アポカリスト2 ―狂瀾の学園祭―

志島余生

前奏

 


『ねぇ』


 海のうえをうっすら霧が漂っている。

 そこに少女が立っていた。

 少女の声が鼓膜を擽る。

 懐かしい、あの声。


『面白い本は見つかった?』



 荻納おぎのう衿狭えりさは貝殻を拾い上げた。

 貝殻の溝に沿ってさらさらと砂が落ちる。細波が砂に手を伸ばしては引いた。

 沖に立つ少女は夜霧よぎり舞宵まよい——衿狭の親友。

 だけど彼女はもうこの世にいない。

 数か月前に帰らぬ人になってしまった。

 だから。

 そこにいるのは——


「相変わらずだよ」

 衿狭は答えた。

「平和な本ばかり」


『本なんてみんな退屈。でもいいの。退屈ってことは、それだけ平和って証拠だから』


 衿狭はむかし舞宵にそう言った。

 亡霊の顔は見えないが、寂しそうに笑った気がした。


『えー面白いよ。なんで分からないの?』

『なんでって言われてもなぁ』

『そっか、エリちゃん恋愛経験ないからだ。主人公に共感できないんだね』

『お、言うね』

『きっとエリちゃんも恋を知ったら変わるよ』

『そうかな?』

『そうだよ!』

『ふぅん。じゃそのときは——一番に舞宵に教えるね』


 嘘。

 衿狭は最初から本音を言っていない。親友だった舞宵にさえ。

 本が退屈だから平和だなんて、恋愛を知らないなんて、嘘ばかり。嘘で固めて他人が近づかないようにした。

 自分には。

——死神が憑いているから。

「ごめんね」

 霧に呟く。

「舞宵が死んだのも、きっと——」



「荻納さん、大丈夫?」

 突然背後から声を掛けられる。

 振り向けば、ややくせ毛の黒髪の少年が心配そうな顔でこっちを覗き込んでいた。

 沙垣さがき先達せんだつ——衿狭と同じ鴉羽からすば学園の生徒だ。

「ん。何でもない」

 衿狭は笑みを浮かべて答えた。

 しかし先達の心配げな顔は変わらない。もしかしたら亡霊と会話しているのを聞かれたか。

 もう沖に彼女の姿は見えない。

 どこまでも不愛想な水蒸気が覆っている。


「また心配そうな顔して」

「いや、でも……大怪我だったから」

「もうひと月経つんだよ。大丈夫。まぁ、この目はしばらくこのままだけど」

 衿狭は右目の眼帯を指さして言った。

 先達は少し複雑そうな表情をする。

「……ごめんね」

「え? な、何が?」

「こんなんじゃ、沙垣君も嫌かなって」


 先達にはひと月前に告白された。

 だが衿狭は親友の死を言い訳に返事を先延ばしにしていた。以来先達はちらちら気にする素振りを見せても、何も言ってこない。手も繋いでこないところはいかにも彼らしいけど。

——こんな眼帯してちゃ、気持ちも変わっちゃうかな……

 そこまで言う勇気はなかった。

 だけど衿狭の予想に反して、先達はぶんぶん首を振る。

「そ、そんなことないよ! むしろ眼帯があったほうがミステリアスと言うかクールと言うか」

「それフォロー?」

「あ、いや、ごめん。早く外したいよね、自分じゃ」

「んー。まぁでも沙垣君がいいって言うなら。もう少し付けててもいいかも」

「ほんと?」

「なんで嬉しそうなの?」

 思わず笑った衿狭だが、すぐ表情を引き締めた。

 静かな浜辺に、場違いな悲鳴が響いたからだ。


「誰かぁ、助けてぇ~っ♪」


 いや——

 悲鳴と言うにはあまりに緊張感がなく、ふざけているようにも聞こえる声。だが確かに少女の叫び声だ。

 先達も振り返り身構える。

 ざくざくと砂浜を鳴らしてその姿が現れる。

 それは声以上に場違いな少女だった。

 ツツジのような眩しいピンクのツインテール。

 紫と黄色のオッドアイ。

 体格的に衿狭たちと同年代。

 遠目にもはっとするような小さく綺麗な顔立ちなのが分かる。でもその表情は笑ってるんだか困ってるんだか分からない。

 が——

 そんな奇特な少女を差し置いて、注目せざるを得ない存在が少女の背後から姿を現した。


「渠・ム癇%Σ?箟——!」


 不気味なノイズめいた声。

 2メートルを超す巨体。

 大岩のような背中の殻。

 人間の胴も両断できそうな両腕の巨大な鋏。

 そして白い仮面。

「……禍鵺マガネだ!」

 先達が叫んだ。



 禍鵺——

 この四方闇島に出没する正体不明の化物。

 本当かどうか、黄泉返りした鵺の怨霊と言われる。『マガヌエ』が訛って『マガネ』となったらしい。

 その姿は個体によって別々。白い仮面だけが共通項だ。

 厄介なのはその攻撃性で、こいつらは問答無用で人を襲い殺す。おまけに神出鬼没で、深い霧から突然現れる。

 そんな奴らに対処するのが鴉羽学園の役目だ。


「あわわ。そこの人、助けて~~♪」

 先達と衿狭を見つけた少女が走ってきた。

 先達が慌てて背中に背負っていた鉄刀を抜き出す。生徒会に属する彼は率先して禍鵺と戦う責務がある。

「こちら、沙垣先達! えと、賽の浦で禍鵺出現! 応援頼みます!」

 無線を取り出した先達は早口で告げた。既に禍鵺は先達に標的を変えて目前まで迫っている。

「沙垣君……」

「荻納さんも、逃げて!」

 衿狭の心配そうな声に背中で答えた。

 異形に向かい鉄刀を振り下ろす。

 ふたりの影が交錯した。


「疏蛄ッ怜蛄褐ム殭——!」


「げふぅっ!」

 だが一瞬後、禍鵺の振るう鋏に振り払われ先達はあっさり砂浜に転がった。

 やはり彼の実力ではそうなる。

 元々先達は戦闘向きではない。生徒会に入ったのもほんのひと月前だ。熟練の生徒でも一対一で禍鵺を倒せるものなどそうそういない。

 ——「一部の例外」を除いては。


「まだだ!」

 それでも先達は果敢に立ち向かう。

 禍鵺が再び鋏を振るう。すかさず鉄刀。素早い動きで防ぐ。力が拮抗した。

「わぁっ、何あれ⁉」

 謎の少女が叫ぶ。

 見ると、禍鵺の背の殻が動き、先達に向かって力任せに振り下ろされた。咄嗟に先達は後ろに跳ぶ。

 避けた。と一安心し掛けて。

——違う。

 無数の砂が石礫のように四方八方に飛ぶ。離れた衿狭の頬にも届いた。至近距離にいた先達はまともに喰らい、顔を覆った。目に入ったか。

 その隙に。


「繧Дke☆7——!」


 殻から出た禍鵺の胴体が先達を襲った。

 一瞬にして先達の首、胸元を締め付ける。

 まるで蛇か鞭のようだ。先達は歯を食いしばって抵抗するが——全く解けない。

 再び巨大な鋏が狙いを定めた。

 先達の瞳が揺れる。


「沙垣君!」

 衿狭は思わず足を踏み出していた。

「駄目だ!」

 近づくな、というふうに先達が衿狭を見る。

 分かってる。

 それでも。

——また人が死ぬ。

 それも彼が。私のせいで——

 それだけは嫌だ。


「伏せろ、ふたりとも!」


 衿狭の横を雷光のように素早く走り抜けた少女が怒鳴った。

 少女は居合の要領で輝く刀身を抜きざまに禍鵺の顔面に振り下ろした。その身体は刀ごと赤い炎を纏っている。

 《冥浄力めいじょうりき》——禍鵺を討つ特殊な力の発動された際に見える炎だ。

 まさに一閃。

 避ける暇もなく、禍鵺の仮面を打つ。

 仮面に亀裂が走り、砕け散った。


「Яユw9繝%——⁉」


 悍ましい叫びとともに禍鵺は地に伏した。

「……大事ないか?」

 刀を鞘に納めた少女は言った。

 緋色を流す長くまっすぐな髪。

 人形のように美しくそれでいて凛々しい顔。

 背筋が伸び、年頃よりやや長身だが、これでも先達や衿狭と同じ十五歳の少女。

 彼女こそ「一部の例外」、鴉羽学園最大戦力。

 鴉羽学園現生徒会長——紅緋絽纐纈べにひろこうけつ紗綺さきだ。


「あ、ありがとうございます。会長」

 先達が身を起こしながら言った。

「なに。偶然私が近くにいてよかった」

「沙垣君、本当に大丈夫?」

 駆け寄った衿狭に、先達はどこか情けなさそうな笑みを返した。

「ごめん、荻納さん」

「どうして謝るの?」

「いや、カッコ悪いところ見せちゃって……」

「……そんなことないよ」

 そうフォローしても先達は頬を掻くだけだった。

「それで、この子は……?」

 紗綺がピンク髪の少女に視線を移す。

 少女は三人の注目を集めると、にこりと微笑んだ。


「おやおや。こんなところにいらっしゃったのですね、玄音くろねさん」


 不意に高らかな声が響く。

 霧の奥からまたしても別の少女が現れた。

 それはピンク髪の少女とはまた違った意味で変わった小柄な少女だった。

 腰近くまで伸びた藤より色濃い紫紺の髪。

 細く開いた瞳は黄土メープル琥珀アンバーか。

 小柄な身長も相まって西洋人形を思わせる。

 それでいてどこか大人びた雰囲気、と言うか金持ちっぽい、ゆったりした足取り。

 そして顔は薄絹で覆い、手には上品なレースグローブを嵌め、全身黒の——

「喪服……?」

 お葬式帰りみたいな格好に、先達が呟いた。


「あっ、くるるん!」

 玄音と呼ばれた少女がそう言って彼女に駆け寄った。

「怖かったぁ~、クロ死んじゃうかと思ったよぅ」

「気を付けてくださいね。ここは危険な島なんですから」

「でもね、この人たちに助けてもらったの♪」

「まぁ。流石は鴉羽学園の勇士ですわ」

 喪服のお嬢様は紗綺を見て微笑んだ。

 どこか冷ややかな瞳で。


「ええと、貴方は……?」

 紗綺の言葉に、喪服の少女は恭しく頭を下げる。

「挨拶が遅れまして失礼。わたくしは今般、新たな鴉羽学園生徒会長に就任する運びとなりました、豊原紫紺藤花小路とよはらしこんふじばなこうじくるると申します」

「新しい生徒会長?」

「ええ。そしてこちらはわたくしの友人であり一緒に生徒会に入って戴く我捨道がしゃどう玄音。ご存知かも知れませんが」

「ご存知……?」

「あっ」

 先達が声を発した。玄音を改めてまじまじと見る。

「もしかして……クローネ?」

 その名前で衿狭もはっとした。

 よく見ると確かに見覚えがある。数年前にデビューしたアイドルのシャドー・クローネによく似ていた。

 と言うか髪色髪型、その声といいそっくりだ。

 何故気付かなかったのか——と考える間でもなく、アイドルがこんな辺鄙な離島の浜辺で化物と追いかけっこしているなんて思いもしないか。


「ヨロシクね♪」

 我捨道玄音が先達にウインクする。

 先達は困惑したように顔を伏せる。はいいが、どうしてちょっと頬を赤らめるのか。

——いや、いまはそんなことより。

「その、まだ状況がよく分からないが……」

 衿狭の気持ちを代弁するように紗綺が言った。

「ええ。そうでしょう」

 枢が頷く。

「いろいろとお話ししたいこと、お伝えしなければならないことはありますが——いまはこれだけをお伝えさせてください」

 少女は大きく両手を広げる。

 そして朗々たる声を浜辺に響かせた。


「この度——鴉羽学園初の《学園祭》を開催致しますわ!」


 

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