26.匿名の要望が悉く叶う話

「今のところ通った要望は、ジャスミン茶の常備と寝やすいクッションと手触りがいいブランケットだな」


「あと、いつも編集してる兎舞を褒める——ですね」


「いっそ編集も当番制とかにする?」


 メモ帳にまとめた内容を読み上げた希威の言葉に、水綺が開かれたクジを持ち見せつけながら追加する。それに便乗して編集の方法を思案し始める白雪。誰も通った要望の偏りに違和感を抱いていない。少しでも怒ったりツッコんでくれれば、冗談で書いた兎舞だって笑って流せるというのに。

 今のところ、不満箱に入れた意見が、全て受け入れられている。とても居心地が悪い。クッションを抱き締めながら口を噤んでいた兎舞は、明らかに一人の願望を集中的に叶えている三人に、早く居た堪れなさから解放されたくて問い掛けた。


「……——ねぇ、おかしくない?」


「何が?」


「何でとまの要望だけ全部叶ってんです?」


 わざとらしく不思議そうな顔をする希威に、軽く蹴りをお見舞いして机上の紙を指差す。開かれた紙に記されている字は、全て大人っぽく整った綺麗な字。どこからどう見ても同一人物のものである。だというのに、希威が大袈裟なほど瞠目して、採用されたメモの切れ端を掴んだ。


「これ全部兎舞の要望だったのか」


「よかったわね、兎舞」


「いやぁ、気付かへんかったな」


「嘘吐け! 書いてる内容と字の特徴で大体分かるだろ!」


 驚嘆する希威に倣って恍ける水綺と白雪に、兎舞は近くにある紙を掴んで見せつける。阿呆っぽい演技への苛立ちと、ジワジワと込み上げてくる羞恥で顔が赤い。紙に集中する三人の視線が気恥ずかしくて、腕を前に突き出したまま赤面を伏せる。それを見ていたらしい三人が、嘘が本音か分からない声色で茶化してきた。


「まぁ、兎舞ちゃんは字が綺麗やもんな」


「兎舞が喜んでくれるからどうしても叶えたくなっちゃうのよ」


「そうそう、大袈裟なぐらい喜んでくれるからな」


「〜〜〜〜ッ、ッッ」


 上から白雪、水綺、希威だ。怒涛の称賛と本音に言葉を失うほどの羞恥心が湧き上がる。恥ずかしさのあまり顔を手で隠したまま、横に倒れて隣に座る希威の後ろに潜り込んだ。顔だけ後ろを向いたらしい希威が、微笑ましそうな驚いたような声を落とす。何故か彼に優しく頭を撫でられている。


「ちょっと兎舞、どこに入り込んでんのさ。猫かよ」


「……猫じゃねぇです」


希威の大きな背中に顔を埋め、くぐもった声で言い返す兎舞。文句を言いながらも、希威に退かされないのを良いことに、もぞもぞと動いて楽な体勢に変えた。鼻腔に直接届く彼の匂いが安心感を生み、恥じらいの色を消してくれる。落ち着いてきた代わりに、段々と眠たくなってきた。

 「今だけは猫でいいかもしんないです」と思いながら、頭を撫でる希威の手に頭を擦り付けた後、目を閉じる。そんな微睡の中を泳ぐ兎舞の耳に、ガサガサと紙を触っている音が届いた。ローテーブルの上に散らばったメモの切れ端を、一旦、別の場所に片付けているのかもしれない。かと思いきや、兎舞の予想は大きく外れていた。


「うーん、他には……」


「あっ。これ、兎舞のじゃない?」


「何て書いてる?」


 箱を逆さまにして中身を全て出した挙句、兎舞が書いたメンバーへの不満を探している。何かを探す水綺の声の後、嬉しそうな報告をした希威が、白雪に興味津々な声色で内容を聞かれていた。眠りの世界に落ちそうだった意識を浮上させ、瞼をゆっくりと上げた兎舞は希威の後ろから盗み見る。


「『経費でお菓子を箱買いする許可が欲しい』だって」


「ああ。そういえば、前に好物を箱買いしたいって言ってましたね」


「まぁ、甘いものがあると作業が進むし、経費で落としても問題ないんちゃう?」


「そうだな。兎舞が起きたら言ってやろ」


 希威が読み上げた内容をあっさり許諾する水綺と白雪。紙を机に置いた希威まで即決で、兎舞の体温が再び上昇する。好奇心で覗き見ずにさっさと寝ればよかったと後悔した。ギュッと目を閉じて、早く意識を飛ばそうと試みる兎舞の耳に、白雪の声が聞こえる。


「うちも何か箱買いしよっかなぁ」


「残念ながら、経費で落ちるのは、兎舞のお菓子だけでーす」


「ええーーッ!」


「贔屓や、贔屓!」


「だってこれを書いたのは兎舞じゃん」


 馬鹿にしたように母親みたいなことを言う希威に、水綺と白雪が不平を鳴らした。二人に詰め寄られているであろう希威の後ろで、兎舞は特別扱いに少しだけ優越感を感じる。照れ臭さを滲ませた顔を柔らかく綻ばせた。ソファーと希威の間に挟まって丸くなっている為、恐らく見られることはないだろう。


「このメモも兎舞の字だな」


「見てて気持ちいいぐらい達筆よな」


「お願い事はかわいいですね」


 予想通り三人は不満箱の中身を物色するのに夢中だった。それにより、希威が不満箱から兎舞の不満を見つけ出してしまう。白雪から綺麗な字だと称賛を貰えて嬉しいものの、紙の内容を見たらしき水綺の言葉で、喜色など雲散霧消した。

 兎舞は何を書いたか思い出そうと、完全に覚醒した頭を回転させる。撮影を盛り上げようと、本音とネタを大量に投入した為、全部の内容なんて思い出せるわけがなかった。調子に乗った過去の自分を恨む。もう発表前に寝るしかない。


「『もっと皆でゲームがしたい』」


「かわええな」


「これはかわいい」


 微笑ましそうな希威に読み上げられたのは、想像以上に恥ずかしい内容だった。白雪と水綺の声が曇りなく、本気だと分かって余計に恥じらいを煽られる。ネタ的な内容もたくさん入れたはずなのに、どうしてこうもピンポイントで本音を当てられるのか。兎舞は熱くなった身体を更に縮こませた。


「結構、してるつもりなんですけどね」


「まぁ、全員の予定が合わんと難しいからなぁ」


「兎舞だってニートとか寝てばっかりとか自虐言ってるけど、ぶっちゃけ人気者だから俺らの中で一番忙しいしな」


 希威の背中にグリグリと額を擦り付け、肺腑に吸い込めるだけ匂いを吸い込み、冷静を取り戻すついでに止めろと訴える。頭を悩ませる水綺と白雪と共に考えながら、止める気配を見せない希威に何故か頭を撫でられた。そんなので機嫌が治ると思ったか。そう強がってみるも、頭を撫でられるのが好きな為、気持ち良さに目を細めてしまう。


「お泊まり会でもします?」


「いいじゃん、それ。一日中、ゲームするぞ」


「飽きひんように色々なゲームを集めといてあげなあかんな」


 兎舞が無意識に手のひらに頭を擦り付けながら、気持ちよさと格闘している最中。意気揚々とお泊まり会の予定を入れる三人。乗り気になった希威と白雪は、弾んだ声で楽しそうに何のゲームをするか話している。その間もガサガサと紙を漁る音が聞こえた。まだ兎舞の不満を探し出すつもりだろうか。


「あとは?」


「えーっと……」


 どうやら紙を触っていたのは水綺らしい。ゲームの話題から不満箱に変えた希威の問いに、水綺が困ったように本命を探している。紙を一枚一枚開いて確認する作業を中断する気が全くない。最早、何の撮影か分からない現状に、絶対に没にしようと心に決めてから、兎舞は耐えきれなくなり身体を起こす。そして、真っ赤な顔でツッコんだ。


「〜〜ッ、とまが入れた紙を探すなです!」

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