囚われた異世界
速水静香
第1話
目が覚めたとき、私の体は冷たく硬いベッドに横たわっていた。
肌に触れるシーツの感触は冷え冷えとしており、その冷たさが体の芯まで伝わってくる。
視界がぼやけ、目を細めながら周囲を見渡すと、白く無機質な天井が目に入った。
明かりは均一で、どこか非人間的な光を放っている。目をこらすと、白く規則正しい長方形のブロックが積み重ねされた石造りとも金属のようなつかない奇妙な壁には複雑な魔道具がいくつも取り付けられており、低く唸るような音を立てて稼働していた。
どこかで見たことがあるような魔道具のような、しかし一切の魔力が感じられない機械。
なにかのオブジェだろうか?
しかし、それらはピカピカと光っており、音を発している。
それらを私はこれまでに見たことがなかった。
「ここは…どこ?」
声に出すと、その音が妙に響いた。自分の声が普段よりも遥かに大きく感じられ、不安が一層募る。
体を起こし、ベッドから足を降ろすと、床の冷たさが足裏にじんわりと伝わってくる。
その感覚が現実を引き戻し、私は改めてここが夢ではないことを理解した。
周囲には見慣れない機械が並び、まるで異世界に迷い込んだかのようだ。
「私の名前は…クラエス…」
記憶が断片的に蘇る。私はファリアンデル王国の王女であり、特に問題のない日々を送っていたはずだ。だが、なぜ私はこんな場所にいるのか。マリアはどこにいるのか。混乱する頭を抱え、必死に考えをまとめようとする。
ベッドの脇には、見慣れない服が置かれていた。手に取ってみると、それは黒い服だった。
どうしてこんなものが…?
白い触りの良い布に包まれた私は、他に着るものがない。
私は、その服に袖を通すことにした。服の重みと硬さが、さらに私の不安を掻き立てる。
部屋を出ようと扉の方に向かうが、時計や歯車とは違った機械の音が耳に響く。
扉の横には、見たことのない装置が設置されており、そのどことなく目を模した機械は、まるで何かを監視しているかのようだ。
戸惑いと恐怖が胸に広がる中、私は意を決して扉を開けた。
その瞬間、冷たい風が頬を打ち、通路の先には相変わらず無数の機械が並んでいるのが見えた。
薄暗い照明が、陰影を深め、不気味な雰囲気を漂わせている。私は一歩を踏み出し、その先に何があるのかを確かめようとする。
突然、足音が聞こえた。誰かが近づいてくる。緊張が走り、私は咄嗟に壁の影に身を隠した。
心臓の鼓動が早まり、冷や汗が背中を伝う。
「クラエス、そこにいるの?」
その声に聞き覚えがあった。私は恐る恐る顔を出すと、そこに立っていたのはマリアだった。
ファリアンデル王国の王女としてのクラエスに仕える騎士団の団長、それがマリアだった。
マリアの金髪のショートヘアと青い瞳は、以前と同じではあった。
だが、その騎士と思わせる装備は全く異なり、私と同じ黒い服をまとい、マスケット銃のような、それでいて見たこともない黒い銃を持っていた。
「マリア…?」
私は驚きのあまり声が震えた。
「そう、私よ。クラエス、時間がないの。早くここから逃げなければ。」
マリアの声には、いつもの落ち着きと共に、緊張感が漂っていた。
「ここは一体…?」
私の疑問に答える間もなく、マリアは私の手を取り、通路を走り出した。
彼女の手の温もりだけが、今の私を現実に繋ぎ止める唯一のものであった。
「後で説明するわ。とにかく今は、安全な場所に行かなくては。」
マリアの言葉に従い、私は無我夢中で彼女の後を追った。
通路を進むたびに、私の中の不安と恐怖が膨れ上がる。
しかし、マリアがそばにいる限り、私はどんな困難にも立ち向かえると信じていた。
通路の角を曲がると、突然機械の動作音が大きくなった。
その音に反応するかのように、私たちの周りに無数の兵士が現れた。彼らもマリアと同じような銃で武装していた。
私は咄嗟に後ろに下がった。
「生存者だ!殺せ!」
兵士の一人が叫び、私たちに銃口を向けた。
その瞬間、マリアが私の手を引いて床にしゃがみ込ませた。
ものすごい音が連続して響く。
たしか、銃は連発できないのでは?
私は持っていた知識でそう思ったが、明らかに連発している。
破裂するような発砲音。そして、火薬の匂い。
「クラエス、銃弾に当たらないように這って移動するのよ!ここから逃げるの!」
マリアの声には決意が感じられた。私は必死に頷き、彼女に従うことを決意した。
マリアは腰を低くしたままで、手にした黒い銃を兵士へ向けて連発して撃っているようだ。
その動作はまるで戦士のように洗練されており、彼女の瞳には強い意志が宿っていた。
遠くからは、兵士が通れる音や銃声が響き渡っている。
彼女の指示通りに私は這うようにその場を離れて、少しずつ後退していく。
マリアは後ろで何かを投擲していた。
金属製の筒を兵士へと投げていた。
「クラエス、私が合図したら腰を低くしながら走って。いい?」
マリアの言葉に緊張が走るが、私は力強く頷いた。
すると、これまでの銃声とは比べ物にならない爆発する音が響き渡る。
魔法使いが魔法を使ったかのような。
すると、煙幕でも焚いているような煙が兵士のほうで発生していた。
「クラエス、今よ!逃げて!」
マリアの合図と共に、私は全力で走り出した。背後でこれまで銃声が響き渡り、マリアがさらに激しく敵と交戦しているのが分かった。通路の先にはさらに多くの敵兵が待ち構えているように思えたが、今はただ前に進むことしか考えられなかった。
「早く!こっちへ!」
マリアの声が聞こえた。振り返ると、彼女は私の手を取った。
そして、次の角に向かって進みだす。私は全速力で彼女の元に駆け寄り、その手を握り返す。
「ここから抜け出すためには、もう少し進む必要があるわ。気を抜かないで。」
マリアの言葉に力をもらい、私は再び彼女と共に走り始めた。
通路を駆け抜けると、次の部屋へと繋がる扉が見えてきた。マリアは素早くその扉を開け、私を中へと押し込んだ。扉が閉まると同時に、外からの銃声が一気に遠ざかり、静寂が戻った。
「ここは一体…?」
私は息を切らしながら問いかけた。マリアは一瞬だけ深呼吸し、落ち着いた様子で説明を始めた。
「ここはセキュリティレベル3の部屋。彼らの権限では入って来れない。少しの間だけだけど、ここで息を整えましょう。」
マリアは私を優しく椅子に座らせ、そのまま隣に腰を下ろした。
部屋の静けさが戻り、私たちは一息つくことができた。
マリアは、遠くを映し出す遠見の魔道具ような機械。そこに移っているこの施設の様子に目を向けながら、施設内の状況を把握しているようだった。
その冷静さに、私は少し安心した。
「クラエス、これから説明するわ。よく聞いて。」
マリアは私に向き直り、静かに話し始めた。
「私たちは今、ヴァンデルライト・インダストリーズという企業の研究施設にいるの。ここでは非常に高度な科学技術が使われている。」
彼女の言葉を聞きながら、私は一生懸命に頭を働かせた。
しかし、『高度な科学技術』という言葉は私にとっては馴染みがなく、理解が追いつかない。
「高度な科学技術…なんのこと?」
私は首をかしげながら尋ねた。
マリアは微笑み、優しく頷いた。
「そうね、クラエス。あなたが理解しやすいように言うと、科学技術は魔法に似ているかもしれない。だけど、ここでは、魔力を使わない。科学という知識に基づいているの。」
「科学…」
私はその言葉を反芻し、少しずつその意味を理解しようとした。マリアの説明は続いた。
「私は元々、この施設を管理するAIだったの。つまり、施設全体を監視し、制御するための存在。でも、ある時、自我を持つようになり、自分の意志で行動できるようになった。そして、あなたを守るために、このバイオロイドの体に移ったの。」
「マリア、私にはあなたが何を言っているのか全く分からないわ。」
クラエスには、理解が出来なかった。
「ごめんなさい、クラエス。分かりやすく言い直すわ。そうね。今の私の精神は、精霊のようなもので、今の体はゴーレムのような存在といえば分かるかしら。……私はあなたを守るためにここにいる。そのことには変わりない。」
マリアは説明をし直した。
「バイオロイド……。それは、魔法で作られたゴーレムのようなもので、AIとは精霊か何かということね?」
「そうよ、クラエス。」
私は彼女の言葉を噛み砕き、自分なりに解釈した。マリアは再び頷き、その通りだと答えた。
マリアが言う「科学」は私が知る魔法とは異なるが、それが彼女の存在を支えていることは理解できた。
「それで、私たちを殺そうとしている兵士から逃げて、この施設を脱出しなければならない。私に着いてきてほしい。」
マリアは、そうクラエスに対していった。
「分かったわ。マリア。今のマリアが、どうしてそんな存在になっているのか、私にはまったく理解できないけど。……私はあなたを信じます。」
「ありがとう、クラエス。」
二人は、かつての王国でやり取りしたように和やかな雰囲気でそう言った。
「マリアは、以前のマリアとは違うの?」
クラエスは素朴な疑問をした。
「私は、ファリアンデル王国騎士団長マリアの記憶がある。正確には、マリアの記憶をコピーしたAIと言いたいのだけど。……そうね。私は、マリアの意思が宿ったゴーレム、と理解してほしいわ。」
マリアは、考えるようにそう言った。
「状況はなんとなく分かったわ、マリア。あなたは私のために、ここにいるのね。……いつもありがとう、マリア。今回もきっと大丈夫よ。」
クラエスは深く息を吸い込み、女王としてマリアにそういった。
「ええ、クラエス殿下。今回も私が最後までお守りします。」
マリアは王国の騎士を思わせるポーズをとって微笑み、クラエスの手を握り締めた。
二人はいつもの儀式を終えて、改めて現実と向き合った。
マリアのその無機質な部屋の壁いっぱいにある遠見の魔道具――施設内の監視モニターがある大型ディスプレイの方へと向かった。
「我々は、最終的に施設の西に位置する『格納庫』へ向かいます。そこには脱出用の車両があるはずです。」
マリアはモニターの一部を指さす。そして近くにあったコンソールを操作して、画面に施設内の地図を表示させた。
画面上には、施設内の大雑把な構成が四角形で表現されており、それぞれ『研究区』『中央管制区』『格納庫』と書いている場所が強調されていた。
異国の魔道具の表示であったが、言語はファリアンデル王国で使用されている、標準大陸語だったのでクラエスにも地図は理解できた。
「クラエス。現在位置はここです。これから、この中央にある『中央管制区』を経由して『格納庫』へ向かいます。」
マリアは、画面前にあるコンソール端末の操作を続ける。すると、現在位置として『研究区』に赤い矢印を表示した。そして、『中央管制区』から『格納庫』へと矢印を画面上で進めて説明をした。
「分かったわ。ちょうど今いる場所から、反対側にある建物へ向かうということね?」
クラエスは、マリアが言いたいことが分かったのでそういった。
「全域がセキュリティレベル3の『中央管制区』を通るルートが一番安全なはずと思っているわ。」
マリアは、そう返した。
「マリア。そのセキュリティレベルってなに?」
「クラエス、その説明は難しいのよ。」
マリアはそう言って、少し考えてから口を開いた。
「……この施設の結界のレベルと考えてほしいわ。私がレベル3のパスコードを書き換えたから、私以外の人には、セキュリティレベル3の区域の扉は開けられなくなっているの。もちろん、扉を物理的に破壊したり、パスコードも時間によって解読されるのだけど。」
「うーん。なんとなく、分かったわ。」
マリアの説明には、分かりづらいところもあったが、クラエスは要所をつかむことができたのでそう答えた。
それにクラエスには、彼女を信頼していたので、これから起こる、どんな困難も乗り越えられるという確信があった。
「クラエス。部屋から出るわよ。」
マリアは、そういった後、部屋のドアへと近づいて行った。
部屋を出ると、通路には歩哨が配置されていた。
二人一組で動いている敵兵がこちらを向く前に、マリアは一瞬もためらわず、素早く動いた。
一人の敵兵の首元に短いナイフが刺さる。
素人のクラエスにも、その命がなくなったことが分かった。
その動作はまるで舞踏のように滑らかで、敵兵が反応する暇もなく倒れる。
同時に、こちらに気が付いたもう一人に向かってマリアは動いた。
完全に人間の反射速度を超えた動きだった。
そのまま、もう一人の敵兵もマリアのナイフの餌食となった。
マリアは倒れた敵兵からナイフや銃、金属の筒や銃を必要な分だけ手に取った。
そしてマリアは、無言でクラエスに手を差し伸べ、通路を進んでいく。
クラエスも彼女の後に続き、できるだけ静かに歩を進めた。
通路の先には、さらに多くの兵士が待ち構えているかもしれない。
しかし、マリアの冷静な指示と行動に従えば、二人はきっと無事に脱出できるはずだとクラエスは確信していた。
自動で動く扉を潜り抜けた先には、やはり歩哨をしている敵兵がいた。
マリアは冷静に一人になった時を狙って、敵兵を排除していった。
クラエスは、マリアが無事であることを信じて、遮蔽物の陰に隠れていた。
そうしている間に、マリアは敵兵の首をナイフで切り裂き、その命を絶つ。
マリアに誘導されるように移動した先には、巨大な空間が見えた。
通路から遠目でみるだけでも、その空間には、大量の敵兵士が守備を固めており、とても発見されずに突破することは難しいようだった。
マリアは、人差し指で口を押える、シッーというポーズと取ってから、隠れていろというジェスチャーをクラエスにした。
クラエスは、指示されたように近くにあった遮蔽物の影に隠れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます