回想(レース1週間前)

 俺がロードレーサーに乗り始めたのは19歳の時だった。

 そこから競技にのめり込んで、約10年間はロードレースが全てというような生き方をしていた。

 1993年、28歳の時に全日本チャンピオンになったけれど、ロードレースでやりたい事はやりきったとは今でも思っていない。


 今とはとりまく環境も全然違って、国内の女子レースは現在のようなものではなかった。レース時間は短く、コースも厳しいものはあまり無くて、ロードレーサーとしての総合力よりも駆け引きやスプリント力が勝負を左右する事が多かった。

 憧れの海外レースに繋げる環境は厳しくて、実力も勇気も足りず踏み出す事が出来ずに、全日本チャンピオンになって目指すモノが見えなくなった。


 そんな時にMTB(マウンテンバイク)競技を知った。競技時間も長く、コースも険しく、駆け引きなんかではなく自分の力を出し切ってゴールできそうなこの競技をやってみたくなった。


 ロードレースを始めて10年後、MTB選手としては、自分の身体に限界を感じて自転車への取り組み方を変えるまで、約20年間もの年月を過ごした事になる。

 ヒルクライムレースに絞って出場するようになったのは今から8年前かな。

(俺、いったい何年自転車競技をやってるんだ? 10+20+8=?)



 俺はMTBに転向してから10年ぶり位、2004年に久々にロードレースに出場したんだ。

 アテネオリンピックの年だった。


 競技中心の生活は2000年のシドニーオリンピックまでのつもりで、長野に移り住みペンションを始めたけれど、自転車に乗る環境が良すぎて選手は辞められなかった。

 新しいチームを立ち上げ、その一員として、やはりオリンピックに出場するという夢は諦めきれないでいた。

 その年、5月の初めにロードのオリンピック代表選考レースがあり、5月の終わりにMTBの選考レースがあった。


 MTBに転向してから10年もロードレースは走っていなかったし、勝てる可能性は極めて小さかったけれど、可能性がゼロではないならロードも走ってみようと思った。

 その選考レースは、俺がロード選手だった時と比べて難易度も高く距離も長い理想的なモノだった。

 ロード選手時代にこんなレースをやりたかったな。


 そう、その選考レースから20年が経ち、今俺が走ろうとしているのは、まさにこのコースだ。

 当時は8キロを8周するレースだった。(今回、前日に行われる女子エリートは11周、俺が走る女子マスターズは4周のレースだけど)


 結局、俺はその選考レースを7位で終え、オリンピック選考には箸にも棒にも掛からなかったけれど、その後のMTBの選考レースで優勝してアテネオリンピックに出場できたんだった。

 オリンピックへの挑戦は、ロードでソウル、バルセロナ、MTBでアトランタ、シドニー、アテネ、と5回目の挑戦だったわけだ。



 MTBに転向して10年後に出たいと思わせ、走ったこのコースを、その20年後にまた走る事になるとは‥‥‥



 ロードレース。

 俺、大好きだけど、大嫌いなんだ。

 カクヨムにもロードレースを題材にした小説をいくつか投稿しているけれど、現実にも友の命を奪ったり、怪我や理不尽な事が多い競技だ。

 自分自身、上手くいかなかった事が凄く多くて、それで辞めてるから、少し離れた所から見てきたっていうか。


 ロードレーサーを使ったヒルクライムレースはずっと走ってきたけれど、これは己との戦いみたいな感じが強い。自分を磨いてレースでどれだけ出せるか。


 対してロードレースで目指すモノはもう無いと思っていた。ロード選手として現役の頃の力があるわけではなく、リスクもあるし、カテゴリーの低い大会に興味も持てなかった。

 8年前まではMTBで国際大会でも自分に子供がいたらその位の年齢の選手達と戦ってきたわけで、年齢別の競技にも価値を見いだせなかった。




 今から4年前。

 1年に1度、日本チャンピオンを決める国内で最も大きなロードレース「全日本」にマスターズクラスというのが設けられた。

 その第1回大会の男子60歳以上の部に俺の尊敬するレジェンドMさんが出場して優勝した。

 第2回、第3回と、そのクラスでは往年の名選手達が何人も出場してきて注目を集めた。そこでもMさんが優勝して現在3連覇中。


 勿論、現役の時のような力も無いし、当時の凄まじい取り組み方とは違う。

 それでも当時が色あせる事はまるで無いし、今もこうして勝負して勝つという姿がとてもカッコいいと思った。


 もう1つ、凄く羨ましかったのが、男子マスターズ50歳以上と60歳以上と女子マスターズが同時出走だという事。

 女子は参加人数が少ない為に、例え80歳でも30歳の選手と同じクラスになってしまうのだけど。


 第2回大会でMさんとマスターズ女子のKッチとの師弟対決が話題となった。Kッチはまだまだエリートクラスでも入賞できる力があったから最後のゴールまで名勝負となった。

 俺はKッチほどMさんと密接な師弟関係にはなかったけれど、昔一緒にトレーニングさせて頂いた事もあるし、色んな事を教えて頂いた憧れの選手である事は共通している。

 そんなMさんと勝負できるなんて、Kッチがスゲ〜羨ましかった。


 だけどさ。やっぱりロードはもう別の世界って気がしてたんだよな。

 昨年までは‥‥‥




 昨年1年間はレースに全く出ずに膝の治療に費やした。

 1月に右膝の遠位大腿骨骨切り術、6月に左膝の脛骨粗面下骨切り術、12月に両脚に入っていたプレートの抜釘手術。


 そのリハビリはずっと継続する必要はありそうだけど、長年の膝の痛みから解放され、今年の4月頃からは自転車に乗るのが本当に楽しくトレーニングを積んでいけた。


 何も今更ロードレースに出場しなくてもヒルクライムだけでも良かったんだけど、60歳になった旦那も興味を示していたので、2人一緒に出場できる全日本を視野に入れ始めた。


 5月末のエントリー締め切りまで迷っていた。

 迷ってはいたけれど、自然とそこに向けたトレーニングをやり始めていた。

 昔のデータを引っ張り出してきたり、昨年同じコースで行われた全日本の動画を見たりしながら、気持ちはそこに向いていた。


 ロード選手時代の苦い経験も、下のカテゴリーで走る事に対して見いだせなかった価値も、何だか変にこだわっている事がなものに思えてきた。


 昨年1年間を経て、俺は新しい脚になって生まれ変わったような気分になっている。

 もう競技は出来なくても仕方なかったのに、こうして走れる身体にして頂いたのだから、やりたい事をやらないのは勿体無い。

 手術して頂いたものを生かし切る事。それが関わって下さった方々への恩返しにもなるんじゃないかな。

 そして、同じような境遇にある人達に勇気や希望を与える事が出来たら最高だ。


 過去は関係ない。今、やりたい事を自分の心に正直にやるのは悪くない。

 リスクは全く無いわけじゃないけれど、この勝手が分かっているコースで自分の力量をわきまえて走れば、リスクは大きくないと思える。

 ロードレースに復帰するわけじゃなくて、このレースに出たいから出る。それで良いんじゃないかと思えた。



 この1ヶ月程は全日本に向けてすごく楽しんでいる。

 出来る事は全てやったとか、そこまで注ぎ込んでやっているわけじゃないけれど、今の自分なりにそこに向かって日々を過ごしている。



 ロードレース。

 俺、大嫌いだけど、大好きなんだ。

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