第70話 戦況
1546年(天文15年)8月上旬 能登国 柿崎景家
「間もなく、鹿島郡に入ります。付近に敵勢の姿はありません。」
馬上から、物見の報告を受ける。
予定通り、上手くいって居る様だ。
俺達は現在、畠山家の居城七尾城まで後半日という所まで進軍している。
能登畠山家・畠山義続が1万5千の兵を率いて越中に侵攻を開始して8日、義続は能登と越中の国境に築かれた荒山峠砦に攻め掛かりおった。
しかしそれは、我等には想定済みな事で、予め砦の護りは固めてある。
天然の要害である砦に5千の兵に加え多くの銃に石弓砲を配備しており、守将は副軍長である馬場信春、その上に氷見には5千の予備兵力迄置いてある。
あの砦は、早々には落ちんわ。
当然だが、今に至るまで荒山峠砦はビクともしておらん、積み上がるは敵兵の骸ばかりの状況だ。
そんな、敵本隊が越中・能登の国境にて釘付けにされて居る中、俺は越中軍の本隊1万5千を率いて、加賀の畠山領に逆侵攻を開始した。
当然、国境を守る敵勢の砦もそれなりの数の守備兵もいたのだが、田近超えを迂回させた部隊による背後からの急襲に、守将・三宅総広はまともに対応する事が出来ず、呆気なく降伏した。
それからはほぼ、無人の野を行軍するかの様な状況で、加賀北部の諸城を平らげ一昨日には能登に入る事が出来た。
現在、能登には能登北部の輪島より上陸を果たした鬼頭殿率いる越後水軍5千が北部から、我等が南部から共に畠山家の居城七尾城を目指している状況だ。
敵勢が国境の砦で、手こずっている間に、我等で、さっさと敵の本拠地を奪い取る積りである。
今の所、敵の本隊にこの情報は伝わってはいないようだ。
情報局による徹底した情報封鎖のお陰である。
やはり、戦を征するは情報である。
俺も殿の戦を見て、如何に情報が重要であるかを学ばせて貰った。
戦で何より重要な事は、如何にこちらが、敵勢より素早くより正確な情報を得て、こちら側の正確な情報を敵勢に渡さぬか。
それに尽きる。
此度の戦でも、敵勢は気付かぬうちに居城を落とされ、大いに慌てふためく事となるだろう。
ふん。無謀に我等に挑むからそうなる。
精々全てを失って、後悔するが良いわ。
1546年(天文15年)8月上旬 下総国 国府台城 里見義堯
「うむ⋯思ったより敵勢の数が多いな。」
味方は我等、安房・上総の里見勢1万5千に加えて佐竹、小田、江戸等の常陸勢8千の計2万3千に対して、敵方となる長尾勢は武蔵兵を主力とした凡そ3万、当主が大軍を率いて上洛中の上、越中、相模、上野でも戦線を抱えているにも関わらず、あっさりと我等を上回る兵を出してきおった。
此度我等と対峙して居る兵は、主に武蔵兵との事だが儂が見ても、その兵は良く鍛えられているのが見て取れる。
おそらく、常備兵が多いのだろう。その装備を見ても、雑兵までもが優れた鎧を身に纏い、弓や弩それに最新兵器である種子島を装備している者も多く見えた。
その種子島の数は千を優に越えておる。
儂も、河越合戦で上杉勢を殲滅する時に使用された種子島と云う物に興味を惹かれ、色々と調べてみたのだが、確かに戦で有用なのは認める。
しかし、余りにも高値が過ぎる。堺の商人の伝で漸く3丁ほど入手出来たが、その値は一丁で10人分の足軽装備一式と変わらぬ程であるし、使用する火薬もまたべら棒に高価な物だ。とても、実用的では無いと、諦めざる得なかったのだが、
その種子島を長尾家は優に千を越える数を配備しておるのだ。
一体どうやって⋯まさか、自前で製造しておるのか?
おまけに、その精強な長尾勢を率いて居るのは【地黄八幡】と名高い名将、北条綱成、儂とも浅からぬ因縁のある男だが、戦に関してはとても侮って良い相手では無い。
これは、勝てぬな⋯
兵数と兵の質、装備、士気、そして兵を率いる将の力量、其れ等、全てにおいて我等が劣っておるわ。とても、勝てる道理等有るまい。
と、なれば⋯儂も身の振り方を考えねばならんな。
やはり、長尾家は強大過ぎる。
此度の様に、公方が旗を振り周囲を煽っても、最早この様に小揺るぎもせぬ。
儂も、関東に覇を唱える事を目指してはおったが⋯悔しいが、この関東の趨勢は、最早決しておろう。
おそらくは、関東でもこれ程の余裕が有るのだ。京での公方の策も、上手くはいかぬであるう。
ならば、このまま幕府側で長尾家と戦うは、下策でしか有るまい。
このまま、以前の国府台での戦の様に、戦場を離脱し領国に引き篭もるか?いや、我等は此度の戦で長尾家に敵対した。長尾家に、戦の大義名分を、自ら与えてしまった。
うむ。しくじったの⋯この期に下総まで手にしようと欲を出し、公方と今川の誘いに乗ってしまった。
領国に引き篭もっても、物量に押され長くは持つまい。
時流に乗るならば、長尾家に取り入る事だが⋯
思えば、北条は上手く長尾家に取り入ったものよな。敵将の綱成などまだ仕えて1年と経っておらんと云うに、既に大軍の指揮を任される迄に出世致しておる。
それならば、儂にも長尾家にて出世する機会は充分に有るか?
房総に引き篭もるよりは、余程面白そうではあるな。
うむ。公方を見限り、長尾に付くが里見の吉かの。
さすれば、何か長尾家への土産が欲しい所よの⋯⋯そうじゃの…常陸勢には長尾への生贄になって貰うとするか。
1546年(天文15年)8月中旬 駿河国 駿府城 今川 義元
駿河と伊豆の国境を流れる大場川、その大場川を挟む形で我軍2万と長尾勢1万2千が睨み合う事となって、既に3日が経とうとしている。
何度か渡河を試みてみたものの、数え切れぬ程の矢や種子島の銃弾に、散々に追い立てられて撤退する始末である。
兵の質、装備は我軍より数段上
やはり、長尾には敵わぬか⋯
思わず、深い溜息が漏れる。
「殿、甲斐の長尾勢2万、甲駿国境を越えて駿河国内に雪崩込みまして御座います。既に大宮城は落城し敵勢は蒲原(かんばら)城に向け進軍中との事です。」
我師であり今川の軍師である、太原雪斎が天幕に入ってくると、挨拶も早々にしかめっ面で報告してきた。蒲原城は駿府と我等が陣を張る河東地域を結ぶ要衝である。蒲原城を奪われたならば、我等は本拠地駿府との連絡を絶たれ窮地に陥る事となり、とても戦処では無くなるな。
「随分あっさりと、抜かれたものよな。内通者でも出たか?」
当然、我等も甲斐の長尾勢の動静には注意を払っており、甲斐との国境にはそれなりの兵を配備していたのだがな
「ふん。やはり、葛山氏元が裏切りおったようじゃ。」
葛山氏元の妻は、北条家の先代・氏綱の妹
北条家との繋がりは深い。その辺りから長尾に調略されたのであろう。
氏元が裏切ったとなれば⋯
「師父よ。これは、もう負け戦よな。今頃は、遠江にも信濃勢が攻め掛かかっておろう。長くは、持つまい。」
「そうで有ろうよ。あの抜け目無き神童ならば、相模勢と甲斐勢に我等を牽制させ信濃勢にて遠江・駿河を蹂躙させるじゃろう。其れだけの国力差が、我等と長尾には有るからの。」
現状の長尾家と今川では、大人と子供程の力の差がある。
こうなる事など、最初から判っていた事だ。
ならば何故、公方様からの依頼とはいえ、長尾家へ無謀な戦を挑んだのか?
それは、現状今川家が置かれている厳しい状況、故の致し方なき儀であった。
現在、今川家では幾つかの破綻の兆候が見え始めている。その1つが財政、先頃長尾家と結んだ自由貿易協定、これが思った以上に、今川家の財政を蝕んできている。
長尾家から齎される先進的な文物、質の良い衣服、珍しい食料、工芸品、其れ等は我領国でも飛ぶ様に売れた。それに対して、これといった特産の無い、我領の物産は殆んど長尾領で売れる事は無い。そうなれば、必然的に此方から大量の銭が長尾家に流れていく形となり、この貿易に置いて今川家は莫大な損失を被る形となって居るのだ。この損失を、少しでも和らげ様と師父と共に、関の廃止、商人の保護、新たな特産品の開発等、様々施策を行ったのだが、大きな成果を上げる事が出来なかった。
逆に関の廃止を強行した結果、国人衆からの反発を招く形となり、領国各地で何時反乱が起きても、おかしくない程にその不満は高まっている。
そして、甲斐の内乱への介入の失策、先年の北条との戦でも多額の戦費が掛かっておる。
既に、今川家の財政は限界を迎えつつ有るのだ。
これ以上税を上げれば、民の不満を招き長尾家への民の逃散を招く事となろうし、国人衆の不満も更に高まる。
要は我今川家は、隣国に長尾家と云う巨大勢力が現れた時点で、詰んでいたのだろう。武田と北条も既に長尾家に降った、
今川のみが独立を保てると云うのは、どだい無理な話なのだろう。
我も師父も河越合戦での長尾の大軍を見せ付けられて、今川の独立はその時には既に諦めていたのだが、この今川家は武家の名門、長尾に降るを良しとしない重臣達も多く、先頃の公方様からの御内書が届くと多くの重臣がそれに賛同した。
名門とどれだけ誇ろうと、戦に勝てねば滅ぶのみ、と云うに愚かな事よな。
我や師父の忠告にも耳を貸さず、今川家は主戦派に押し切られる形で、此度の戦となった訳だが⋯
我も師父も、とっくに此度の戦の勝利は諦めている。
水面下で長尾家と接触し、この戦で密かに国内の主戦派の阿呆共を長尾家との戦にて磨り潰す算段となっている。
時流も読めぬ阿呆等、邪魔でしかないわ。
既に我等の心の内は、密書にて神童にも伝えてある。
武田や北条の扱いを見る限り、我今川もそれ程悪い扱いにはならぬだろう。
神童の元で、共に新たな国造りに励む。
我にとっては、此方の方が領国で国衆や重臣の機嫌を取る事などよりは、随分心躍る話であるな。
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