アポカリスト2 ―狂瀾の学園祭―

志島余生

前奏


荻納おぎのうさん、大丈夫?」

 背後から声を掛けられた。

 荻納衿狭えりさは振り返る。

 ややくせ毛で黒髪の少年。心配そうにこっちの顔を覗き込んでいる沙垣さがき先達せんだつと目が合った。

「ん。何でもない」

 衿狭は笑みを浮かべて答えた。

 先達は衿狭と同じ、ここ四方闇島よもやみじま鴉羽からすば学園の生徒だ。

 浜辺を歩くふたりは霧に包まれている。この島一番の特徴とも言える年じゅう濃い霧。視界を埋める水蒸気の所為でしょっちゅうこの世ならざるものが見えそうになる。

 手を伸ばせばまるで亡霊に触れてしまいそうな。

 そのまま幽世かくりよに引き込まれてしまうかのような。

 そんな幻想さえ。


「ホントに? まだ怪我が痛むんじゃ……」

 心配そうな先達の声で現実に引き戻される。

「大丈夫だって。もう、ひと月も経つんだよ?」

 衿狭はそう言って自分の右目の眼帯を指さした。「まぁ、これはしばらくこのままみたい」

 先達は少し複雑そうな表情で黙り込む。

 衿狭は砂を蹴って、呟いた。

「ね、沙垣君」

「うん?」

「気持ち、変わってない?」


 約ひと月前、鴉羽学園で大きな事件が起こった。

 それに巻き込まれて衿狭は大怪我を負った。右目の傷はそのときのものだ。

 一命を取り留めた衿狭だが、びっくりしたことに入院中に先達から告白された。

 だが衿狭は返事を先延ばしにしている。怪我のこともあったけれど、それ以上に事件で親友を喪った衿狭はとてもそんな気分になれない。彼のことは決して嫌いではないもののどう答えていいか。

 以来先達はちらちら気にする素振りを見せても、何も言ってこない。

 手も繋いでこないところはいかにも彼らしいけど。


 いや——

 分かってる。

 早く、彼の告白を断るべきだと。

 彼はとてもいい人だから。自分には勿体ない。だからこそ。

——死なせちゃ駄目。


「ほら、こんな眼帯付けてるし。もし気が変わったら言ってね」

 冗談めかして言う。

 だが先達はぶんぶんと首を左右に振った。

「そ、そんなことないよ! その、全然気にしないし。むしろミステリアス感が増したって言うかクール感が上がったと言うか」

「それフォロー?」

「あ、いや、ごめん。早く外したいよね、自分じゃ」

「んー。まぁでも沙垣君がいいって言うなら。もう少しいいかも」

「ほんと?」

「なんで嬉しそうなの?」

 思わず笑った衿狭だが、すぐ表情を引き締めた。

 静かな浜辺に場違いな悲鳴が響いたからだ。


「誰かぁ、助けてぇ~っ♪」


 いや。悲鳴と言うにはあまりに緊張感のない声。でも確かに少女の叫び声。

 先達も振り返る。

 ざくざくと砂浜を踏み鳴らして霧の奥から姿が見えてくる。

 その見た目は声以上に場違いだった。

 ツツジの花のような眩しいピンクのツインテールが走るたび揺れる。

 大きく開かれた瞳は紫と黄色のオッドアイ。

 体格的に衿狭たちと同年代——十五、六歳か。

 遠目にもはっとするような小さく綺麗な顔立ちだが、その表情は笑ってるんだか驚いているんだかよく分からない。

 が——

 そんな奇妙な少女を差し置いて、注目せざるを得ない存在がその後ろに現れた。


「渠・ム癇%Σ?箟——!」


 ノイズめいた不気味な声。2メートルを超す巨体。

 人間をまっぷたつにできそうな巨大な鋏の両腕。

 そして顔に当たる部分には白い仮面。

「……禍鵺マガネだ!」

 先達が叫んだ。


 鴉羽学園は普通の学園とは違う。ここ四方闇島に発生する正体不明の化物、通称 《禍鵺》に対抗する防波堤——いわば戦場だ。体面上学園を名乗っているに過ぎない。

 生徒たちは全国から集められた《ワケあり》揃い。親に棄てられた者、前科のある者、特殊な事情を抱える者。そういった子供を搔き集め化物と戦わせている。

 それがこの『学園』の正体だ。


「あわわっ、そこの人助けて~~♪」

 少女が先達と衿狭のほうに走ってくる。

 先達が慌てて背中に背負っていた鉄刀を掴む。同時にもう片方の手で懐から無線機を取り出して叫んだ。

「こちら、沙垣先達! えと、賽の浦で禍鵺一体出現! 応援頼みます!」

 そうするうちに既に禍鵺は目前まで迫っている。

「沙垣君——」

 衿狭が制止する暇もなく。

 突進してきた異形に向かい先達が煌めく鉄刀の刃を振り下ろした。

「やああぁぁっ!」


「疏蛄ッ怜蛄褐ム殭——!」


「げふぅっ」

 だが一瞬後、禍鵺の鋏が一閃し少年の体はあっさり砂浜に転がった。

 無理もない。

 元々先達は戦闘向きではない。一部の例外を除けば一対一で禍鵺を倒せる生徒なんていないのが現実だ。それはそうだろう、相手はあの異形なのだから。

 それでも先達は闘志を絶やさず立ち上がろうとする。

「っ、まだだ!」

「駄目、沙垣君!」

 衿狭は叫んだ。


 殺される。

 ぞっとしたイメージが浮かぶ。心臓に氷の刃を突き立てられたように、無数の虫が足元から這い上がるように、途方もなく厭な想像が脳裏を過る。

 また死神が嗤う。

 自分に関わった所為で。

——させない。

 衿狭は先達の前に跳び込もうとした。

 そのとき。


「伏せろふたりとも!」


 衿狭の横を雷光のように素早く少女が走り抜けた。

 少女は輝く刀身を抜きざまに禍鵺の顔面に振り下ろした。

 その身体、刀には赤い炎が逆巻いている。まるで蛇のように巻き付く。

 《冥浄力めいじょうりき》——禍鵺を討つための特殊な力が発動された際に見える炎だ。

 まさに一閃。

 避ける暇もなく、禍鵺の白い仮面を打った。


「Яユw9繝%——⁉」


 悍ましい叫びとともに禍鵺は地に伏す。

 仮面に無数の亀裂が走り、次の瞬間それは砕け散った。


「……大事ないか?」

 禍鵺が機能停止したのを見届けると、刀を鞘に納めて少女が言った。

 緋色を流す長くまっすぐな髪。

 人形のように美しくそれでいて凛々しい顔。

 年頃よりやや長身だが、驚くことにこれでも先達や衿狭と同じ十五歳の少女。

 彼女こそ「一部の例外」のなかの例外、鴉羽学園最大戦力。

 鴉羽学園現生徒会会長——紅緋絽纐纈べにひろこうけつ紗綺に他ならない。


「あ、ありがとうございます。会長」

 先達が身を起こしながら言った。

「なに。偶然私が近くにいてよかった」

「沙垣君、大丈夫?」

 駆け寄った衿狭に、先達はどこか情けなさそうにはにかんだ。

「ごめん、荻納さん」

「どうして謝るの?」

「いや、カッコ悪いところ見せちゃって……」

「……そんなことないよ」

 そうフォローしても先達は頬を掻くだけだった。

「それでこの子は?」

 紗綺がピンク髪の少女に視線を移す。

 黙って見ていた少女は三人の注目を受け、にっこりと微笑んだ。


「こんなところにいらっしゃったのですね、玄音くろねさん」


 不意に高らかな声が響く。

 霧の奥からまたしても別の少女が現れた。

 それはピンク髪の少女とはまた違った意味で変わった小柄な少女だった。

 腰近くまで伸びた藤より色濃い紫紺の髪。

 細く開いた瞳は黄土メープル琥珀アンバーか。

 小柄な身長も相まって西洋人形を思わせる。

 それでいてどこか大人びた雰囲気、と言うか金持ちっぽい、ゆったりした足取り。

 そして顔は薄絹で覆い、手には上品なレースグローブを嵌め、全身黒の——

「喪服……?」

 お葬式帰りみたいな格好に、先達がぽつりと呟いた。


「あっ、くるるん!」

 玄音と呼ばれた少女はそう言って彼女に駆け寄った。

「怖かったぁ~、クロ死んじゃうかと思ったよぅ」

「気を付けてくださいね。ここは危険な島なんですから」

「でもね、この人たちに助けてもらったの♪」

「まぁ。流石は鴉羽学園の勇士ですわ」

 喪服のお嬢様は紗綺を見て微笑んだ。

 どこか底知れない冷ややかな瞳で。


「ええと、貴方は……?」

 紗綺の言葉に、喪服の少女は恭しく頭を下げる。

「挨拶が遅れまして失礼。わたくしは今般、新たに鴉羽学園生徒会会長に就任する運びとなりました豊原紫紺藤花小路とよはらしこんふじばなこうじくるると申します」

「新しい生徒会長?」

「ええ。そしてこちらはわたくしの友人であり一緒に生徒会に入って戴く我捨道がしゃどう玄音さん」

「はーい。助けてくれてありがとね♪」

 我捨道玄音とやらはひらひらと手を振って笑った。

 何とも物々しい名前だ。一歩間違うと妖怪みたい。

 それにこの子、どこかで見たような……


「いろいろと訊きたいことがおありでしょうが」

 衿狭や紗綺の困惑を見透かしたように、枢とやらは厳かに言った。

「まずこれだけをお伝えさせてください。……さぁ、鴉羽学園の皆様方」

 少女は大きく両手を広げた。

 そして朗々たる声を浜辺に響かせる。


「鴉羽学園初の、盛大な《学園祭》を始めましょう!」



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