【弐ノ参】
令和六年七月十九日、金曜日。
終業式の日の、お日さまの容赦のない暑い暑いカンカン照りの帰り道。明日からなつやすみだ。沙羅が、クラスイチのオタク少女、美玲に言った。
「最近増えたね、おおかみ」
「そだよね、沙羅ちゃんもこの前遭ったんだっけ」
「そうそう。危なかった」
沙羅は、ゆうがもし居なかったらと思い返したのか、青い顔をしている。
「それよりさ、今週のダッシュ! 『チェーンソー・ヤイバ』読んだ? めっちゃカッコよかったよね! ボク感動しちゃったよぉ」
はあ……沙羅はため息をついた。美玲が「チェーンソー・ヤイバ」の話をし出すと止まらない。沙羅もゆうも読んだことも無いのに、ずーっとしゃべり続ける。特に主人公が大好きで、火がつくと止まらない。怖くないのか不思議だ。だって今日出席したのは。ここにいる三人とみかをあわせた四人だけだったんだから。
『いよいよ明後日は大祇祭。みなさん、かぜをひいて出られないなんてことは無しですよー』
あゆみ先生は、相変わらずおっとりした口調で九人のクラスメイトに呼びかけるように話した。
学校から角田屋の手前まで、ウルフカットが可愛い──割と美少女だ──美玲がずうっと「チェーンソー・ヤイバ」のことをしゃべり続けている。
「でさ、そしたらヤイバくんがさ!」
「もー、わかんないってば、美玲。……ねえ、ゆうちゃん」
はは……ゆうも苦笑いしか出せない。この前からこの道を通るとなぜか気持ち悪くなる。田んぼに張った水を風が撫でる音がやけに鼓膜を刺すし、きらきらしたお日様の反射が網膜を焦がして痛くて仕方ない。正直、「チェーンソー・ヤイバ」どころではなかった。キリのいいところで、語り続けるオタク少女から視線を進行方向にむけた。二、三十メートル先に、相変わらずオンボロで、看板も日に焼けてほとんど読めない角田屋が見える。
その角田屋に、長いクセのある金髪の女の子が、入っていった……のが見えた。
「ベル?」
見えた、たしかに見えた。ゆうは自然とその名を口に出し、自然とかけ出していた。
「ゆうちゃん?」
「ゆーくん!」
沙羅と美玲が後ろで自分を呼ぶ声を背中で聞きながら、夢中で走って角田のおばあちゃんのお店にかけこんだ。
「ベルっ、ベルっ?」
でも角田屋は、いつもの薄暗くてせまい店で、なにごともないかのようだった。……ベルベッチカ・リリヰなんて名前の女の子は、始めから居なかったみたいに……角田のおばあちゃんは、いつも座っている座布団の上でうつむいている。
「ゆうちゃん」
「ゆーくん、どったの?」
女子二人が遅れて入ってきた。
「……なんでもない」
「なーんだ、てっきりボクらにおごってくれるかと思ったのにぃ」
美玲がくちびるをツンととがらせる。
「……だいじょうぶ?」
「なにが」
「……だってさ……呼んでたし。あの子」
(ベル……大好きなベル……どこ行っちゃったんだよ……)
けれどどんなに呼んでも、彼女が返事をしてくれることは無かった。
「……かみ……さま……」
急に、角田のおばあちゃんの方からかすれた小さな声がした。三人とも、心底びっくりした……寝てると思ったから。
「お……かみ……ま……みこの……しい……いただ……そう……ろう」
「え……どうして……どうして知ってるの?」
沙羅の顔色が青くなる。
「え?」
ゆうは沙羅の方を向いた。だからその叫び声を聞いた時、おばあちゃんの方を見ていなかった。
「ああああああ──!」
物凄い絶叫で、まさかそれがおばあちゃんが発した声だと気づかなかった。びっくりしたゆうが振り返ると、座布団の上におばあちゃんはいない。どさっと、今度は角田屋の入口で何かが落ちる音がして、もう一度振り返る。見ると、角田のおばあちゃんが裸足で立っている。瞳を……真っ赤に光らせて。
「おおかみさま みこのたましい いただきたく そうろう」
信じられないくらい野太い声でそう言った。……そして。
めきっ。
めきめきめきっ。ぴしっ。
おばあちゃんは着ている着物を破きながら、三人の小学生の前で「変わり」はじめた。
「あ……ああ……」
六月の恐怖を思い出したのか、沙羅が腰を抜かした。美玲も、え、え、と硬直している。
みしっ。ばきんっ。
ぐるるるる……
全身をひしゃげながら、黒い毛を生やして、ゆうの目の前で。
角田のおばあちゃんは、
「いやあぁぁぁああああ!!」
沙羅が絶叫した。そしてとっさにゆうは、沙羅を「見て」しまう。おおかみはゆうの肩をがつんとかみついて、店のふすまをなぎ倒して、ゆうの頭を柱に打ち付けた。
がんっ。愛用の帽子が宙を舞う。意識はそこでぷつりと切れた。
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