第35話 蝦夷

1544年(天文13年)7月 越後国 春日山城




やっと憂鬱な梅雨の季節も終わったようで、越後にも夏の季節が訪れようとしている。

やっぱり青空っていいよな!


しかし現在、この春日山城の評定の間には、一部どんよりとした雰囲気と、それとは逆に快晴の爽やかな雰囲気が漂っていた。


「何も殿自ら出征なさることはないのでは?」

「直江殿のおっしゃる通りでございますよ、我等を見捨てて行かれる心算ですか?」

「新次ろ…殿よ、残された我等だけでは…仕事が…」


どんよりとした梅雨の空模様の雰囲気を纏うのは、直江景綱、村井貞勝、そして父である蔵田重久。それぞれ政務局、財務局、商業局の局長を務める主に内政畑の面々である。


その一方で、快晴なのは大殿こと長尾為景、朝倉宗滴、五島新八といった軍長たち軍務畑の連中である。


「ククク、任せておくが良い!海賊共などこの為景の敵ではないわ!」

「ふふふ、海戦は初めてでございますな~腕が鳴りまする。」

「ガハハハハッ、大将、任せとけ、ちゃんと蝦夷地までこの平八が送り届けてやる!」


と、御機嫌である。


今日行われたこの評定で、対馬と蝦夷地への出征が正式に決定した。


対馬には大殿と宗滴が15隻の越後船に海兵3000を率いて、蝦夷地には俺と平八が同数の艦艇と海兵を率いて出征することとなったのだ。


その結果を受けての反応である。


元々対馬、蝦夷地を長尾家が手に入れることは既定路線だったのだが、問題はその蝦夷地への出征に俺自身が参加するということだ。内政畑の連中はまさか大将自らが遠征に参加するとは思っていなかったようだ。


蝦夷地は遠い、日本の北の果ての地である。

当然、蝦夷への出征ともなれば短期で終わるはずもない。おそらくは越後に戻って来られるのは秋口くらいだろうと予想している。


結果、長期に渡って俺が越後を留守にすることになるのだ。現状、越中、越後、信濃を領有し、急速に拡大した長尾家だが、正直内政関係の人員は未だに足りていない。

この識字率の低い時代では、読み書き計算のできる人材というのは本当に貴重な存在なのである。

当然、その人手不足の皺寄せは俺や内政畑の人間が被るわけだが、ここで蝦夷への出征で俺までもが長期離脱するとなると…。


うん、考えるだけでも恐ろしいな。


「お主たちには苦労をかけて大変心苦しく思っておるが、蝦夷地は将来、長尾家にとっても日ノ本にとっても重要な土地となる。すまんが、ここは堪えてくれ」


ぶっちゃけ、蝦夷地に俺まで行く必要は本当は無い。


しかし、前世で旅好きだった俺の心が疼くのだ。

『原始の自然を残した北海道を見てみたい』と。


景綱は天を仰ぎ、貞勝は茫然自失の態である。親父殿は涙目だ…。


うん…すまん、土産ちゃんと買ってくるから。


よっしゃ~、長期休暇だ!夏だ!避暑だ!北海道だ!ひゃっほ~~!


おっと、いけない、仕事だったな。


こうして、対馬への遠征と俺の長期避暑旅行が決定した。





1544年(天文13年)7月中旬、日本海 出羽沖



「皆の者~、錨を揚げよ!出航だ~~~~!!」


「「「「「「「おぉぉぉ!」」」」」」


「何言ってんだよ、大将、もう錨も上がってるし、とっくに出航してるじゃねぇか」


やけにテンションの高い俺が千代や近習組と海賊ごっこを楽しんでいると、平八に呆れた顔でツッコミを入れられた。


いいじゃねぇか、一度やってみたかったんだよ!


俺達は別に遊びに来ているわけではないんだ。現在、俺達は越後水軍3000を率いて出羽沖を航海中だ。


まぁ、多少テンションが上がるのは勘弁してもらいたい。


前世の俺の趣味は史跡巡りと旅行だ。

戦争が始まる前には北海道によく訪れていた。広大な大地に、夏でも冷涼な気候、雄大な景色に旨い食べ物、北海道は俺のお気に入りの旅行先だったのだ。

そんな北海道に向けての大型帆船での船旅、テンションが上がらない方がおかしいというものだ。


初夏の日差しを浴び、爽やかな海風を受けながら穏やかな海を航海する。俺だけではなく、千代や若い近習達のテンションも高い。


「旦那様、旦那様!あの鳥が千代の餌を食べてくれました~♪」


「殿~~!今、馬鹿でかい魚が跳ねやしたぜ!」


「おぉぉぉ!あれに見えるは殿の言う海賊船では!?」


「なぬぅ、この信友が討ち取ってくれようぞ!」


「一番槍はこの一益が貰った!」


朝信、違う、ただの商船だ。止めてやれ。

討ち取ったら、お前らが海賊だ。


「あなた達、はしゃぎ過ぎて新様に迷惑をかけるなら…分かってますね。」


「「「「も、勿論でございます姉御!!」」」」


「そう、ならいいわ」


鷹揚に頷く美雪に対して、直立不動の男達。

あの花見の宴以来、近習の間では絶対的な上下関係が出来上がった。


あの日、美雪は4人に圧倒的な実力差を見せつけただけでなく、若者特有の驕りや無駄なプライドまでも木っ端微塵に破壊した。

その扱きは、見てる俺の背筋まで凍らせたほどだ。


人に致命傷を与えず、最大級の痛みや苦痛のみを与える腕前は、正に達人と言って差し支えないレベルに達していた。


最初は一人ずつ丁寧かつ丹念に身体に恐怖と苦痛を染み込ませ、最後は4人がかりで相手に叩きのめし、絶望を与える。


こうして近習内の絶対女王が誕生したのだ。


まぁ、若者には良い勉強になっただろう。俺は御免被るが。

現に、驕りが消えて素直に話を聞くようになった。

美雪に対する態度が俺に対するより畏まっている気がするが…まぁいいだろう。

世渡りは大切だ、世の中には絶対敵対してはいけない者が存在しているのだ。



「殿様、まだ着かないの?」


「予定では、後3日程だな」


帆船の時速は5キロ程、一日で大体100キロ~200キロ進める。春日山から蝦夷まではおおよそ700キロ、酒田経由で大体1週間の船旅である。もっとも、帰りは海流に乗れないため10日以上かかるとのことだ。

現代であれば飛行機や新幹線で半日で行ける距離だが、この時代ではこれが限界だ。徒歩ならその倍以上の行程と労力が必要となる。


「蝦夷ってところ、遠いんだね。ねぇ、どんなところなの?」


「とにかく広いな。今の長尾家の倍の広さはあるかな」


「我が領の倍でございますか!?」


「そんなに広い土地なのに、人はあまり住んでおらぬのですね、旦那様?」


「あぁ、とてつもなく広いが、寒すぎて米が採れんからな」


「そんな土地を殿はどうして手に入れようとなさるので?」


「今は作物は採れないかもしれないが、先々は分からんだろ?それに蝦夷地は牧畜には向いている」


現代では稲の品種改良の結果、旭川の辺りまでは米が作られるようになっており、将来的には蝦夷でも米作りも可能になるだろう。

それに米にこだわる必要もない。

冷涼な気候に合った食物を育てれば良いのだ。

砂糖の原料となるてん菜、小麦、大豆、小豆、じゃがいも、玉ねぎ、トウモロコシ。

それに広大な土地を利用した酪農により生産される乳製品。

この蝦夷地の開発が成功すれば、ここは日ノ本の食糧基地となれる可能性を秘めている土地なのだ。

この時代の日本では毎年のように長雨による洪水、日照りによる干ばつ、日照不足による冷害などにより飢饉が起こり、それにより何十万、何百万という多くの日本人が悲惨な死を迎えている。

そんな悲劇が近代に至るまで続いた。

最早その被害者の数は予想できないほどの数字となるだろう。


俺はこれから起こるであろう、そんな悲劇を少しでも減らすために、この蝦夷地を開拓する。


現代でも日本の四分の一の耕作地を誇っていたのが北海道だ。いち早くこの地の開拓に成功すれば、きっと将来の日本人の餓死者を減らすことができるはずだ。


「しかし殿、此度の蝦夷出征は戦にはならぬのでしょうか?」


「蠣崎も安東も馬鹿なら分からぬが、おそらくは戦にはならん」


今回の出征の目的は蝦夷の支配を確立させるため。名目は越後から蝦夷の航路を荒らす海賊の討伐だ。まぁ、家の船が襲われることはまずないが、実際海賊の被害は後を絶たない。俺が兵を動かす理由としては十分だ。


この時代の蝦夷の支配者は蠣崎家だが、現状は檜山安東氏の代官に過ぎない。蠣崎家が安東氏から独立するのは戦国後期になってからのことだが、現在蝦夷の事実上の支配者は安東氏となっている。


今回は事前に蠣崎家に対して話は通してある。


蠣崎家の現状は酷いものだ。蝦夷は寒冷地だ。当然米は採れない。蠣崎家の主要な収入はほぼ蝦夷の産物を売る交易で得られるものだ。そこで得られた収益も多くは安東家に上納させられ、その上軍役までも課せられている。


そりゃ独立もしたくなるってものだ。


俺は蠣崎家当主、蠣崎 季広(かきざき すえひろ)に家の直臣になることを提案した。

季広は驚いていたそうだ、家の条件の良さに。


今回の蝦夷行の目的はその蝦夷地の接収だ。蠣崎家が仮に同意したとしても、安東から横槍が入るかもしれん。そのために3千の水軍を率いて行く。


最も、安東もクレームくらいは入れてくるかもしれないが、精々その程度だ。

軍は動かさない、俺はそう踏んでいる。


安東も現状、東の南部から軍事的圧力を受けている最中だ。根拠地としていた津軽も既に失っている。そんな中で長尾家を敵に回せんだろう。

そして何より、安東も蠣崎と同じく交易を主な収入としている家だ。長尾家を敵に回すということは、その交易の道が閉ざされるということだ。

太平洋航路が未だ確立されていないこの時代、越後の海を封鎖するだけで簡単に奴らを干上がらせることができる。


制海権を握られるとは、それほど恐ろしいことなのだ。


そんな状況の中で、安東家が家に喧嘩を売ってくるとはとても思えないが、どこの家にも過激派は存在する。家に反抗する連中も現れるかもしれん。

そう思って越後水軍3千を率いてきた。

更に念のため、越後の兵1万を出羽の庄内に向かわせ、柿崎景家に安東家との国境付近で軍事訓練をさせている。あくまでも軍事訓練だ。向こうがどう受け取るかは知らん。


そこまでしたのだ。まさか安東家が家に喧嘩を売ってくるとは夢にも思っていない。


気分はすでに旅行気分である。


航海は順調に進み、秋田沖、眼前に男鹿半島が見えた辺りで、

俺の旅行気分に冷水をぶっかける出来事が起こった。


「大将、前方に多数の軍船を確認。俺たちの進路を妨害する形で展開してやがる。あちらさん、やる気の様ですぜ。どうしやすか?」


「・・・・・・・・・・え?・・・・・・・・マジで?」

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