【参ノ漆】

 お父さんは、ゆうを真っ直ぐ見た。


「ゆうに、言わなければならないことがある」

「あなた……」

「いいんだ。いずれ言わなくてはならなかったんだから、な」


 ……


 お父さんが母さんと出会ったのは、娘が家出をしたと、下町の高池のご両親が大祇小学校の職員室に駆け込んできたのがきっかけだった。……今の下町で和菓子屋をやってる、おじいちゃんとおばあちゃんだな。

 お父さんはこの学校に異動してきたばかりで、三十一歳。母さんはまだ、小学五年生だった。

 ふたつ前の大祇祭が終わって、三年しか経っていなかった。だからおおかみに襲われる可能性は少なかったんだが……ご両親は大慌てだった。


「心配しすぎなのよ、父さんも、母さんも」


 村が村だからな……ご両親の気持ちもよく分かった。それでお父さんは、大祇小学校の先生たちと手分けして、村の家々を一件づつ周ったんだ。ところが、どんなに周っても手がかりがない。しょうがないからとなりのY市の警察署に通報して、山狩りをした。それで見つかったのが……


「うちの本殿の中だったな。たしか」


 ええ。……どうやって入ったのか、本殿の中からひょっこり見つかった。


「ふふふ、そんなこともあったわね」


 まあ、それで母さんをご両親……下町のおじいちゃんとおばあちゃんの所に送り届けていると……


「告白、したのよね」


 突然だったからな……あれにはびっくりした。まあ、未成年だったし、交際は十八歳を超えてからだと伝えて、ご両親に届けたわけだ。で、七年経って母さんが高校を出たら、お付き合いさせてもらったわけだ。


「……なれそめは初耳だけど、そこ重要?」


 ゆう、話の腰を折るんじゃない……まあ、ただの昔話になってしまったな。それで、二年ほど付き合って、母さんが二十歳、お父さんが三十歳の時、母さんが妊娠した。男の子だった。そろそろ結婚を……と考えていた矢先だったが、下町のご両親は……その……ひどく怒ってな。


「デキ婚だもんね」


 ゆう、そうだ、その通りだ。おじいちゃんには殴られたな、確か。


「はは。……まあ、それで僕が産まれた訳だ」


 ……いや、違う。


「は?」


 その赤ちゃんは……


「流産しちゃったの」

「……へ? なにそれ、じゃあ……」


 母さんもお父さんも、ひどく落ち込んでな。母さんは毎日塞ぎ込んでしまった。それで半年程経ったある日。大祇神社へお参りに行ったんだ。あれは確か……寒い冬の日だった。雪がちらほら降っている中、本殿の前で手を合わせた。また、赤ちゃんを授かれますように、と。


「ええ。……そしたら、聞こえたの。泣き声が」


 ああ。母さんが赤ちゃんの泣き声が聞こえたというんだ。お父さんには、聞こえなかったが。どこから、と探しまわる母さんに付いていくと……本殿の脇、洞窟の入り口の赤い柵の下に、オレンジのダウンの上着に包まれた、まだへその緒も付いている小さな赤ちゃんが、冷たい石畳の上に置かれていたんだ。


「まさか……それって……」


 ああ、そうだ、ゆう、お前だ。そのダウンだって、まだ押し入れに取ってあるんだ。

 おおかみ被害はその時確認されて居なかったし、かまれた跡もなかった。だから、というより数日前まで……お父さんはずっと、お前をヒトの子として育ててきた。初めは親を探したんだが、一向に見つからないのと……


「お母さんがね、この子は手放さない、そうお父さんに言ったのよ」


 元の親の元に返すべきだ、お父さんはそう言ったんだが。母さんは頑として聞かなかった。

 それとあの時、たしか……


「たしか?」


 ……いや、なんでもない。気のせいだ。ともかく……


「そうよ、ゆう。それからずっと、あなたは私たちの大事なこどもなのよ」

「……そっか……わかった……ありがとう……」


 すまないな、ゆう。こんなタイミングで告白することになって。


「……いいよ、べつに」


 それで、樫田のおじい様に、ヒトとおおかみについて、二人で学んだ。この子は村ではもう少ない、ヒトの子だ。おおかみが必ず狙う。決しておおかみにしてはならない。その一心で、お前を守ってきた。


「だからか。おおかみが僕や沙羅を狙ったのは」


 ああ。恐らくそうだ、と初めは思っていた。


「初め?」


 お前が角田屋でかまれるまではな。


「私、焦ったの。このままではおおかみになってしまうって」


 ああ。でも、違った。お前はおおかみにならなかった。お前は「新月のモノ」の、それも「始祖」の力を持っていた。


「ああ、それなんだけど……」


 ……


 ゆうは、言うなら今だと考えた。

 ベルに「新月のモノ」の「始祖」にしてもらったことを。


「ああ……そうか。やはりベルベッチカだったか」

「うん。あの子に、かんでもらったんだ。今月の六日に」

「そうだったのね。……ゆうちゃん、言ってくれてありがとう」


 そう言ってお母さんは、ゆうの癖のある髪をしまった帽子の上から撫でた。

 ……この髪の毛が、コンプレックスなんだ……


「ねえねえ、相原先生、おばさん。ゆうが祭りの日、おおかみたちを食べたのって……」

「それは、私が説明しようかの」


 沙羅のおじいちゃんが口を開いた。


「さっき言った通り、新月のモノの始祖は、バラバラにされても食べられても、元に戻ることが出来る。……ゆうくんの中のベルベッチカの細胞が、取り戻そうとしていたのだろう」

「ベルが、取り戻す……」


 ゆうは自分の手を見た。


「じゃあ、ベルの肉を食べたおおかみたちをみんな食べれば……」

「ああ、ベルベッチカは復活するだろう」


 ゆうの心の中に、宿ってはいけない火が灯った。……友達や、村人達全ての命を、愛しいベルにために食う、その業火が。


「だが、そうするためにも、満月の『始祖』を滅ぼさなくては、復活は無理だろう。おおかみたちは、満月の始祖の下僕なのだから」

「……わかりました」


 ゆうは、覚悟を決めた。絶対に、満月の始祖を滅ぼすと。おおかみたち全てを食べ尽くす、と。


「ところで、なんでトマトジュースは飲めたんですか?」

「完全に目覚めた新月の始祖は、目覚めていない『幼体』と違い、食事を取らないと聞く。が、トマトジュースを飲むとは……」

「ああ、あれ? ……お決まりじゃない? 吸血鬼にはトマトジュースって」


 お母さんは、そう言って笑った。

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