セカイとひきかえ
サカモト
第01話 ひとり、ひと世界から
夕陽が沈みゆく。
手がすべり、ながく奇形に伸びた自身の影へ落とした端末の画面から『わたしをリアルに落としたわね』と、はじけるような女の声が放たれた。
画面には、女性らしき白いシルエットだけが映っている。
『こっちからでもオールでわかるんだからね。リアルでわたしをどうあつかったのかってのは』
つづけて、はじけるような声で苦言を呈す。白いシルエットも発言に連動するように、ぬるぬると動いた。ながいふたつむすびの白い髪は長く、腰あたりまで伸びている。十代中盤のアニメキャラクター調の女性を連想させるシルエットだった。
全身は白いが、唯一、左耳に、赤い林檎のデザインのイヤリングがぶらさがっていた。
そして、背景はすべてだった黒だった。
すると、現実世界にいた青年が、自身の影の中に落ちた端末を拾いあげて、いった。
「壊れてないさ。大丈夫だ」
太陽が放つ、日の最後の光の反射によって、端末の画面の表面に、青年の顔が鏡のように写った。その姿は画面の中で、白い女性のシルエットとかさなる。
青年は二十歳ほどだった。目の奥に輝きがない。フード付きの全身黒いジャンパーを羽織り、某有名メーカーの類似品のスニーカーを履いている。
総じて、青年に生命力を感じない、華がない。
しかし、顔立ちは見る角度によっては絵になる、という瞬間はあった。ただ、それはあくまで、瞬間の中にだけあって、三秒も凝視していれば、気のせいだ、と思って、終わる。見応えのない青年だった。
『わたしも大事だけど』画面の中から白いシルエットが話しかける。『命より大事なカメラはイカれていないでしょうね? 逆奇跡でカメラ部分だけピンポイントで地面から突き出た鋭角な感じの石に直撃して壊したとか』
「お前にとっては、俺の命よりカメラの方が大事なのか」
『いいえ、あんたの命よりカメラの方が大事って意味なだけ』
「ようは、俺の訴追を微塵も覆していない返しだな」青年は言った。「いいさ、いずれチャンスがあったら、復讐するからな、おまえを。こってりと陰湿な方法でやるさ、覚えておけよ、もしも、覚えておく自信がないなら、もう一度、言ってやるから録音しておけ、おれの発言を」
『みずから強迫の証拠を残させようとしてと気づけ、愚か者めが。それに、かわしてやんよ、あんたの粗末な復讐など、するするとな』と、画面の中の女のシルエットがうごめき、反応する。『というか、口ごたえなの? おおん? 戦争する気か、わたしと』
「それはそうと」
『なによ』
「さむいの」
季節は冬だった。雪こそふっていないが、空き地の地面の生えた草花は、シャーベットのように、まろやかに凍りついている。
『だまれ、てめぇさんが、安い服なんぞ着とるのがいかんだろうが。セールのフエルト生地みたいなぺらイチみたいな服を着とるから、さむいめにあうんだ』
「いいか、命にかかわる装備っていうってのはな、ぜったいにケチってはいけない。それが現場からのリアルな声だ」
『いい、あんたが凍死して、くたばる瞬間の映像をライヴ配信なんぞするなよ』と、注意する。『あんたのチャンネルが、おしゃかになるだけじゃねーんだぞ、わたしまで被害をこうむるんだぞ、死の生配信とかしたら、同時に、わたしの社会的立場のあれこれも死ぬんだぞ。わたしには、あんたのために犠牲にできる自己犠牲パーツはひとつもない、在庫ゼロだ』
白いシルエットはぬるぬる動く。そのぬるぬるした動きで、苛立っているのがわかった。
そして、耳につけた赤いりんごがゆれる。
『というか、三世』シルエットは青年がそう呼んだ。『配信三世』
「なんだ、アップル」青年がそう呼び返し、そして、指摘する。「三世って呼ぶな」
『だって、あんたは三世じゃんか』白いシルエット、アップルがかわいた口調で言う。さらに、画面の向こうで何かスナック菓子を、がしがし食べるような音を、マイクが拾っていた。『まあ、今夜こそ、越えるといいねえー、一世と、二世のー、さい、せい、かい、すう』
「俺の名は青枝だ、アオシ。三世ではない」
『じゃ、青枝三世』
「教えてやろう。うちの、じいさんと、おやじは―――」青年、青枝はそういって続けた。「あれらは、どちらも人間といより、動物に近い」
『そんなの教えてくれでもいいわ。そういう情報は即、脳からドロップテーブルさ。というか、そういう意味じゃ、あんたもそうよ、同じフレームの仲間だ』
「じいさんのマックス動画再生回数は百万回少々」青枝がかまわずしゃべった。おやじはマックス百五十万回少々」
と、戒めの呪文のようにいった。
『あー、そういえば、そんな感じだったか、ぼんやりとその数字は聞いた記憶があるわ。でも、その動画ってさ」
「じいさんの方は車が横転した動画だ、車載カメラに映ったな。おやじの方は熊から逃げる動画で達成した再生回数だ」青枝はそういって、遠くを見る。「おやじの方も、車載カメラに映った映像だった」
『そうそう、どっちも実力で獲得した回数じゃない。運良くいい動画が撮れて。いや、不運で撮れた動画だけど』
「俺は、このふたりの再生回数を越えなければならないんだ」
『それさ、いったい何千回その話をわたしに聞かせる。あのさ、人気ないからね、その話題。わたしに、ぜんぜん、わたしに人気でてないから』アップルはくたびれたような口調で続ける。『なんなの、あんたのその謎の使命感』
じつに興味なさそうに言う。
「ただ、越えたいだけだ」
と、青枝はいった。
その後、ふたたび、アップル側からスナックを食べるような、クリスピーな音が聞こえた。
『しかし、配信チャンネルの世襲、ってさ。ちょいちょい聞くけど、それこそ発狂するぐらい人気チャンネルの世襲ならまだわかるけど。でも、あんたとこの、そのキセキのびっくりどっきり動画以外、ほぼ再生されてない、不人気チャンネルじゃんか』
「わかってくれとは言わない」
『わかってやるとも言わない』アップルは即答した。『他者の理解は贅沢品だとおもえ』
「おもしろくなって来やがったぜ」
『ねえ、いまの会話のどこに、その要素があった? あんたは、脳がイタんでるのか』
「しかし、先週の動画の再生回数もまたイマイチだった」
『なにいってんのさ、二百回は再生されてたじゃんか。依頼受けてやった、あの迷い猫探し動画』
「こんぽんがダメだったそ。迷い猫探し開始、と同時に、家の近くの植え込みにめりこんでいる迷い猫発見とか、運がいい不運な動画だ」
『ああ、そういえば、この前の天狗探しの依頼もアレだったしね』
「あれか。うちの裏山に天狗が出現するので調べてくれ、といわれ、いざ、その山にいってみると、情報提供者自身が、天狗みたいな赤ら顔をしていた」
『しかも、情報提供者自身は、顔だし不可でフィルターかけたしね。だいたい、天狗探しってなによ。近代人としては、シビれる依頼だけど』
「まあ、そう冷静になるなよ。正気は俺たちの生き様の妨げになる」
『悲しい思想過ぎるだろ』
「そっちはどうだったんだ、昨日の夜、ライブ配信したんだろ。対話型の」
『ああー、だーれもこん。無観客時代さ。それでも、なんとか、ひとりで三時間しゃべってみて、さながら砂漠で、野菜育ててる感じになった』
「奇特な体験だな」
『いいのさ。どうせ配信してないところでも、ずっと独り言いってるうような人生だしね。あ、動画のフタ絵とるからさ、そっちの動画とって送ってよ、アレの写真』
「アレのか」
『そう、それの』
「まかせろ」
そういって、青年はポケットから別の端末を取り出す。一方で、もともと持っていた端末は、ポケットにしまった。すると、『おいおい、わたしの方をポケットに収納すんな』と、苦言が発せられた。『真っ暗で何も見えない』
「がまんしろ、がまんを覚えるんだ、がまんを」青枝は返す。「がまんがあれば、なんでも乗り切れる。がまんは人生の万能薬だ」
『だまれ、万能愚か者』
暗いポケットの中で、端末の画面は輝き、シルエットがぬるぬると、動く。
その間に、青枝は取り出した別の端末のカメラを起動させた。
青枝が立っているのは、住宅地だった。どれも年季の入った家ばかりで、歳月を経たニュータウンという様子がある。さほど高い建物もない。
町には、夕陽の色に染めって、オレンジ色の海底に沈んだようになっていた。
青枝はその場所に立ち、端末を持ち上げる。
カメラを向けた。
端末のレンズの先には、翳った高層の塔が建っていた。だが、その塔の先端は、まるで、巨大な獣に齧られた後のように、ぎざぎざの影になっている。青枝はカメラを向け続ける、末機能のオートフォーカスへゆだねる。またたく間に、ピンとは合う。
三十階建てで、住宅地のあるには、あまりに、不釣り合いな高さだった。
端末任せのピンとで、青枝は撮影開始ボタンを押す。動画を撮影する。端末の画面には、夕陽を背にして建つ、全身、薄く黒く翳った塔の姿が映されていた。
それは建設中止になったまま長い年月を経たビルだった。塔のように長く、この住宅地に、まったく馴染めていない存在感を放っている。
青枝は写真を撮り終えると、青枝は端末を操作して、画像をアップルへ送信した。すると、ポケットの中の端末から『うは』と、アップルの声がした。『なんかもう頂上に囚われの姫とかいそう』
ひどくかわいた言い方だった。
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セカイとひきかえ サカモト @gen-kaku
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