悪徳貴族はノブレス・オブリージュを遂行したい

フリーダム

第1話:自己鍛錬✓

 

「貴方は死にました。そして、次の世界は絶望の世界です。それでも貴方は次の生を望みますか? 苦しく、悲しく、愚かしい。そんな世界」


【第五特異点・輪廻転生の狭間】

【システムとの対話】


 無限の白と黒の隙間。

 そこに、輪廻転生を司る「慈愛の神」の化身が現れる。それは巨大な、慈母のような光の女性の姿だった。しかしその瞳は、宇宙の全歴史を映し、感情を欠いた絶対の観測者でもある。光の女神は、静かに語り始めた。 


「貴方……いえ、あなたはまだ“名前”を持たない魂。これから輪廻転生が世界法則となっている第五特異点の世界に、生まれ変わる前に、この宇宙の真実を知っておいてほしい」


 彼女の背後に、七つの特異点が幻影となって浮かび上がる。


「この宇宙は、永遠に七つの大法則を繰り返す。

 一つの時代が終われば、次の瞬間、歴史は完全に置き換わる。同じ世界は二度と来ない」


 第1特異点「属性主義」

 白と黒が永遠に殺し合い、勝っても負けても即座に入れ替わる無限戦争。


 第2特異点「罪罰包容」

 全ての罪が称賛される蠱毒の楽園。文明は爆発的に発展し、同時に崩壊する。


 第3特異点「全者同化」

 個性を根絶し、全生命が同一の意識を共有する純白の牢獄。


 第4特異点「永劫回帰」

 死ねば那由他回同じ人生を繰り返す、時間無限ループの絶望。完全なる停滞。


 そして、彼女の声がわずかに震える。


「そして今は……第五特異点『輪廻転生』。私が創った、慈愛と成長と救済の時代。死後に審判を受け、より善い来世へ。悪も許容し、成長を促すはずだった」


 彼女の瞳に、深い悲しみが宿る。


「しかし……このシステムは、完全ではない。善と悪の共存を認める法則だからこそ、独善すら許す。それが世界法則に綻びが生まれてしまった。そして、遠からず第六特異点『自己狂愛』が発動する。全ての生命が狂気に囚われ、ただ一人が残るまで殺し合う終末。宇宙はたった一人のために滅びる」


 最後に、彼女は静かに告げる。


「第七特異点『自業自得』は……もう、ほぼ不可能になった。自らの行いに見合った次の世界へいける希望の時代は、届かないかもしれない」


 光の女神は、魂――これからラスティとなる存在――を真っ直ぐに見つめた。


「それでも、あなたはこの世界に生まれることを望む? あなたがどんな願いを抱こうと、この宇宙は救われないかもしれない。あなたの努力は、無意味に終わるかもしれない。それでも……」


 魂は、静かに答えた。

「了解した。それでも私は行こう。何故なら救えないって決まったわけじゃない」


 女神が、初めて表情を歪める。驚きと、そして、わずかな希望。


「貴方は、どう生きるの? この絶望的な宇宙で、何を為すの?」


 魂は、はっきりと告げた。


「僕は、ノブリス・オブリージュを果たす。誰も知らないところで、誰にも褒められなくても、世界を救い続ける。

 それが私の義務だ。

 それが私の、選んだ生き方だ」


その瞬間。

【警告:未定義の渇望を検出】

【内容:「誰も知らないところで世界を救い続ける存在になりたい」】

【この願いは、輪廻の法則に存在しない】

【受容しますか?/拒否しますか?】


光の女神は、静かに微笑んだ。 


「……受け入れましょう。あなたは、この宇宙を終わらせるかもしれない。同時に、救うかもしれない」


 彼女は魂に手を差し伸べる。


「行きなさい。原初の外来者よ。あなたの物語が、この宇宙をどう変えるのか、私でさえ、知ることはできない」


 光が爆発する。


【転生確定】

【渇望の穴、開通】

【第五特異点に、決定的な異物が誕生】


 これが、ラスティが「知っている」瞬間。

 彼は最初から、全てを理解した上で、この絶望の宇宙に飛び込んだ。だからこそ、彼は微笑みながら戦い続ける。


「文句を言っても仕方ない。最善を尽くすとしよう」



 ヴェスパー家の黄昏、そして夜ミッドガル帝国の北東、深い常緑樹の海と静かな湖に囲まれたヴェスパー領。


 切り立った岩山を背にして建つヴェスパー家の本邸は、古い灰色の石と黒い屋根瓦で構成され、どこか荘厳で、どこか陰鬱な雰囲気を漂わせていた。


夕陽が湖面を血のように染め、屋敷の窓という窓に赤い光を映し込む頃――中庭は嵐の中心だった。


「ふっ!!」

「やあっ!!」


 鋭い金属音が連続して鳴り響く。

 八歳のメーテルリンク・ヴェスパー。

 黒髪を肩のあたりでぴたりと切り揃え、紅玉のような瞳をした小さな少女が、木剣を握りしめて嵐のように舞っていた。

 その軌跡は予測不能。

 右から左へ、跳躍し、回転し、地面を蹴って再び襲いかかる。まるで小さな竜が暴れているかのようだった。それを真正面から受け止めるのは、


 十二歳の長男、ラスティ・ヴェスパー。

 前世の記憶を宿した転生者でありながら、今は完全にこの世界の少年貴族として振る舞っている。


 黒髪を丁寧にオールバックに撫でつけ、薄い唇の端に小さな傷跡を残した、端正な顔立ち。

彼の木剣は無駄な動きが一切ない。

 ただ静かに、確実に、妹の嵐を封じ込めていく。


動と静。

嵐と岩。


 二人の剣戟は、見る者の心臓を掴んで離さない。高台のテラスからその光景を見下ろしていたのは、当主である父、ガルフレッド・ヴェスパーだった。

 三十代後半、かつては「雷鳴のガルフレッド」と恐れられた魔法戦士。しかし今は、額に深い皺を寄せ、苦い笑みを浮か べている。


「最近、俺の子供たちが怖くなってきたんだが……」


 隣に立つ妻、エレノアは静かに微笑んだまま答える。


「そう? 将来安泰そうで良いじゃない」


 その声は穏やかで、どこまでも優しい。だが、彼女の瞳の奥には、まるで全てを見透かしたような深い光があった。


 使用人たちも、柱の陰や廊下の奥から息を殺して見守っている。

 誰もが知っている。

 この兄妹の手合わせは、もはや「子供の遊び」ではないことを。火花が散るたびに、夕陽が剣先に反射して赤く輝く。

 メーテルリンクの呼吸は荒くない。むしろ楽しそうにさえ見える。ラスティの表情は変わらない。ただ、静かに、確実に、妹の成長を測りながら応じている。


「また腕を上げたな、メーテルリンク」

「はい。ありがとうございます。お兄様も強くなられました」

「ああ。日々の鍛錬の重要性を改めて実感するよ」


言葉は丁寧で、簡潔。だが、その中に宿る敬意と信頼は、誰の目にも明らかだった。


「準備運動は終わりでよろしいでしょうか?」


 メーテルリンクの声が、少しだけ高くなる。

 瞳が期待に輝く。


「構わない。本気で来い、メーテルリンク」

「参ります!!」


 瞬間――空気が裂けた。二人の体から、蒼と紅の魔力が爆発的に溢れ出す。地面の落ち葉が逆巻き、湖面の遠くまで波紋が広がる。

 木剣に宿る光が、夕闇を切り裂く。

 メーテルリンクの剣は紅蓮の炎を纏い、ラスティの剣は静かな蒼い雷を帯びる。父の顔が青ざめた。

 妻は、ただ静かに微笑むだけだった。決着はつかず、星が瞬き始める頃まで続いた



 風呂で汗と泥を洗い流し、夕食のスープを味わいながら家族と他愛もない会話を交わした後――

ラスティは一人、書庫へと足を運んだ。重厚な扉を開けると、古い羊皮紙と魔力の残滓が混じった 匂いが鼻をくすぐる。

 天井まで届く書棚。数百年にわたってヴェスパー家が集めた知識の結晶。


 燭台の火がゆらゆらと揺れ、影が壁に踊る。ラスティは机に座り、古い書物を広げた。


『魔力の深層循環について』

『古の三勇者伝――人間、エルフ、獣人の記録』

『禁忌とされる現実改変術式の断片』

『ロイヤルダークソサエティ――影に潜む慈善の仮面』


 一ページごとに、彼の瞳が鋭さを増していく。

 前世の知識と、この世界の常識がぶつかり合い、新たな地図を描き出していく。『歩く地獄』という記述。


『特異点』という単語。

『大崩壊』の予兆。

『輪廻転生の綻び』。すべてが繋がり始めている。


 この世界は、表面の穏やかさとは裏腹に、深い闇を抱えている。そして自分は、その闇に足を踏み入れる運命にあることを――直感していた。


「失礼します」


 小さな声に顔を上げると、メーテルリンクが銀のトレイを抱えて立っていた。湯気の立つハーブティーと、手作りのクッキー。

 彼女は少し恥ずかしそうに微笑んでいる。


「どうした、メーテルリンク」

「相変わらず、勉強家ですね。お兄様は」


トレイを机に置きながら、小さくため息をつく。


「おお、ありがとう」

「どういたしまして……頑張るのは良いですが、根を詰め過ぎては駄目ですよ」

「そうだな、気をつけよう。体を壊してしまっては元も子もないからな」


 突然、メーテルリンクが椅子に近づき、ラスティの背中にぎゅっと抱きついた。


「お兄様〜、お兄様〜、私だけのお兄様」


 小さな体温が伝わってくる。

 ラスティは苦笑しながら、妹の頭を優しく撫でた。


「ねぇお兄様。お兄様は私にとって、自慢のお兄様ですよ。それだけは覚えててくださいね」

「ありがとう。私としても、メーテルリンクは自慢の妹だ」

「ふふ……それじゃあ、夜更かしは程々にしてちゃんと寝てくださいね。睡眠は大切ですから」

「勿論だとも」


 メーテルリンクが踵を返し、扉を閉める音が静かに響く。一人残された書庫で、ラスティは再び書物に目を落とした。燭台の火がゆらめき、彼の横顔を照らす。

 静かな決意が、そこにあった。この世界を救うのは、自分しかいない。


 誰にも知られることなく。

 誰にも褒められることなく。

 ただ、持つ者の義務として。ノブレス・オブリージュ。その言葉が、今夜も胸の奥で、静かに、熱く、燃え続けていた。


 外では、湖面に月が映り、屋敷は深い闇に沈んでいく。まだ誰にも知られぬ、長い戦いの、ほんの始まりに過ぎなかった。

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