第8話 オネエさん



 ランタン流しが行われている川から離れた、住宅街の一角。

 お祭りでみな大通りに出払っているのか、あたりに人の気配はほとんど感じられない。


「まさかここに来て見失うなんて……」


 セレーナとエマは、追跡していた女性を見失っていた。


「あの女の人、歩くのめっちゃ速くなかったですか? やっぱ背が高くて脚が長いから?」

「う……そうかも」


 例の女性は歩くのが速く、後ろ姿しか確認できなかった。

 彼女は美しいブロンドの長髪で、レースやフリルをふんだんに使った、フリフリとした可愛らしい服を着ていた。童顔のセレーナでも避けるような甘いコーデが似合う長身女性……きっと、とても可憐な人なのだろう。


「はぁ……わたし、何やってるんだろう」


 夫婦という設定で旅をしてはいるが、その実、シリルとは恋仲でもなんでもない。彼は表向き、依頼主の命令でセレーナをさらっただけの、世間を賑わす怪盗だ。

 彼と親しくしている女性に勝手に嫉妬して、本人かどうかもわからないのに後をつけて。


「――わたしって、なんて醜いんだろう」


 ぽつりと呟いたその言葉は、突然立ち止まって一点を見つめているエマには届かなかった。


「あ、あ、あれ。セラさんっ。あれ!」


 エマは、突然はっと我に返り、小声でセレーナを手招きした。

 セレーナがエマの指す方向を見ると、そこには先程の女性と――、


「あれ、セラさんの旦那さんですよねっ?」

「え……?」


 ――その女性の手を両手で包み込んで、耳元に顔を近づけて何やら話している、シリルの姿があった。


 信じたくないけれど、でもやはりそうかと、セレーナは納得する。

 胸にチリチリと走った痛みに、セレーナが固まっていると、隣のエマがプルプルと震え始めた。


「ぐぬぬ……っ、もーっ! 何よ何あれ! あたし、我慢できませんっ。ちょっと文句言ってきます!」

「えっ!? 待って、エマさんっ」


 エマは、セレーナの静止を振り切って、二人の方へ突撃していった。


「ちょっとちょっと! あなたねえ、可愛い奥さん放っておいて、何してるんですか! お祭りだっていうのに、宿でずーっと旦那さんのこと待ってたんですからね!?」

「あちゃあ……」


 セレーナは、ため息をついて額に手を当てる。エマは鼻息荒く二人の方へ歩みを進めていき、二人の前で腰に手を当て仁王立ちした。

 シリルは女性の手を素早く離して、警戒するようにエマを睨む。


「なんだよ、あんた」

「浮気男に答えてやる筋合いはありませんっ! ああもう、奥さんはあんなに旦那さんのこと大切に思ってるのに。すっごく愛してるのに、どうしてこんな裏切りを――」

「あああ愛してるって、誰が誰を!?」


 セレーナはついうっかり、エマの言葉に突っ込みを入れてしまった。シリルの目が、エマの後ろへと向く。


「セラ……?」

「は、はあい。ごきげんよう」


 普段は冷静なシリルが、形良い目をまんまるにして、セレーナを見つめる。

 セレーナは、冷や汗をだらだら流しながらおざなりに挨拶を返した。


 探るようにセレーナを見つめるシリル。ぎこちない笑顔を貼り付けてシリルから目を背けるセレーナ。ぷりぷり怒っているエマ。


 長いようで短い静寂を破ったのは、野太い男性の声だった。


「あらぁん、彼女がアナタの大切な人なのぉん?」


 甘ったるい、しかし低く迫力のあるダミ声が、すぐ近くから聞こえてくる。

 声を発したのは、シリルの後ろから、ひょこんと顔を出した女せ――、


「「ひええええ!?」」


 セレーナとエマの悲鳴が綺麗にハモった。


「あらぁん、そんなに驚くことないじゃなぁい。アタシ、そんなに綺麗だったぁ?」

「お、お、お、おと」

「お・ん・な・の・こ、でしょう? どこからどう見ても」


 ひらひらの服に隠された立派な筋肉が魅力的な、身長が二メートル近くもある、厚化粧のオネエさんだった。

 男じゃないかと言おうとしたエマに、ずいと詰め寄りすごんでいる。ただでさえ背が高いのに、笑顔で圧をかけられ、エマはこくこくと頷くことしかできない。


「おいおい、怖がってるだろ」

「いやぁん! ウィッグ取らないでぇ!」


 シリルは背伸びして彼女(?)の頭に手を伸ばし、金髪のウィッグをひっぺがす。ウィッグの下は、スキンヘッドだった。

 彼女(?)は恥ずかしがって、両手で頭を隠してうずくまり、静かになる。シリルはウィッグをその足下に雑に放った。


「あ、あなた、そういう趣味があったの?」

「んなわけあるかよ、バーカ」


 セレーナは震え声でシリルに尋ねる。シリルは、強めの口調で即座に否定した。


「こいつは仕事仲間でな。ちょっと頼み事をしてたんだよ」

「だって、手を握って」

「渡す物があっただけだ。ほら、こう」


 シリルはそう言って、ポケットから何かを取り出し、セレーナの前まで歩いてきた。彼はセレーナの手を取ると、その手を下から支え、上から何かを握らせて包みこむ。セレーナが手を開くと、そこには銅貨が一枚入っていた。


「な? 誤解とけた?」


 シリルは、すぐにセレーナの手から銅貨を奪い返すと、ポケットの中にしまいなおした。


「で、でも、一昨日も会ってたよね? あなたが帰ってきた時、同じ香水の匂いがした」

「ああ、確かに会ってたぜ。だが、それも仕事の話だ。……つうか、あんた、普段はボヤボヤしてるくせに意外と鋭いんだな」

「ぼ、ボヤボヤって何よ! ひどいじゃない!」

「その通りだろうが。だいたい、宿で待ってろって言ったのに、なんでこんなところに――」

「はいはい、ストップですっ! ストーップ!」


 喧嘩になりそうな雰囲気を止めてくれたのは、エマだった。

 セレーナとシリルの間で手を上下に振って、やめるようにと促している。


「セラさん、どうやら誤解だったみたいで、良かったですね」

「そ、そうね。ごめんなさい、エマさん。変なことに付き合わせてしまって」

「いいえ、とんでもない」


 喧嘩が止まり、エマは安心したように笑う。


「じゃあ、そういうわけで、あたしは帰りますね」

「うん。本当にありがとう、とっても楽しかったわ」

「えへへ、あたしもです」


 エマはにへら、と笑ったかと思うと、シリルの方へ向き直って、キッと睨んだ。


「旦那さん、奥さんのこと泣かせたら、許しませんからね。こんな可愛い奥さんに、こんなにこんなに大事に想われてるなんて、ほんっっっとうに奇跡なんですからねっ!」

「ああ……、んああ?」


 シリルはよくわかっていないのか、エマに気圧されたのか、曖昧な返事をした。


「それよりエマさん、一人で帰れるの?」

「あ、しまったここどこ……、じゃなくて、きっと大丈夫ですっ。人の声のする方に向かえば大通りに出られますよね? なんとかしますから、ご心配なく!」

「いやそれ普通に心配だわ」


 エマの反応からして、彼女は絶対に道をわかっていないだろう。一人で帰らせるわけにはいかない。

 そう思ってシリルの顔を見ると、彼もセレーナの意図を汲んでくれたらしく、頷いた。

 シリルとの話の続きなら、宿ですればいいのだ。


「エマさん、私たちももう戻るから、一緒に――」

「あらぁん、良かったらアタシが送っていきましょうかぁん? 迷子になったら大変よぉん?」


 セレーナの言葉にかぶせるように、金髪のウィッグをつけ直したオネエさんが提案した。


「え、いや、遠慮します」

「まぁっ、慎ましくていい子ねぇん! いいわ、アタシが大通りまで連れてってあげるわぁん」

「なんでーっ!?」


 オネエさんは、エマのことを気に入ったようだ。ガシッとエマの手を取り、引き摺るようにして大通り方面へと歩き始めた。


「大丈夫だ、悪い奴じゃねえから」

「それに、あの人と一緒なら怖い人も寄って来なさそうで安心ね。エマさーん、今日は本当にありがとう! オネエさん、エマさんのことよろしくお願いしますーっ」

「はいはーい、任せといてぇん」

「だからなんでーっ!?」


 エマの騒ぐ声がだんだんと離れてゆき、ひと気のない住宅街は静寂を取り戻した。


 そして。

 それと同時に、空気はピリッとしたものに早変わりする。


 しんと静まりかえった、夜の住宅街。

 苛立ちの含まれた視線が冷たく突き刺さってきて、セレーナは、なんだか泣きそうになる。


「……で?」


 シリルは、固く冷たい声でセレーナに短く問うた。


「……で、とは……?」


 セレーナは、シリルに目を合わせぬまま、震えそうな声を律しながら答える。


「――なんで宿から出た? どうしてこんな暗い道にいた? あんた、自分の立場が――」

「わかってるわよっ!」


 言いつのるシリルに、そう吐き捨てたセレーナのまなじりからは、堪えきれずに一粒の涙がこぼれたのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る