39.かわいい希威の写真を入手した話

「まぶし……」


 カーテンの隙間から差し込む日差しで、兎舞は昼間近くにようやく目を覚ました。自分がどこに居るのか一瞬分からなくなる。辺りを見渡して視界に映ったインテリアが、自分の部屋だと教えてくれた。ベッドの上に仰向けに寝転がり、覚醒するまでの数分、ボーッと天井を見つめる。窓から太陽を浴びようと、寝惚け眼で窓辺に近付き、カーテンを開けて外を見た。何となく視線を下ろす。

 刹那、大柄な男に首根っこを掴まれて、足をぶらぶらさせている兄という、なんとも可愛い光景が視界に飛び込んできた。恐らく知り合いなのだろう。捕まった希威はされるがままだ。ときめく胸の心拍数を早めつつ、携帯を取り出して希威に向ける。震える手で恐る恐るシャッターを押した刹那、大人しく捕まっていた希威と、窓越しに視線がかち合った。


「……かわいいです」


 兎舞はポソっと呟く。カシャっという音が部屋に響いたことで我に返り、慌てて屈む。そーっと目だけ窓から覗かせると、解放された希威が大股で近付いてきていた。不味い、バレたら確実に写真を消される。あんなにかわいいレアな兄さんのデータを、この世から消されてたまるか。

 兎舞は携帯をギュッと握り締めて立ち上がり、聞こえてくる階段を上る足音に慌てながら隠れる場所を探す。しかし、細身とはいえ、大人がすぐに隠れられる場所を、簡単に見つけられるはずもない。仕方なく布団に潜り込んだ。寝ていたからレアな兄さんなんて見てないよ作戦である。


 さっきと別の意味で鼓動が早鐘を打つ。ガチャリと部屋のドアが開いた。部屋を歩き回る足音がやけに大きく耳に届く。ガバッと容赦なく掛け布団を捲られた。緊張で少し身体を強張らせながら、眩しさで目を覚めたみたいに演技をする。

 眉を寄せて閉じていた瞼をゆっくり上げると、視界に含羞の色を滲ませた頰を色づかせた希威が居た。珍しく本気で照れている。可愛い。兎舞の胸を愛おしさが撃ち抜く。今すぐ写真を撮りたい衝動に駆られつつ、寝惚け眼を意識した瞳で首を傾げた。「兄さん、何? どうしたの?」と、仰向けで見上げた視線で問い掛ける。


「おわっ!?」


 瞬間、希威に両手で腰を思いっきり掴まれた。突然すぎる行動にビックリして、携帯を持つ手から力が抜けてしまう。その拍子にレアな宝物を保存した宝箱を奪われた。かと思いきや、それをポケットに入れる希威。紅葉を散りばめた顔で兎舞を見下ろし、あっという間に両手首をタオルで縛る。何を言われるのか、何をされるのかわからず、兎舞の肩がビクッと跳ねた。

 どんな目に遭っても写真は守る。絶対に携帯のパスワードは教えないし、写真も消さない。そう決意しつつ緊迫感に包まれた顔で見つめ返すと、何故か頭にウサギの耳を装着される。あまりにも予想外すぎて、兎舞はキョトンとして目を瞬いた。「えっ、何これ? どういうことです?」と、照れているのか全く喋らない希威に聞く。


 希威が答える代わりに、兎舞のジャージのチャックを下ろした。本当に行動の意味が理解できない。何をしたいのか意図を掴めず、兎舞は目を白黒させて戸惑う。動揺で揺れる瞳を希威に向けると、ジャージを二の腕まで脱がされた。

 手を縛られていて脱げないといえ、中途半端な脱がせ方だ。希威がシャツの裾を胸の下まで捲り上げる。無防備に晒された腹を撫でられ、兎舞の身体が跳ねた。恥ずかしい。押し寄せる混乱と不安から解放されたい一心で、兎舞は潤んだ瞳を希威に送って弱々しく名前を呼んだ。


「に、兄さん」


「何だ? 携帯のパスワードを教えてくれる気になったか?」


「そ、れは……」


 ようやく声を聴かせてくれた希威が、兎舞の思っていた通りの要望を口にした。そんなつもりなど微塵もない兎舞は視線を逸らす。やはり、携帯のパスワードを知る為、こんな意味不明なことをしているらしい。情報を与えれば、希威の可愛い写真は、百パーセントの確率で消される。何としてでも吐くわけにはいかない。

 ウサギの耳をつけられ、手をタオルで縛られ、ジャージを中途半端に脱がされ、捲られたシャツからお腹を覗かせた現状。もしかすると、訳が分からない行動をされ続けることに、ギブアップするのを待っているのだろうか。確かに、理解できないことばかりされていると、ジワジワと精神が蝕まれているのを感じる。

 でも、負けるわけにはいかない。普段、かっこいいところばっかりで、可愛いところなんて見せてくれないのだ。あんな貴重な写真、もう二度と撮れないだろう。希威の強い目力で屈服しそうで、懸命に目線を逸らし続ける。縛られた腕を片手で頭上に挙げられても、半袖を捲ってノースリーブみたいにされても無視した。流石に袖の中から突っ込まれた手に脇を撫でられた時は、ビックリして跳ねたが。


 そもそも、パスワードを教えたくない理由は、写真を消されたくないだけじゃない。希威への愛を溢れさせた時の自分が考えた為、とても照れ臭いパスワードなのだ。希威本人に自分の口から言うなんて、顔から火が出るほど恥ずかしい。

 さっさと変更しておけば良かった。少しだけ頰に桜を散りばめて、兎舞は過去の自分を恨む。すると、カシャっというシャッター音が聞こえ、思考を無理やり現実に戻された。思わずそちらに視線を向けると、パシャパシャと携帯で連写される。フラッシュが眩しくて再び顔を背けた。何の前触れもなく何度も撮られている。


 本当に意味が分からない。先程の仕返しだろうか? 理解不能すぎて希威に屈してしまいそうだ。兎舞は何度も炊かれるフラッシュの光を浴びながら、ぐるぐると思考を回転させて戸惑う。希威が真顔なうえ無言なのが、尚更、恐怖と不安を駆り立てる。

 ふと自分の格好を思い出した。ウサギの耳をつけた成人済みの大人が、手を頭上で拘束された格好で、乱された服から脇とお腹を晒している。意識してしまうと、今までなかった恥じらいが込み上げてきた。外気に触れる素肌を隠したくて、カァーっと顔を赤らめながらモゾモゾと身を捩る。


「くねくねしてどうした、兎舞?」


「兄さん……これ、恥ずかしいです」


「パスワードを教えてくれたらやめてやるし、写真も目の前で消すけど?」


「うっ」


 燃えるような面映さに包まれながら眉尻を下げると、希威が初めて表情を変えた。悪戯気味に笑みを浮かべ、揶揄を孕んだ双眸を眇めて、取り上げた兎舞の携帯を見せる。兎舞はあからさまに周章狼狽し、「あー、うー」と言葉にならない声を吐いた。そして、観念して細く弱々しい声で白状する。


「……た、誕生日」


「えっ?」


「兄さんの誕生日です」


「へっ?」


 今度は聞き漏らされないように、紅潮した顔で真っ直ぐ見つめながら、はっきりとした口調で答えた。希威の鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、全身を支配する含羞が更に濃くなる。

 今すぐ布団の中に潜って隠れたいのに、手首を拘束されていて動けずもどかしい。逃げ場を失った焦りと、あまりにも強すぎる羞恥により、正常な思考を失い、兎舞は夕焼けを刷ったみたいな赤面と涙目で叫喚してしまう。


「に、兄さんのことが好きすぎるんだから仕方ねぇだろ! 携帯を開くたびに兄さんを感じたいんだよ!」


「分かった、分かったから落ち着け。お前、混乱しすぎてとんでもないこと口走ってるから」


「う、えっ?」


 満面に鬼灯の花を咲き渡らせた希威の言葉で、パニックに陥っていた兎舞は目をパチパチと瞬いた。何を吐露したか記憶を辿る。その間に、希威が乱れた服を整え、拘束を解いてくれた。本音を暴露したことに気付いた兎舞は、ボンっと顔を真っ赤にする。タオルから解放され自由になった手で、ガバッと掛け布団を被ってて丸くなった。


「兄さん、とまの記憶が消えるまで殴って……」


「俺が兎舞にそんなのできるわけないだろ」


 消え入りそうな声で、泣きそうになりながら、希威に残酷なお願いをする兎舞。希威が当たり前のように即答で否定してくれ、こんな時まで擽ったいような嬉しさを感じてしまう。けど、穴があったら入りたいぐらいの周囲に蝕まれ、身体が暑い日に湯に浸かった後みたいに熱っている。希威が落ち着くまで優しく背中を撫で続けてくれていた。

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