無名のおっさん、特S級モンスター相手に無双する。結果、実力がバレて世界に見つかってしまう。

サイダーボウイ

第1章

1話

「ちょっと冬馬君。このプレゼン資料ぜんぜんダメ。一から作り直してくれない?」


「申し訳ございません。すぐに修正いたします」

 

 部長の声に真っ先に反応したのは――冬馬弦人(とうまげんと)、39歳。

 入社してから地道に勤め上げる平社員だ。


 地方の中堅大学を卒業後、上京してこの中小家電メーカー営業部に就職。

 

 これまで平凡な人生を歩んできた。

 特徴のない顔立ちにぼちぼちな年収、これといって自慢できるものはなにひとつない。


「具体的にどこを修正すればよろしいでしょうか?」


「う~ん。ぜんぶかなぁ。文字が多すぎるからさ、色をつけて見やすくね。グラフでもっと、こうわかりやすく比較してよ。とにかくさ。クライアントに発表する俺へ恥かかせないでくれってこと。それくらい言わなくてもわかるでしょ?」


「かしこまりました。今日中に仕上げてまた明日の朝一番に提出したいと思います」


「たのむね」


 弦人は一礼してから自分の席へと戻る。

 それを見て他部署の後輩たちが小声で話しはじめた。


「うわぁ・・・また一からだって。かわいそうに冬馬さん」


「入社してから長年あんな調子でいびられてるんでしょ? 口ばかりでなにもしないらしいから。あの部長」


「冬馬さん実力はすごいあるのに・・・。手柄はぜんぶ部長が持っていくんだもん」


「完全に飼い殺しだよなぁ。やっぱり上司ガチャって大事だわ。文句も言わずに毎回すごいよ。オレだったらムリだわ。耐えられん」


 そんなひそひそ話も弦人はまったく気にしない。

 言われたとおり、すぐさまパソコンに向かって修正をはじめる。


 そうして他のタスクと並行しながらプレゼン資料を作り直し、すべての仕事を終えて弦人がオフィスを出たのは23時を過ぎていた。




 *** 




 新宿から電車を乗り継ぐこと20分。


「今日は一段と冷えるな」


 最寄り駅に着くと、ダッフルコートの襟を立てて足早にコンビニの中へ入る。

 向かう先はいつもと同じようにキャットフードのコーナーだ。


 今、弦人は自宅のマンションで2匹の猫と暮らしていた。

 両方ともオスで名を銀助と虎松という。


 留守中の猫たちが暇にならないようにと、わざわざ広めのマンションに移り住んだりもした。

 愛猫の健康維持のために遊び道具や爪切り、ベッドなどのグッズにもこだわっており、万が一のために保険もかけている。


 仕事から帰って缶ビールを1本空け、猫たちと寛いでいる時間が弦人にとって一番幸せな瞬間だった。


 弦人の人生のモットーはそんな風に日々穏やかに暮らすこと。

 特に仕事で出世を望んでいるわけでもなく、現状に満足していて多くを望まない。


 そんなマインドではビジネスマンとして失格だ、と異を唱える者もいるだろう。

 だが、それでも弦人は自分の信念を曲げるつもりはなかった。

 

(少し遅くなってしまった。あいつらに申し訳ない)


 飲み水やドライフードはいつも余分に入れて出かけるからお腹をすかせる心配はないが、きっと退屈しているに違いないと弦人は思う。


 すぐに帰ろうとレジへ足を向けるも、ふとクリスマスのスイーツコーナーに目が留まった。


 そこで弦人は思い出す。


(そうか。明日は40歳の誕生日だったか)


 今日は2024年12月24日。

 あと10分もしないうちに日付が変わる。


 普段は甘いものなど滅多に食べない弦人だったが、誕生日だけは違う。

 たまたまクリスマスが誕生日なこともあり、この日だけは特別だった。


 自然とショートケーキに手がのびていた。

 

 独身である弦人とともに過ごす彼女はいない。

 クリスマスを一緒に祝う仲間すらいない。


 仲の良かった友人はとっくの昔に家庭を持っているし、今はほとんどが疎遠となっている。

 会社でもプライベートで遊ぶような仲の者はいなかった。

 

 このショートケーキは、弦人にとって自分への唯一のご褒美と言えた。




 ***




 今夜は猫たちと一緒にケーキを食べよう。

 そんなことを思いながら、コンビニ袋をぶら下げてマンションのエレベーターに乗る。


 8階に着いてしばらく廊下を進んだ先に弦人の自宅がある。


「ただいま」


 いつものように鍵を開けてドアを開けるのだったが。


 突然、眩い光が差し込んできて――。











(!)


 その時、弦人は自分が真っ白な空間にいることに気づく。


 その頭上から見知らぬ女が舞い降りてきた。


 あまりにも現実離れした光景に弦人は思わず目を疑う。

 まるで夢でも見ているかのような錯覚にとらわれた。


 ブロンド髪の爽やかなポニーテールにグラマーな美貌。

 女は煌めく純白の天衣を羽織っていた。


(誰だろう・・・?)


 きっと自分よりもひと回りは若い。

 そんなことを考えながら弦人が驚いていると、女は嬉しそうに声を上げた。


「おめでとう♪ たった今、あなたには異世界へ旅立つ権利が生まれたわ」


「はい?」


 突然のことになにがなんだかわからない弦人。

 女はひらひらと衣をなびかせながら、指を組んでこう口にする。

 

「わたしの名前はディアーナ。神界第10区域に住む女神よ」


「女神さま・・・ですか?」


 薄々想像していた弦人だったが、実際に女神と言われるとさすがに驚きが隠せない。


「今日はね。あなたに最高のプレゼントを持ってきたんだから」


 ディアーナは満面の笑みでそう口にする。

 その顔はどこか慈愛に満ちた表情をしていた。


「40歳まで童貞だったなんて・・・これまで惨めで辛かったでしょ? でももう大丈夫! これからは異世界で楽しく遊んで暮らせるんだから♪」


「なんで俺が童貞って知ってるんですか?」


「女神だからね~。それに恥ずかしがらなくてもいいわ。とても誇らしいことなのよ?」

 

 たしかに弦人は童貞だ。


 この歳にしてこれまで付き合った彼女はゼロ。

 まわりの友だちや同僚が結婚していく中、ずっと独身だった。


 女神は弦人の反応を気にすることなく、楽しそうに話を続ける。


「というのもね? 童貞のまま40歳を迎えると【大賢者】として異世界に転移することができるのよ~♪」


「あの・・・異世界って、まさかあの異世界のことですか?」


「ええ! あなたたちの国ではかなり流行ってるみたいね~。アニメやライトノベルだっけ? 実際にああいった世界は存在するの」


 またも弦人は驚きを隠せない。


(あれは創作だけの話だと思ってたのに)


「最初に転移を経験した者が体験談として世に公開したんでしょうね。それで年月が経って今の形として流行することになったとか・・・たぶんそんな感じね♪」


「なるほど」


(たしか、なんかの異世界作品の主人公が転生する際、〝40歳目前の自分は賢者になれたかもしれない〟とかなんとか言ってたっけ?)


 弦人もそこまで詳しいというわけではなかったが、有名どころのラノベは基本的に読んでいたりする。


(でもそうか。30歳童貞が魔法使いになれるなら、40歳童貞が大賢者になれても不思議じゃないよな)


 ただ、まさか異世界転移が自分の身に起こるとはまったく想像してなかったわけだが・・・と弦人は思った。


「実はさ。あなたのことは気になって以前から見ててね? わたしの転移候補者のリストの中で最上位に来てたのよ。わたしも上官にいいように使われてるから、社畜のあなたの気持ちは痛いほどわかるの・・・」


「見てたんですか」


「とにかく転移者の数をこなせだの、スピードが命だの、ノルマノルマってうるさいっての~! こっちだって転移させてあげる子はきちんと選んであげたいってそう思うわけ。あとミスが多いだの、そんなの女神失格だの・・・! がみがみ理詰めで責めてくるわで、ホント最低な上官に当たっちゃってるわけよぉ~」


「はぁ」


「あっ・・・ごめんなさいっ! あなたに愚痴を言っても仕方ないのにね、アハハ・・・」


 そこでディアーナは慌てたように乱れた衣を直す。

 そんな彼女の姿を見ながら、弦人は気になっていたことを口にしていた。


「でも、なんで自分なんでしょうか? こんなこと言うのは失礼ですけど、童貞のまま40歳を迎えた男なんて、世の中には何人もいると思うんですけど」


「それはね。この場所がわたしたち神族にとって降りやすい土地っていう理由があるから」


「降りやすい土地?」


「ここは天神町っていうでしょ? つまり、天と神と町を結ぶ場所なのよっ!」


 なんて安易な・・・と弦人は思うがグッと思い留まる。

 あまり深くつっこむのは野暮というものだ。


「この場所以外にも天神町と名の付く土地があると思うけど、そういう土地はとくに降りやすいのよね~」


 どうやらこの地は偶然にもそんな場所だったようだ。


 弦人としては愛猫たちのために広いマンションを探していたら、実家の地名とまったく同じ場所があったから、なにかしら運命のようなものを感じて、ここを借りたというだけだったのだが。


「とにかくおめでとう♪ これからあなたを大賢者ゲントとしてフィフネルへ送るわ」


 ディアーナいわく、その異世界では大賢者は魔法が使いたい放題なのだとか。


「きっとあなたの名はすぐ異世界中に轟くことになるでしょうね~。こんな惨めな現実とはグッバイできるなんて、なんて素敵なんでしょう♪ スローライフを満喫するもよし! 冒険者として名声を手にするもよし! なんだってできちゃうんだから~」


 女神はひとりで盛り上がっているようだ。

 それを見て弦人は温度差を感じずにはいられない。


 申し訳ないと思いつつもはっきりとこう続けた。


「せっかくなんですけど、ごめんなさい。正直、異世界とかあまり行きたくないです」


「・・・ハイっ!?」


「自分はただ毎日平穏に暮らしたいだけなんで。すみません」


「で、でもっ! 大賢者として魔法が使いたい放題なのよ!? あなたの才能に惚れちゃう女性なんかいっぱい現れると思うしっ・・・! 童貞なんかすぐ卒業できるわよ!?」


「いえ。そういうのは興味ないんで大丈夫です」


「えぇっ・・・」


 女神は目をぱちくりさせて驚いていた。

 こんな好待遇好条件を断る男が存在するのかと信じられない様子だ。


 ただ、弦人としてはすべて本心だった。

 

 自宅の猫たちのことが気になるし、それに明日部長へ提出するプレゼン資料のことも頭にあった。

 また、年末までにいくつかの得意先と商談の約束を交わしている。

 

 年明けには大事なプロジェクトの発表会もあり、随分と前から準備してきたものだけにこちらも気がかりだった。


「アハハ・・・。ごめんなんだけど、こっちもこっちで一度契約を取り消すのは結構手順が複雑で面倒なのよぉ~」


「そうなんですか?」


「もう上官のプロセルピナさまにも言っちゃったし・・・。あの人、こーゆう細かいことにすっーごくうるさいのよぉ・・・。また怒られたくないし」

 

 ディアーナは涙目だ。

 上官のことが怖くてたまらないのかもしれない。


「このとおりっ! お願いっ~! 1回楽しんでみよ? 簡単に戻れるから。ねっ?」


 なんだかよくわからなかったが、女神さまも女神さまでいろいろと大変なんだなと弦人は思う。


「本当に戻れるんでしょうか?」


「もちろんっ♪ まぁ、ふつうは異世界生活をエンジョイして一生過ごすものなんだけど、こればかりは合う合わないがあるからね。えーっと、あなたたちの国の場合だと・・・100万円で大丈夫かしら」


「100万円?」


「転移キャンセル料として女神協会に上納が必要なのよねぇ~。上は頭のかた~いオバサン連中ばっかでさ。ごめんね?」


 女神は手を合わせて謝る。


(異世界に行くっていうのに、100万円で戻れるっていうのはなんか拍子抜けだ)


 戻り方がわかってしまうと、とたんにハードルが下がったように弦人には感じられた。

 

「あとそうそう! これもめっちゃ偶然なんだけど、あなたの国ニホンの通貨とフィフネルの通貨単位はまったく同じなの。わかりやすいでしょ? それだけのお金を異世界で集めるのはそんな難しいことじゃないわ」


「そうなんですね」


「とても魅力的な提案だと思うけど・・・どうかしら?」


「すみません。あとひとつだけ質問いいですか?」


「もちろん」


 自分がいない間、この世界での自分はどうなるのかと弦人は訊ねる。


「それなら安心して! べつにあなたの存在が消えて無くなるわけじゃないから。いわばNPCみたいなものね。人間界でのあなたは勝手に行動してくれるってわけ。だから、あまりそのことは気にしなくていいわ~」


 それを聞いて弦人は安心する。


(銀助と虎松の食事は心配なさそうだな)


「それに異世界での1年は人間界での10日程度だから。もし仮に30年間、異世界にいたとしてもこっちの世界では1年も経っていないってわけっ! だから休暇だと思って楽しんできてよ。ね、お願い!」


 どうしようかと一瞬弦人は悩む。

 気がかりなことが多いのはたしかだったが・・・。


(でも、女神さまは俺の境遇に同情して異世界へ送ってくれようとしてるわけだし)


 やっぱりその善意は無駄にできないし、これ以上あれこれ言って迷惑をかけたくないと弦人は思う。


「そういうことなら・・・わかりました」


「ホントっ!? あぁ、よかったわ~。これでわたしも安心よ」


 ディアーナは弦人の手を握って嬉しそうにぶんぶんと振る。

 どうやらホッとしたようだ。


(あとは現地に着いてからいろいろと確認すればいいか) 


 弦人はすぐに気持ちを切り替えて覚悟を決める。

 

「・・・さてと。そうと決まれば、さっそく送っちゃうけど準備はいい?」


「はい。お願いします」


「ぜひ楽しんできてねっ♪ いってらっしゃ~い!」


 女神が手を振ると、弦人はふたたび眩い光に包まれてその場から姿を消す。

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