果たせぬ和解

「お前……」

 勇利ゆうりの防寒着をまくり上げ、シキは絶句した。


 腹部に、氷刃が突き刺さっている。

 もちろん、刃を抜いてはいけない。大量出血で死ぬだろう。


「問題ない。雷で痛覚を麻痺させている。……俺の話を、最後まで聞いてくれ」

 身を隠す場所を。と立ち上がったシキの腕を、勇利は掴む。


「スニエークの拠点に行け。ウラガーンの、ペンタグラマ宮殿だ」

 

「わかった、わかったから、早く身を隠そう! その傷じゃ──」


「いい」

 差し出された手を、勇利は払いのけた。


「……やめろ」

 意味を悟った瞬間、シキはゆっくりと首を振る。


「やめない」

 断固とした口調で、勇利は即答した。


「内側からいくら叩こうとも、握り潰されるだけ。……だから、俺はお前を『捨て駒』にした。外からの力で、国を壊そうとした」

 絶え間なく、口から流れる血。いよいよ限界が近づいている。


「あとは、お前に託す。……ほら、迎えが来たぞ」

 そう言って、視線を遠くへ移した。


 振り返ったシキは、目を剥いた。

 現れたのは、濃灰色のうかいしょくの髪に、黄色い目の男。


「ヴォルク?」と上擦った声で、戦友の名を呼んだ。


「なんでお前が?」


「この男から、お前がここにいると教えられた」


「そんな。いつ?」


「今、話すことじゃない。……それより看取ってあげて」

 言葉を遮り、ヴォルクは首を振る。

 看取る。という言葉に、シキの喉がヒュッと鳴った。


「余計なお世話だ。さっさと行け」

 睨みを効かせ、勇利は唸る。


 風の音に交じり、エンジン音が聞こえた。

 ザミルザーニ兵に、血の跡を辿られたのだ。


「『死ぬ』までが、俺の役目だ」


「ふざけるなッ!」と、シキから小さな怒号。


「散々、騙しておいて死ぬだと!?」


「お前を騙せて、痛快だった」

 血に染まった歯を見せ、勇利は笑う。すぐに、黒目が寂しそうに細められた。


「……エクレレ様に伝えてくれ。『申し訳なかった』と。そして『自分を責めるな』と」

 絶え絶えに、掠れた声が言葉を紡ぐ。


「それと、お前に」と手を差し出した。

 戸惑いつつも、シキは手を伸ばす。


 直後、勇利から光があふれる。

 けがれを浄化するような光に、シキは見覚えがあった。

 風の気象兵器──アネモスを宿した際の輝きと同じ。


 手と手を、光が伝う。胸を貫くような感覚に、シキはのけぞった。


 光が消えたと同時に、勇利は合口拵あいくちこしらえに手をかけた。


「行け!」

 

「ダメだ! お前も──」


「この分からず屋ッ!」

 なおも引き下がらないシキに、切先を突きつけた。

 スパーク音とともに、微弱な雷が放たれる。


「お、まえ……」

 不意打ちに、シキは片膝をついた。


「早く、行け」と、勇利はヴォルクを見やる。


「……わかった」

 ヴォルクは頷くと、シキを担ぎ上げた。


──勇利が遠ざかる。

 わずかに意識を保つ青い目に、親友の姿が映る。雪の白と、血の赤が眩しい。


「さよなら」と、勇利の唇が動いた。


 二人が見えなくなって、胸に手を当てた。光の球体が現れ、人の形へ変わる。

 猛禽類を思わせる黄色い目。金髪を無造作にかき上げた男。


 勇利によってグロワール家から強奪された、雷の気象兵器。

 名はケラヴノ・オルニス。


「もういいのか?」

 ケラヴノは片膝をつき、首をかしげた。振り子のように、ピアスの装飾が揺れる。


「あぁ。……さ、最後の頼み、聞いてくれるか?」


「もちろん。最期まで付き合おう」


「ありがとう」と、勇利は笑う。

 合口拵を構えるとケラヴノは再度、光の球体へ。


 浮遊する球体を見つめ、勇利は目を伏せる。あらゆる過去──走馬灯が駆けた。


「もう、いいんだ」

 決意とともに、球体に切先を突き立てた。


 爆発直前の星のように、無数の光が溢れ出す。

 日が傾きかけた鈍色の空に、一本の神々しい光。同時に、光の筋が円状に広がる。


 血の跡を残し、勇利は消えた。骨灰こっかいのない、静かな最期。


 その日──。

 電波障害が、ハロードヌイ市を襲った。

 通信機器が故障し、ザミルザーニ兵は捜索を断念せざるを得なかった。

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