37.ジャージ姿を初めて披露した話
赤いジャージで上下を揃えてチャックを上まで閉めた兎舞が、ポケットに萌え袖気味の両手を突っ込み普段通りに入室した。眠たそうな顔を口元までジャージに埋めた姿に、胸を撃ち抜かれた希威は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で唖然とする。白雪と水綺も希威と似た感じの表情で呆然としながら、口をポカンと開けて兎舞に釘付けになっていた。
「えっ、何です?」
「いや、初めて見たから……」
「そうだっけ?」
開いた口が塞がらない三人からの視線を受け、怪訝そうに引き気味に顔を向けて困惑する兎舞が、希威の唖然としたまま呟いた言葉に小首を傾げる。兎舞は基本的に人前で巫女装束に身を包んでいた。兄である希威にすら、洋服姿を見せることは滅多にない。
故に、今日みたいな派手な色のジャージなうえ、一番端まで閉めているのは初めてだ。しかも、指の付け根まで袖の中ときた。首元と手の甲が隠れている影響で、全体的にダボっとした印象を与えている。ただ、ズボンは兎舞の足の細さを如実に表していた。即ち、ジャージ自体のサイズは合っているのだろう。
「なんか貴女、いつもより可愛いわね?」
「何言ってんのさ」
「兎舞ちゃん、こういうジャージも似合うんやね」
「部屋着だけどな」
「今日は何で着てきたの?」
顎に手を当てて眩しそうに目を細める水綺と、駆け寄って感心しながらジャージに触れる白雪。二人に適当に返事をしつつリュックを下ろし、兎舞が中からノートパソコンや小物を取り出す。
と、今までスムーズに答えていたのに、希威の素朴な疑問を聞いた途端、口と手をピタリと止めて口篭った。気まずそうに視線を数回泳がせた後、ポツリとジャージを着た理由を白状する。
「……寝坊したから巫女服なんて着てる時間がなかったんです」
「また寝坊したのか。もう、俺達がフライパンとお玉を持って、兎舞の部屋まで起こしに行った方が、早く撮影を始められる気がする」
「近所迷惑だろ、馬鹿。やめろです」
頭上に挙げた両手で動きを真似し、悪戯気味に笑う希威の肩を軽く叩いて、大切な眠りを妨げられるのを嫌う兎舞。強引に起こされそうになり顔を顰めていつつも、遅刻に関しては申し訳なく思っているらしい。根は真面目な部分を発揮して、自罰的な色を宿した瞳を伏目がちに彷徨わせている。
「まぁ、今日の寝坊はお咎めなしかな。いいものも見れたし」
「上下ジャージを着たとまの何がいいのさ?」
特に遅刻を気にしていないうえ、可愛らしい姿を拝めた希威は、慈愛に満ちた笑みを浮かべて兎舞の頭を撫でた。はにかむような複雑そうな表現で、不貞腐れたように兎舞が頭を垂れる。普通に部屋着を着て来ただけなのに、やたら褒められて照れ臭そうだ。
「チャックを一番上まで閉じてるところ」
「ちょっと大きめなのか萌え袖なところ」
「なんかめちゃくちゃかわいくて萌える」
「おい、最後の一人だけ理由がおかしいぞ。いや、全員おかしいんだけど」
三人は曇りのない眼差しを向けて、順に強くはっきりした口調で答える。上から水綺、白雪、希威だ。頰に鮮烈な紅を走らせた兎舞が、恥じらいを誤魔化すように呆れた顔をする。何に対して変だと言われているのか分からず、希威は水綺と白雪と顔を見合わせた。兎舞が毛を逆立てて威嚇する猫みたく、含羞を帯びた双眸で睨め付けてくる。
「どこが? みたいな顔すんなです! とま、お前らと同じ成人済みなんだぞ? かわいいってなんだ、かわいいって」
「だって、かわいいから」
「ねー」
「可愛い人に可愛いって言うのは当然だろ?」
あっけらかんと首を傾ける希威に白雪が肯き、水綺まで不思議そうにキョトンとした。全員、嘘を一切感じさせない透き通った瞳故、兎舞の方が困惑し始める。
「ねぇ、真顔で言うのやめて。とまがおかしいみたいじゃん」
「兎舞は可愛い。これは世界の摂理だから」
「多忙で頭狂ったです?」
希威が満面に真剣な色を閃かせて、濁りのない声で本音を暴露したら、兎舞から阿保を見る目を向けられた。失礼な視線を送ってくる兎舞に、わざとらしく深い溜息を吐く。そして、花が咲き綻ぶようにふんわりした微笑を湛え、希威は手の甲まで隠れた兎舞の細い指に自分の指を絡めた。
「狂ってないぞ。この指先しか出てない萌え袖も、ジャージで顔の下半分が隠れてるのも、全部かわいい」
「ふ、ふふふっ。なんか、めちゃくちゃ褒められた……」
「あれ、ここは照れねぇんだ!?」
ポカンとして何度か瞬いた後、兎舞が小さく肩を振るわせて吹き出す。人懐っこさを感じさせる可愛らしい笑顔に胸を打たれつつも、赤面を拝めると思っていた希威は肩透かしを食わされた。思わず素っ頓狂な泡を食った声で目を点にすると、小さな笑声を溢し続けていた兎舞が目尻の涙を指で拭う。
「兄さんが真面目な顔で褒めてくるから笑えてくるんだよ」
「真面目だと笑われるっておかしくね?」
ツボに入ったらしく笑い続ける兎舞にツッコミを入れる希威。女の子を口説き落とす勢いでわ真剣に褒めたというのに笑われて、物凄く納得いかない。と、抜け駆けした希威の両肩が、白雪と水綺にガシッと掴まれる。
「希威くんだけ狡い! うちも感想伝えたい!」
「私も褒めたいわ!」
「もういい、分かったから! これ以上、とまを褒めんなです!」
ぷくーっと両頬を膨らませた白雪が不満を喚き、水綺もニヤニヤしながら称賛を浴びせようと企む。希威の肩越しに叫喚する二人から一歩退き、兎舞が夕焼けを印刷したみたいに鮮やかな赤面で、手の甲を口元に押し当てて視線を左右に彷徨わせた。どう見ても褒められたことで照れている。
先程まで笑っていた影響で、瞳に水気が含まれていた。それにより、今にも泣き出しそうなほど、本気で恥ずかしがっているように見える。否、実際、羞恥を隠せないほど、強い恥じらいはあるのだろう。希威はにひひと口の端をニンマリと吊り上げ、兎舞の肩に腕を乗せて茶化した。
「何だよ、笑いつつも照れてたのか」
「照れてねぇし!」
満面朱に染めて強がる兎舞が、バシッと希威の腕を振り払って、ソファーに逃げる。そして、誰が見ても照れていると一目瞭然な顔を、両手で端を持ったクッションで隠した。両足を折り畳んで縮こまっており、ギュッとクッションを握る手が萌え袖で、大変愛らしい。これ以上、揶揄うと不機嫌にしてしまう為、羞恥心でプルプル震えている兎舞の撮影会に移行した。勿論、消音だ。
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