋げたらしい。それにしたってこんな出口のない洞窟、繋げたって何の役にもたたないのに……そう、私もずっと思っていたんだけどね」


 唐突にヘムロックが足を止め、ゆっくりと灯りを掲げた。

 その光を受け、奥から鈍色の光が返ってくる。目を凝らすと、そこにも無骨で冷たい鉄格子。そしてその奥では、暗い水面がちらちらと光を跳ね返していた。


「マクラトゥム様……これは?」


 怪訝な表情で問うマーレに、ヘムロックは恍惚とした笑顔で答えた。


「彼が何の目的でここを作ったのかはわからないが……私は、宝石箱として使っている。……私の、美しい水宝玉すいほうぎょくをしまっておくための、ね」


 ヘムロックの言葉の意味が理解できず、さらには余計なことも言えないため、マーレはひとまず口をつぐんだ。とその時、ぱちゃんという魚が跳ねたような音が。そして――――


「お願い、ここから出して」


 鉄格子の向こう。潮だまりのようになっている部分から、震える少女の声が聞こえてきた。その声を聞いた瞬間、マーレの鼓動がまたも大きく跳ね上がる。あまりの激しさに思わず胸を押さえ、マーレはヘムロックをにらみつけた。


「マクラトゥム様、水宝玉ってなんなんですか⁉ あなたは、ここにいったい何を閉じ込めて――」


 ヘムロックはマーレの詰問するような口調にも怯むことなく、ただうっそりと笑った。


「水宝玉だよ。海で拾ったんだ。私の、美しい水宝玉人魚姫


 天井から下ろされた巻き上げ式の鉄格子のすぐそば、そこには震える声で助けを乞う少女がいた。

 水に濡れた緩やかに波打つ金糸の髪、昼の月のように白く透き通る肌。その上半身は長く豊かな髪に隠されてはいるものの、何も身に着けていない。そして泣いていたのか、蒼玉サファイアの瞳はさざ波のように揺らめき、目元と頬はほのかな珊瑚色さんごいろに染まっていた。


「海へ、帰して」


 甘くて甘くて少し痺れる、人の心をかき乱す歌を歌う少女。そんな魔性の少女の下半身を覆うのは、美しくきらめく瑠璃るりの鱗――


 閉ざされた潮だまりの中には、美しい、とても美しい人魚の少女がいた。

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