文章の距離について
律角夢双
「書き手」と「登場人物」の距離
私がこれから論じようとする事柄は何ら新しいことではないし、或いはすでに先覚らによってより深くまで掘り下げられてあるに違いない。それでもなお拙き言葉を弄するのは、偏に吾が未熟ゆえであると、予めことわっておく。
ここのところ、小説を読めなくなって久しい。体力的な衰えを差し置けば、読めない原因は書かれる主題に存すると考えるのが通例であろう。つまり昨今の小説界隈で持て囃されている題材が、私の小説に求めるものとは著しく乖離している、ゆえに読む気力が湧かない、ということに他ならない。
私はこの考えに少なからず首肯せざるを得ないことを認めよう。にも拘わらず、小説の主題とは別の次元に、読書意欲の減退の要因があるのではという疑いを禁じえない。というのも私の場合、試みに作品を読み出して、冒頭の二三行の時点で挫折してしまうという場合が殆どなのである。冒頭数行で物語の主題が明らかになることなどまずあり得ないことを思えば、主題そのものでなく、その数行の書かれ方にこそ私を読書不全に陥らせる因子が潜んでいるというのは至極妥当な推論ではあるまいか。
書かれ方、という漠然とした表現をしたが、要するところ小説における文体の問題である。ところで文体というと即座に口語体、書簡体といった、文章を綴る上での一定の形式を思い浮かべる諸兄も多かろうが、私がここでいう文体というのはより広義の、より模糊とした意味を含む。ここではそれを「文章の距離」と名づけることとするが、抽象的な言語操作に終始しても埒が明かぬから、幾つか具体的な文例を示すことでその輪郭を詳らかにしてみたいと思う。
***
<文例>
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・蓉子は裏切られた復讐とばかりに、手にしたグラスのワインを隆の顔めがけてぶちまけた。それで隆の涼しい態度が崩れることはなかったが、蓉子は隆の視線が一瞬、自身のお高そうな背広にできた染みへと向けられたのを見逃してはいなかった。所詮、女の感情よりも目先の損得勘定の方が大事、彼女にとって証拠はそれで十分であった。
***
二つとも同じ状況を描写した文章であるが、おそらく多くの人は前者がより「書き手」と「蓉子(登場人物)」との距離が近いと感じ、後者がより距離が遠いと感じるであろう。だが前者が自由間接話法を用いており、後者がほぼ純粋な三人称視点で書かれている、その点のみが私の言う「文章の距離」を決定づけているわけではないということに注意してほしい。同じ三人称視点であっても、距離感に差が生じるケースはいくらでもあり得るのである。
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