シティガールとランデブー
「まいったな、いつまでたってもハッピータイムが訪れないから諦めて帰ろうと思ってたのに、聞きたいことが沢山できてしまった」
「でしょでしょ、密実ちゃんだけにかまけてないで私にも構ってよ。同じ転校生なんだからさ」
「別にかまけてるわけじゃないよ。なんなら関わらないようにしてるぐらいさ」
「壊したくて仕方がないのに我慢してるもんね、かぁわいー」
煽り散らしながらも的確に図星を突いてくる。嘲笑しながら夕陽の中で揺れていた。
フェンスから降りることもせず、死と隣り合わせなのに緊張感を欠いた非現実的な巻谷の在り方は、まるで蜃気楼のようだった。
「君の方が可愛いだろ、しかもエロい。質問するけど下着は何色?」
「さっき見えてたでしょ?」
「本人の口から言ってもらうことに意味があるんだよ」
「あっは! 終わってるぅ――白だよ」
意外と清純派なんだよな。
「ついでになんで僕が蜜実に殺意を抱いていることを?」
下着の色が聞けるならもう怖いことはない。
気になっていることは全部聞いてしまおう。
「あんな目で見てたら気付くに決まってるじゃん。初日なんてやばかったよね? 見てるだけでくらくらしちゃった」
「そんなに怖い顔してた?」
「んーん、普通の顔してたよん。誰にも気づかれないように。無害を装って」
「それならなんで君はわかるんだい? いや、質問を変えようかな……青色の
「島根来蝶……? 言ってることはわかんないけどこっちに来てから黒い蝶ならたくさん見たよ」
意外な質問に少しきょとんとした後、巻谷は素直に答えた
黒色は普通の島根来蝶だ。そのへんに沢山いるこの島の固有種。
つまり、彼女の殺意を感知するなにかは彼女自身が培ってきたものだ。
「いやはや、健全な生き方じゃなさそうだね」
「葦名くんがそれ言っちゃう? 今まで何人、いや何十人殺してきたの? タダの人殺しの目つきじゃないよ?」
「いやぁ誤解だよ。僕はなんの変哲もない一般学生だ。殺意だって、密実が転校してきた時に初めて感じたんだ。つまり人を殺したことはない」
そして可能な限り殺したくない。例えば体や心が言うことを聞かなくても、知識はそう言っている。
生きてれば良いことあるから。
遠い過去に誰かが教えてくれた言葉だった。
「あっは! 殺したこともないのにそんな目しちゃうんだぁ。才能のかたまりだね。ねぇねぇ、私を君の初めてにしてよ」
「それはどっちの意味で?」
「両方いいよ、どっちが先でも構わないしね?」
正直、少し押したら落ちてしまう状況の巻谷にこのまま煽られ続けると我慢が効かなくなるだろう。
つまり早いとこ彼女を黙らせる必要がある。
少しはビビッてくれないかと思うが、あの状況でも彼女は死を回避しようとはしていない。
あぁこの話は僕の特技にまつわることだ。ともかく彼女は自分が死ぬなんてかけらも感じちゃいない。
あるいは死んでもいいかと納得している。
いや……まてよ。そもそも悩む必要なんてなかった。冷静さを欠いていたな。
「よく考えたら巻谷に取り合う意味なんてないんだった。危ない危ない。ということで僕は帰らせてもらう。パンツの記憶とともに」
踵を返す。そもそも僕は青春を謳歌するためについてきたんだ。それが叶うことがないとわかった以上、ここに残る意味はない。
帰ればすべて解決ってわけだ。あばよ非現実、殺すだの殺さないなどとバカバカしいぜ。
「はあー、こんな遠くに来て、せっかく運命の相手を見つけたのに見向きもされないなんて」
残念そうな声が後ろから聞こえる。
言ってろ言ってろ。僕は荒事なんてまっぴらごめんなんだ。
「じゃあ、もういいや」
だが、続くその言葉と声色には――おびただしいほどの不吉が込められていた。
背筋が凍り、咄嗟に振り返る。
「じゃねー」
気さくな別れの挨拶とともに、巻谷の体が空中に倒れこんだ。
当然のように投げ出される命。
あまりに遠い。
今から急いでも間に合うわけがなかった。僕はたまたま殺意を宿しただけの一般男子学生だ。
「くっ……!」
足を踏み込む。到底届かない。
鍛えてすらいない帰宅部の全力の一歩なんて非力なもんだ。
ゆっくりと倒れていく彼女とすれ違いざまにひとひらの黒い蝶があざ笑うように飛んできた。
瞬間――蝶は青く発光する。
ふざけるなよ、そこに死など、あってたまるか。
彼女の終わりを否定するが、青く輝く蝶はより光を増すばかり。
僕は、一か八かを祈り、彼女が生きたいと思う言葉を必死に模索し、そして肺が張り裂けんばかりの大声で投げかけた。
「死ぬな! 君を殺したい!」
彼女の目が大きく見開かれる。
蝶が零す青い鱗粉が、光輝き宙を舞う。
途端に世界はスローモーションになった。
そして、ほんのひとかけらではあるが、僕の目前に彼女の走馬灯が猛スピードで駆け抜けていく。凝縮された記憶が、僕の脳内を走り回った。
人は死が差し迫った瞬間、生きる術を記憶の中から必死で探す。
死の近づく感覚が、この身に共有されていく。
「……っ」
カチャンと、リミッターが外れる感覚があった。生きるために、普段眠っている人間の潜在能力がこの時だけは解き放たれる。
「おおお……!」
まるでワープしたかのように、僕の体はスローモーションの世界を踏破した。
間もなくガシャンと、大きな音が鳴り響き、体にとてつもない衝撃が走る。
「痛っ……!」
フェンスに突撃した体は打ち付けられた痛みに悲鳴をあげた。
人体の耐久上限を無視した運動に体中が軋み、視界がぼやけ――しかし、伸ばした手の先には、確かに重みを感じる。
この手が感じているのは命の重量だった。
「あっは……まじ……かぁ」
繋がれた手の先で巻谷は、宙ぶらりんになりながら驚きの言葉を口にした。
そう、僕は模範的で一般的で普遍的な男子学生。
ちょっとした特技は、他人の走馬灯が見えることだ。
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