第66話 調略
1546年(天文15年)7月下旬 山城国 北花山
「数だけは揃っておる様じゃが、戦意は感じられんの。」
「チッ。戦の心構えからして成っておりませぬな。これなら、野戦でも軽く磨り潰す事が叶いましょう。」
敵陣の様子を伺いながら、何処が不満顔の
ジジイ共。
別に敵勢の士気が低いのは、俺的には全く構わない事なので、適当に聞き流しておく。
俺から見ても、この北花の陣の眼前に陣を張る細川晴元勢、氏綱勢の士気が低い事は見て取れる。
と云うより、動揺・困惑している。と言っ
方が正しいのだろう。
その原因は、我陣に高々と掲げられている天皇の軍である官軍を表す【錦の御旗】この、錦旗のお陰だろうな。俺が禅棟と長尾派の公卿に計って、予め工房にて用意させていた逸品物だ。無駄にならず済んで良かったよ。
「我等を、賊軍として討伐する積りであったのが、逆に我等を攻撃すれば、自らが賊軍と成り果てる。些か哀れですな。」
勘助が、とても哀れんでいるとは思えない、清々しいしい表情で語っている。
まあ、俺も同じ気持ちだ。
公方の、自業自得である。
既に、帝が越後への行幸を決断されたその日の晩には、人海戦術にて帝や長尾派の公家達の、この陣への引っ越し作業が行われており、その作業は丸一日を費やし昨日には終了している。
そして、その引っ越し作業の終了を持って帝の越後への行幸及び、越後春日山への遷都が大々的に発表された。
その発表にて、初めて公方や晴元達は長尾家による朝廷工作に気が付いた様だ。
俺が情報局に情報統制を命じていた成果でもあるが、余りにお粗末な危機管理能力である。
そうして、慌てて公方方の晴元と賊軍であるはずの氏綱の軍勢がこの北花の陣に姿を見せたのは引っ越し作業が終了して、1日後の本日になってからの事だ。
現在、この陣の前方に展開しているのは、公方を大将とする細川晴元の軍勢2万7千、
賊軍とされる、細川氏綱を大将とする軍勢
3万合わせて6万弱といった所だ。
一向宗、六角、武田、一色といった他の軍勢が此処に到着するには、後数日は掛かる。
帝には暫くの間は、急造りの仮御所で我慢して頂く形となるが、それもそう長い期間にはなるまい。
この陣を護る我軍は敵勢半分に過ぎない、3万程度では有るが、100砲近い石弓砲を設置し、守備兵には5千を越える銃器に加え石弓、和弓等の飛び道具が全ての兵に支給してある。そして、護る兵は日々過酷な訓練をこなしている精強な常備兵達だ。たとえ、10万の兵で攻め寄せたとしても、この陣は落ちんだろう。
まあ、此方としては、来るなら来てみろ!と言いたい所だが、出来る事なら此処での大規模な戦は避けたい所だ。
京に近い此処で戦と成れば、その戦火が洛内に飛火する事もある、出来る事なら避けたい。
最も、此処で戦となる確率は俺は低いと考えている。あちらさんとしても、帝が居られるこの陣を攻撃して、朝敵となる事は是が非でも避けたいだろうし、少しでも戦に覚えが有るなら、この堅陣を正面から攻める愚は犯さないだろう。
そして、そろそろ⋯
1546年(天文15年)7月下旬 山城国 細川晴元陣所 三好長慶
「これは⋯とても落とせる気がしませんな兄上。」
呆れた様子で話すのは、俺の頼れる右腕である弟・実休(じっきゅう)、家中でも一二を争う戦上手が、長尾勢が籠もる北花の陣を見た感想である。
地形の高低差を巧みに利用し、其処に空堀に土塁、逆茂木、無数に築かれた櫓、これは既に陣では無い、砦と言って良いものだ。其処に、無数の種子島や弓を装備した精強な越後勢3万が待ち構えている⋯この陣を落とせる気がしないのは、俺も同じだ。
「そもそもにして、帝の居られるあの陣を攻撃等してみろ。我等は忽ちにして朝敵となるぞ。」
「はっはは。帝を奪われたのは、痛かったですな。」
「笑い事ではないぞ⋯実休。」
「それは兄上、あの公方や晴元が今頃顔を青くしていると思えば、愉快な気にもなると云うもの。」
はぁ〜、相変わらずはっきりと物を言う困った弟である。
近くにこの話を聞く者が居ないとは言え、そう簡単に、己の心の内を漏らすものでは無いわ。
しかし、実休の気持ちは俺も良く判る。
なんと言っても、公方や晴元は我父・元長の仇よ。儂も内心は、愉快で堪らぬわ。
「まあ、良い。俺の他には他言するなよ。」
「そんな事は、判っておりまする。今は三好家、雌伏の時で御座いますからな。しかし、兄上これは状況が変わったのでは?」
そうだ、この魑魅長蔓延るこの畿内で三好家が生き残る為には、仇敵共の機嫌も取らねば生き残る事は出来ん。しかし⋯
「確かに帝は、長尾家を選ばれた。しかし、長尾家の本国は遠く越後、この畿内において長期に渡りその影響力を発揮するは、至難の業ぞ。」
「それは、判っておりますが⋯せっかく、我が推しが、こんな間近迄来て居ると云うのに、お会いする事も出来ぬとは⋯」
そう溜息を吐きながら、実休が懐から取り出したのは、最近巷で話題となっている【越後戦記】と記された色鮮やかな書物である。
頭が痛い事に、我が弟達はこの話題の書物の熱狂的な愛好者達なのである。俺の弟である実休、冬康、一存の3人は何時も顔を合わせては、其々の推しがどうのと、言い争っておるし、どうやら定期的に書状まで送っておるらしい。
先日などは『返書が来た!』と末弟の一存の奴が大騒ぎしておったわ。
確かに今までに無い、革新的で読み易い非常に良く出来た、書物なのは認める。
其処に描かれた神童の政治、統治、軍事手法は統治者で有る俺から見ても、十分に参考となる程だ。
三好家の仇敵である、一向宗を爽快に倒す。
その物語に、弟達が心惹かれたのも判る。しかし、この物語はあくまで長尾家の立場から描かれた物だ。それを全て鵜呑みにする事は危険だと、俺は考えている。現状長尾家と、誼を結ぶのは三好家の利となると黙認はしているが、三好家当主としては、程々にして欲しいものだ。
そんな、戦場の緊張感とは無縁な事を考えておった所、俺を無理矢理に現実に引き戻す様な報告が、突如として飛び込んできよった。
「御報告申し上げます!我等が居城・越水城一向宗の大軍にて包囲されておりまする!至急援軍を、お頼み申しあげます!」
「なっ!?」
「味方の筈の一向宗が⋯何故?間違いでは無いのか?」
「詳しい事は判りませぬが、我等の城だけで無く、畠山家が居城・高屋城、三好政長殿の居城・飯盛山城等にも一向宗門徒が攻め掛かっておるとの事で御座います!」
「何が起こって⋯」
「狼狽えるな実休!大方、神童殿の策に嵌められたので有ろうよ。これは、こんな所で戦をして居る場合ではないわ。兵を退くぞ!急げ!」
どうなっておるのかは判らんが、越水城には母上や弟達も居るうえ、交通の要衝である越水城を奪われれば、本国阿波との連絡を絶たれる。
城を護る城兵は少ない。
取り急ぎ、駆けつけねばならん。
一体、あの神童は何をしおった?
1546年(天文15年)7月下旬 河内国 服部保長
「頭。和泉の門徒衆、畠山政国が居城、高屋城に襲い掛かりました!」
「摂津の一向宗を率いる七里頼周、我等が虚言に惑わされ、摂津の晴元勢に攻め掛かりました。」
「門徒内に潜入していた伊蔵からの繋ぎで御座います。河内の門徒宗三千掌握したとの事でございます!」
次々と、配下の者達から齎される情報は
殿の計画が、順調に推移している事を示すものばかりである。多少は計画とズレは生じてはきておるが、それも計算内で済んでおる。
今現在、既に一向宗門徒を率いる、本願寺の命令系統は完全に崩壊した。そう断言して良いだろう。
随分と、楽な仕事であったわ。
驚嘆すべきは、我殿のその知謀よ。
殿は、曾て越中、加賀で一向宗と矛を交えた頃より、手懐けた門徒達を本願寺の本拠地である大坂御坊に潜り込ませておった。
潜り込んでいた者達が、この6年の間に、本願寺内でその地位と発言力を高め、本願寺の組織を内部から腐らせていったのだ。
その者達は、此度の戦で門徒を率いる者を此方の息の掛かった者達を任命したり、本願寺法主・証如の檄文をすり替える等、大いに活躍してくれたわ。
今頃、本願寺の上層部は大慌てであろうが、既に手遅れよ。
今や畿内各地で、一向宗門徒と公方方の者共との戦闘が起こっておる。
公方方にも、我等の手の者が傭兵として雇われている。其れ等の者が積極的に一向宗との戦を煽っておるからな。
この敵勢の混乱は、もう収まらんわ。
それにしても、殿は我等忍びを、実に巧みに使われる。
以前足利に仕えた事もあったが、戦場で最前線で磨り潰されたり、捨て石として殿軍をさせられたりと散々であったわ。おまけに、金払いまで悪いとならば何ともならん。
それに比べ、長尾家のなんと仕え易き事か。我等に払われる銭は、生活するうえで充分過ぎるものであるし、その上危険手当に任務で負傷時の補償、主人を失ったなら、その家族への補償迄付いて来るのだ。そのお陰で、配下の者達の士気は非常に高い。
その、士気が高いは俺も同じよ。他家では犬畜生の様に扱われておった俺が、今では日ノ本一の大大名と成った長尾家の家老と言って良い諜報局の八忍の一角よ。
俺を拾い上げ、取り立てて頂いた殿には感謝しか無い。
食うにも困っておった我等を、救って頂いた多大なる恩義、この御役目にて少しでもお返しさせて頂く。
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