第4話 念仏なら死んでから唱えろ

 ⁅⚠ このエピソードには残酷描写があります ⚠⁆

 

 スコットの下で、漆黒の翼を有すは動かなくなっていた。

 

 スコットはに全体重を乗せていたことに気付き、反射的に飛び退いて立ち上がった。

 

 スコットの体重は九十四キロ。最悪の場合、圧死させてしまうかもしれない。

 

 ……って、あの狂乱少年の仲間であろう怪物のことなど、なぜ心配しているのか? とスコットは後から自問する。

 

 改めてを確認すると、腕と脚は二本ずつあったものの、顔や姿形は人間とは程遠く、体躯たいくもスコットより二回り強は大きかった。

 

 尖った耳と猛禽もうきん類のような形状の獰猛どうもうそうで大きなくちばし。紺色の半纏はんてんとクリーム色の麻のズボンらしきものを身に着けていたが、四肢ししは黒い羽毛のようなもので覆われている。

 

 そして何より人間離れしていたのは、やはり背中から広がる巨大な漆黒の翼であった。

 

 天使?

 

 聖書や神話に出てくる天使とは似ても似つかぬ姿であったにもかかわらず、笑われるかもしれないが、牧師であるスコットは真っ先にそう考えた。

 

 いや、そんなはずはない。これはむしろ悪魔サタンだ。あの化け狐の仲間なのだから。

 

 切株に打ち付けたらしく、は頭から出血していた。生死は不明だが好都合だ。早くこの場から離れた方が良い。

 

 「スコット先生、助かっちゃったの? そいつ誰? 先生の友達?」

 

 思いのほか早く、教会の裏手から理久りくがやって来た。あの白銀狐達の姿はない。

 

 まだ漆黒の天使もどきの傍にいたスコットは、理久からの意外な問いかけに眉をひそめる。

 

 てっきり彼の仲間だと思っていたのだが、どうやら全く無関係の人物……いや、怪物のようだ。

 

 「まあいいや。そいつとは後で遊ぶよ」

 

 言った理久の姿が、みるみるうちに変化へんげする。


 やはり白銀の狐になったのだが、その大きさが桁外けたはずれで、体長三メートル以上、大人のひぐまより大きかった。金色の瞳と縦長の虹彩はそのままで、長くなった牙と鎌のような爪……


 狐と言うよりか、化け狼か? 

 

 「でも良かった。そいつに感謝しなきゃ。先生にすぐに死なれたら、ここに来た甲斐かいがないもんね」

 

 その声はもはや少年の、と言うより人間の声ではなく、天使もどきの声よりも重厚な低音だった。


 これでは助かったことを喜べない。


 理久は口角を上げ(笑ったのだろう)、その巨体からは想像も付かぬほど機敏に軽やかに跳躍した。

 

 その勢いでスコットの眼前まで迫り、巨拳を振るう。

 

 左肩を打たれたスコットは吹っ飛び、教会の壁に全身を叩き付けられた。

 

 衝撃で視界がかすみ、ほんの一瞬だけ御国みくにが見えてしまった。

 

 血の味がする。口の中が切れてしまったのだ。全身が痛むが、骨折や内臓破裂はしていないようだ。

 

 「何発まで耐えられる? 少しは頑張ってよね」

 

 冗談ではない。何発どころか、次で動けなくなり、その次には絶命もあり得るだろう。

 

 強烈な一撃だったが、手加減をされていることはスコットにも分かった。本気で殺すつもりなら、爪や牙で斬り裂き、噛み裂くこともできるのだから。

 

 そう。致命傷を与えないようにしているのだ。


 「残念だな。スコット先生、イケメンなのに、なんで独身なの? 奥さんと子供がいれば、もっと楽しかったのに」

 

 理久はおちょくるように言い、立ち上がろうとしたスコットの左方から尻尾アタック。

 

 モフモフの尾ではあっても、スピードと重量がある。スコットは再度吹っ飛ばされ、アスファルトの上を横転し、駐車場縁の木に激突した。

 

 これもやはり加減されていたようで、重傷には至っていないが、脳震盪しんとうを起こしたらしく、フラフラして立ち上がれない。


 こんなことを続けられては、本当に死ぬ。

 

 理久は咆哮ほうこうとも哄笑きょうしょうとも付かぬ奇声を張り上げた。

 

 えつの絶頂。そんな声だった。

 

 「早いよ先生、もうギブアップ? つまらないなぁっ!」

 

 理久が右手を伸ばし、スコットの頭を鷲掴わしづかみして持ち上げ、鉤爪を立てた。

 

 そして喰い込ませてゆく。じわじわと、ゆっくりと。

 

 スコットは両手で巨大狐の強靭きょうじんな腕を掴み、両脚をバタつかせるが、抵抗もむなしく、頭蓋ずがいきしみ出した。

 

 もう駄目だ。どう足掻あがいても勝てる相手ではない。このまま頭を握り砕かれ殺されてしまうのだ。

 

 せめて、自死という最期を迎えずに済んだことを感謝しよう。

 

 スコットは抵抗を諦め、両手をゆっくりと下ろして胸の前で組み、瞑目めいもくした。

 

 「……天の、父なる神様……今宵こよい御許みもとに参りま……」

 

 ざんっ!

 

 祈りも半ばのうち、巨大狐の胴体から銀色の刃が飛んできて、スコットの喉笛でピタリと寸止めされた。

 

 鮮血と臓物が飛び散り、スコットにも降りかかる。

 

 放り出されたスコットは地面に尻餅しりもちを突き、巨大狐の上半身は真上へと素っ飛び退却した。


 一瞬、スコットは何が起きたのか分からず、放心状態となった。


 理久を上下真っ二つにした刃は、瞬時に元来た軌跡を戻りながら反転し、地面に残された巨大狐の下半身を彼方かなたへと吹っ飛ばした。


 「人が気持ちよく寝てるのに、ギャースカギャースカと……」

 

 横から、かなり苛立いらだちをみなぎらせるくぐもった低音。


 生死不明だった、あの漆黒の天使もどきだった。

 

 「貴様、スコット……先生か? 念仏なら死んでから唱えろ」


 「あの……念仏じゃ、なくて……」

 

 もはやこの土壇場どたんばではどちらでも良い。もちろん厳密には良くないのだが、違いをくだけの余裕もなかった。

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