第15話 『シリル』



 強い白色光が、直接顔に当てられる。

 そのまぶしさに、ジーンは目を閉じたまま、瞼の上に手をかざした。


「……起きたか」

「良かったぁん! 心配したわよぉん!」

「まったく、世界中探したってどこにもいませんよ。即効性の高い毒を直に吸い出そうなんていう無謀な王子様は」


 耳に飛び込んできたのは、同じシュトロハイム王国出身の幼馴染みであり、仕事仲間でもある、『怪盗シリル』の三人の声だ。

 ――発明家サイラスCyrus、情報屋リチャードRichard、医師ロイドLloydと、ジーンの本名であるユージーンEugene

 それぞれの頭文字をとって、CYRILLE――すなわち、怪盗シリル。


「……よぉ」

「よぉ、じゃないわよぉん、ジーンちゃんったらぁん!」

「……ジーンが起きたなら、オレぁ帰る。忙しいのにンなことで呼び出されて、たまったもんじゃねェ」

「サイラスは相変わらずですね。本当はものすごく心配していたくせに」


 サイラスの声が遠ざかると同時に、まぶしさが軽減し、ジーンは瞼の上の手をどける。

 目を開けたジーンは、すぐに自らの居場所を把握した。どうやらここは、医師ロイドの診療所のようだ。


 白色光は、サイラスが頭に装着しているヘッドライトから発せられていたらしい。発明品を作るときに、手元を明るくするために付けているライトである。スイッチを消し忘れるほど、慌てて来てくれたのだろう。

 サイラスはフンと鼻を鳴らし、足早に病室を出て行った。


「ありがとな、みんな。それで……セラは? 助かったのか?」

「……あとで、会いに行ってあげてぇ。きっと喜ぶわぁ」

「……なんだよ、その言い方」


 不自然に間をあけたリチャードの言葉に、不安が押し寄せてくる。ジーンは体を起こそうとするが、うまく力が入らない。


「無理に動いたらいけませんよ。まだ痺れが残っているはずです」

「けど、セラは――」

「大丈夫。まだ眠っていますが、呼吸も脈拍も安定していますし、ダブさんがついていますから」

「そうよん。今はアナタ自身の体を休める方が大事よぉん」

「……わかった」


 ジーンは起き上がるのを諦め、素直にベッドに身を預けた。


「それで、襲撃犯は?」

「セラちゃんの義弟、ライリーよ。衛兵から許可をもらってアタシが尋問したところによると、一人で伯爵家を出て、アナタたちを追ってたみたいね。船の上だと身動きがとれないから、船着き場に停泊するのを待って犯行に移したみたいよぉん」

「そうか……あの不気味な義弟か」


 ジーンは、以前からあの義弟が苦手だった。継母や義妹は単純な性格だったが、ライリーだけは、何を考えているのかさっぱり読めなかったのだ。

 ただ、時折セレーナをじっと見つめているのを見かけ、寒気がしたのを覚えている。


「今は牢屋にいるし、単独犯だったみたいだから安心してぇん。そうそう、アイツ、セラちゃんと一緒に行動していた『怪盗シリル』がジーンちゃんだって、気づいてたかもしれないの。似顔絵を持ってたわぁん」

「はん、俺だって気づいてて殺そうとするとはな。相当嫌われてたんだな」

「いいえ、最初は殺すつもりじゃなかったみたいよん。だから殺傷力の高い毒じゃなくて、痺れ薬を使ったのね」

「でもあいつ、普通に急所狙ってきたぞ?」

「それはきっと……アナタたちがいちゃいちゃしてたからムカついたんじゃなぁい?」

「あぁ? なんだよそれ」


 ジーンは一転して、呆れ顔になる。ムカついて殺されそうになるなんて、ちょっとひどくないだろうか。


「しかしダブさんが大慌てで診療所の窓から飛び込んできたときは、驚きましたよ。まあ、あなたたちを両肩に担いで爆走するリッちゃんが、ものすごい形相で診療所に駆け込んできたときには、もっと驚きましたけどね」

「担いで走った? 大人二人を、馬とか使わずに自力で?」

「うふふ、か弱い乙女にはちょっと大変だったけどねん。でも、馬を呼ぶより速いと思ったんだものん」


 相変わらず化け物じみた体力である。

 リチャードは、恥ずかしそうに頬に手を当て、くねくねと揺れている。命の恩人に対して失礼だが、不気味だからやめてほしい。


「ダブさんが事前に毒を持って来てくれたので、あなたたちが到着する前に、薬の調合を済ませることができました。おかげで、手早く治療を開始することができましたよ」

「ダブちゃん、途中で『カラス』に見つかって、追いかけられて大変だったって言ってたわぁん」

「そうか……ダブにも礼を言わないとな」

「ダブちゃんも、セラちゃんに助けられた身。『カラス』に追われて大怪我をしてたのを治療してあげたのが、セラちゃんなんでしょう? セラちゃんを助けようと、必死だったのねぇん」

「ああ」


 ダブは、代々シュトロハイム王家に飼われている『鳩』の子孫だ。

 その『鳩』はもちろん、普通の鳩ではない。鳩の姿も人の姿も取ることができ、知能や判断力を備え、人と会話することができる――シュトロハイム王家にだけ伝わる、神秘の存在である。


 シュトロハイムでは、王子や王女が生まれると、一人につき一羽、『鳩』がその元に降りてくる。それは、王に自身の子だと認知されぬまま市井に生まれた、『ユージーン』も、例外ではなかった。


 ――踊り子だった母と、愚王であった父との、一夜の過ちから生まれた男児。それが、ジーンの正体である。


 けれど、母は、そんなジーンを愛してくれた。妊娠出産を父に告げず、ジーンを女手一つで育ててくれた。

 愚王の魔の手が及ばない隣国へ移り住んだのも、ジーンのためだった。


 本来は重要な文書のやり取りや、情報収集などに利用される『鳩』だが、ダブは、アボット伯爵家にいるジーンと、難民の集落に住む母や仲間たちとの文通のために、アボット伯爵領の空を飛び回っていたのだ。


「ダブは、『カラス』に襲われ、セラの部屋の近くに落ちた。セラは迷いなく、すぐにダブを自ら丁寧に治療したんだ。それで、ダブもセラをすっかり気に入ってな」


 元々、ジーンのことを見守る中で、ジーンが想いを寄せているセレーナのことを、ダブは知っていた。そして、その優しさが人だけでなく動物にまで及ぶことを知り、ダブもセレーナに惚れ込んだのだ。


「ダブは自分の正体を明かさないまま、人として、セラの側にいることを望んだ。鳩の恩返しだよ」


 ジーンがシュトロハイム王国に連れて行かれたとき、ダブは最初、ジーンについて行こうとした。だが、それを止めたのはジーンだ。

 ジーンがいなくなったことで心に傷を負ったセレーナを、癒やしてあげてほしいと。そして、時折、文通と情報伝達のために『帰巣本能』を利用して自分の元を訪れてほしいと。

 それからジーンは居場所を転々とすることになったが、ダブは、毎回きちんと伝書鳩の役目を果たしてくれた。――まあ、情勢が悪化してからは空も危険で、文通の頻度も減ってしまったけれど。


「鳩の恩返し、とっても素敵だわぁん」

「このひと月は、セラさんを救い出すためとはいえ、会えなくて心配だったでしょうね」

「そうかもな。あいつも俺と同じぐらい、セラのことを想ってたからな」


 シュトロハイムから動けないジーンにヤキモキしながら、五年間も手紙を運び続けてくれたダブ。ジーンは、彼女に心から感謝している。


「それでぇ、アナタは、セラちゃんが起きたらどうするの? やっぱり、怪盗はやめちゃうのぉん?」

「そうだな……本当はやめたくねえけど、さすがに今の俺の立場で怪盗を続けるのは、難しいよな」


 幼馴染みの間でとある理由から始めた『怪盗シリル』だが、ここ数ヶ月は協力者も増え、きちんと信念を貫きつつ活動していた。それなりに有名になりつつもある。

 だから、本当はまだ、続けたかった。


「寂しいけど……心配しないで。アナタの後はアタシが引き継ぐわぁん。それに、CYRILLEのEが抜けても、シリルだしねぇん!」

「はは、まあ、確かにそうだな。でも……」


 眉を下げるジーンの肩に、ロイドがそっと手を置く。


「大丈夫。ジーンさんが抜けても、私たちはずっと仲間であり、友達ですから」

「ロイド……」

「そうよぉ。セラちゃんのためにも、一番いい選択をしてあげて。それがずっと、アナタにとって一番の望みだったんだからぁん」

「……リチャード」


 反対側の肩に、リチャードも手を置いた。

 もう研究所に帰ってしまったが、サイラスもきっと同じことを言うのだろう。


「……わかった。俺は――」


 ジーンが、答えを言おうとしたその時。ダブが、慌ててジーンの病室に駆け込んできた。


「大変! みんな、来て! セラちゃんが、セラちゃんが」

「……!? すぐ行きます!」

「俺も行く……! リチャード、肩貸してくれ!」


 四人は、セレーナの眠る病室へと急いだのだった。

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