第7話 嘘つきは
クリスの指示通り、ブリジットたちは階段下に降りてきた。
クリスは一緒にいた友人に何か耳打ちすると、友人はどこかへ走り、すぐに椅子を持って戻ってきた。
その頃には野次馬が増えていて、生徒たちがこちらの様子を窺っている。椅子を置いたクリスの友人が、「見せ物ではないから関係ない者は帰るように」と、追い払うと半数以上は去っていった。
そっと椅子の上に座らせてもらったエラリーは、クリスにお礼を言う。
クリスは優しく微笑んだあと、切り替えるように「さて」と口にすると、ブリジットたちへ顔を向けた。
「君はエラリー嬢に腕を引っ張られて、階段から落ちそうになった。そう言いたいんだね?」
クリスの言葉に「はい」とベセトゼ男爵令嬢が頷く。
「わたくしとっても怖くて、夢中で腕を振り払ったんです。そうしたら、エラリー様が階段から……」
そう訴えかけるベセトゼ男爵令嬢は自身を抱きすくめた。
「なるほど? だが、私にはそうは見えなかったのだが、他の者はどうだろう?」
その問いかけに、ブリジットとリベセル子爵令嬢はベセトゼ男爵令嬢の肩を持つ発言をした。
3人もの証言があれば事実はどうであれ、もはやそれが真実だ。エラリーが俯き掛けたとき、「お待ちください」と声がした。
野次馬を掻き分けて現れたのは、授業の合間の小休憩でAクラスからエラリーを訪ねてきた。ミダヤム侯爵令嬢だった。
「わたくしには、そちらのご令嬢がエラリー様の手を引っ張ったように見えましたわ」
その証言を支持するように、彼女に付いてきていた令嬢たちもエラリーを味方する声をあげる。よく見ると、それはミダヤム侯爵令嬢と一緒にエラリーを訪ねてきた令嬢たちばかりだ。
「っ、それは皆さんの見間違いではないかしら? 一番近くにいたわたくしたちが、見たのですから間違いありませんわ。それに、エラリー様は嘘がお得意なのですよ? 皆さま騙されてはいけませんわ」
ブリジットが言えば、クリスが口を開く。
「その件についてだが、話はなんとなく理解しているつもりだ。君たちはエラリー嬢が嘘を吐いていると言いたいんだね?」
クリスの問いかけに、子爵令嬢と男爵令嬢は怯んだ。だけど、ブリジットは顔つきを変えると「えぇ」と頷く。
「クリストファー殿下はご存じないと思いますが、エラリー様は日頃から、各教科の提出物を期日内に提出できていませんの。最近も歴史のレポートを“提出した”と、先生に嘘を吐いていらしたわ」
「何故、嘘だと分かるのかな?」
「それは勿論、エラリー様が常習的に提出物を失くしたと言って、提出日を守っていらっしゃらないからですわ」
「その事を何故君は知っている?」
「いつもたまたま先生方にお叱りを受けている姿を見かけるからですわ」
「いつもたまたま、か……」そう呟いたクリスが次にエラリーを見る。
「エラリー嬢、君はよく提出物を失くすのか?」
どう答えようか迷うが、王族である王子殿下に嘘を吐くわけにもいかず、「はい」と答える。その様子を見てブリジットたちは、自分たちの証言の有利を確信したらしい。
「きっと、エラリー様は期間内に仕上げられないから、失くしたと嘘を吐いて時間を稼いでいらっしゃるのです」
「エラリー嬢、ブリジット嬢が言ったことに間違いはないか?」
「……いいえ。少し違います」
まさかエラリーが言い返すとは思っていなかったらしく、ブリジットが狼狽える。
「課題にはいつも手をつけています。ですが、提出する直前でロッカーから失くなったり、提出したあとで提出出来ていないことを担当教師から教えられます」
「ですから! それが嘘だと言っていますのよ!」
ブリジットがムキになる。そんな彼女にクリスの友人が「落ち着け」と声をかけた。
「ところで以前、私の護衛が気になるものを見付けたんだ」
クリスは急にそう言うと、ズボンのポケットからボロボロの紙を取り出して広げた。
「っ、それは……」
姿はすっかり変わってしまっているが、エラリーにとって見覚えのあるものだった。
破かれていた紙をテープで張り付けて復元したらしいそれは、エラリーがクリスの力を借りて纏めた歴史のレポートだ。
「どうして、殿下がそれを……!」
口にしたブリジットがはっと口元を押さえる。
「おや? ブリジット嬢はこれが何か分かるのかい?」
顔色を悪くしたブリジットが、ふるふると首を横に振る。
「私はよく知っているよ。これはエラリー嬢が昼休みに図書室で、私の隣で取り組んでいた歴史のレポートだからね。どうしてこうなったのか、エラリー嬢と話をするために持ってきたのだが、こんなところで役に立つとは思わなかったよ。……まぁ、この件は教師の方々にお任せするとしよう」
そう言って、クリスはボロボロのレポート用紙を畳むと、またポケットに仕舞う。
「話がずいぶん逸れてしまったね。でも、今のでエラリー嬢が期限内に歴史のレポートを提出出来るように取り組んでいた事は分かったんじゃないかな?」
「お待ちください、殿下! 彼女がついている嘘はまだありますわ!」
ブリジットは喰い下がることなく言葉を発する。
「わたくしのハンカチを盗んだ件と、クリストファー殿下のことを知らなかったことです! この国の貴族であれば王族である殿下のお名前を知っていて当然のこと! にも拘らず、先ほどエラリー様は殿下が王子様だと存じ上げていませんでしたわ!!」
それまで成り行きを見守っていた一部の生徒がざわめく。だけど、クリスはにっこりと微笑むだけだ。
「ハンカチの件は調べる必要がありそうだね。後で、エレネルン伯爵邸とビドリー伯爵邸へ調査のための人を送らせよう。だけど、エラリー嬢が私を王子だと知らなかったのは、私が図書室で彼女と初めて会ったときに、身分を明かさずに“クリス”とだけ名乗ったからだよ。君も私と同じパーティーに出席するまでは、私の顔を知らなかっただろう? どちらかと言うと、身分を隠していた私が彼女に嘘を吐いていたのかもしれないね」
「なっ」と音を発して、だけどブリジットはそれ以上何も言えなかった。
「これでエラリー嬢が嘘つきだという疑惑を少しは晴らせたかな?」
完全にエラリーの疑惑が晴れたわけではない。だが少なくとも、ブリジットの証言を信じるには、いささか疑問が残る結果となった。
クリスがエラリーを見る。
「エラリー嬢、待たせてしまってすまない。すぐに医務室へ向かおう。その足を診てもらわないと」
クリスの視線がエラリーの左足に向けられる。
先ほどからずっと、エラリーはジンジンと響く痛みに耐えながら、自身の疑惑に関する話を聞いていた。
「こんなことに巻き込んでしまって、申し訳ありません……」
エラリーが謝罪を口にすると、クリスの手が優しくエラリーの頭を撫でた。
そして、やれやれと言った様子で野次馬場だった生徒が散り散りになり、場が解散していく。それでも、エラリーに有利な発言をしてくれたミダヤム侯爵令嬢たちは心配そうにエラリーを見ていた。
「お待ちください! 殿下は騙されているのです!!」
一度は口を閉ざしていたブリジットが、再びクリスに呼び掛ける。
「ブリジット嬢、それを決めるのは君じゃないよ。心配はいらない。きちんと調査した上で、確かめる。だけど……」
そこまで言うとクリスはスッと目を細めて、ブリジットを見た。
「私に証言した言葉が嘘だと分かれば、君は王族に嘘を吐いたことで不敬罪に問われる。私は争い事は好きじゃないけれど、あれだけ目撃者がいれば今の話を私の心の内だけに留めておくことは難しい。だから、覚悟をしておいてくれ」
「っ!!」
ブリジットから血の気が引いていく。足に力が入らなくなったのか、ブリジットはふにゃふにゃとその場にへたり込んだ。
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